壊し尽くせ
則之はおもむろに立ち上がると、訝しげな高時の目も気にせずにふいと部屋を抜けた。
「兄上?」
呼びかけた高時の声も聞こえないのか夜の廊下を無心に歩く。
どこか人のいない場所に行きたかった。一人になりたかった。いや、高時から離れたかったのか。
暗い方へ暗い方へと進む則之の目に、夜陰の庭で一人佇む朔夜の姿が映った。
(このような場所で何を?)
刀を引き抜いて、刃を月に照らして検分しているようだ。
この戦で、朔夜は鬼神の如く働いていたと聞いていた。まるで自分から敵に斬られに行くかのごとく突っ込んでは神速の剣で血の雨を降らせていたと、皆が恐れたように噂していたのを聞いた。
『あの子供は鬼に違いない』と羨望からか下らぬことを言う者もいた。
細身の肢体はまだまだ少年のそれだ。薄い色素の髪は柔らかそうで艶やか、人を射るような瞳も陽に当たると茶色く輝く。誰にも屈せず恐れない姿は、憎らしくもあり美しくもある。
その存在を――。
素足のまま庭に降り立つと、駆けるように朔夜に近づき背後から抱きついた。驚いた朔夜が手にしていた霧雨を落とす。ガシャンと重い音を立てた。
勢いのままに朔夜の着物を力ずくで剥ぎ取る。
白い肩が顕わになり、月光を受けて青白く浮かび上がる。いまだ細い首に噛みつくように唇を落とすと、朔夜の体が激しく戦慄いた。
「おまっ――やめ……っ!」
抵抗する朔夜。だが動きはいつものようなキレもなく力も入ってはいない。その細い体を力任せにきつく抱きしめる。
こんなに細いくせに! こんなに脆弱なくせに! その中にある魂のなんと強いことか! 屈服させてやりたい! 人を惹きつけるこの存在を砕いてしまいたい! 輝きを放つものを砕けばこの苦しみも砕けるのか!
首筋に強く痕を残してから、肩に噛みつく。
ビクリと震える朔夜の唇から声にならぬ悲鳴が上がる。痙攣しているかのように震えている。そのか弱さが則之をさらに掻き立てる。
――壊してしまえ。
こんな子供など叩き壊して、あの弟の放つ光を失わせてやる――
心の中にどす黒い炎が舐めるように広がる。
細い首をきつく締め上げる。
冷えた土の上に押し倒して馬乗りになる。顕わになった胸が忙しなく上下する。細い首に手をかけるときつく締め上げていく。朔夜の叫びが途中でかき消える。
「うああぁ……!」
獣の瞳は虚空を見ていた。縛られたように身動き一つせずに震えている。則之の与える苦悶より、何か別のものに怯えたようにただひたすら震えている。まるで壊れたくぐつの如く意志を失いだ震えている。則之の手がさらに締め上げようと瞬間
「兄上! 何をなさるっ!」
高時が声を上げながら庭へ飛び降りて駆けてきた。すぐに則之を押しのけて朔夜を庇うように立ちはだかる。
「兄上! 一体あなたは何を――!」
「何をだと? 見て分かるだろう。この者を可愛がってやろうとしておっただけだ」
「可愛がるですと!? そうは見えませぬが」
「これからというところだ」
「朔夜は俺の側仕えなれば、勝手なことをなされますな!」
「……ふん、興が醒めたわ。もう良い」
言い捨てて、乱れた襟元を整えながら夜の庭へと背を向けて行ってしまった。
睨むようにその背中を見送った高時が、未だ倒れたままの朔夜を振り返って驚いた。
倒れたままでガタガタと震えている。恐怖に満ちた目を見開いて虚空を見ている。
「朔夜! いかがした! 大丈夫か?」
慌てて抱き起こした高時の腕を振り払い、自分で自分をきつく抱きしめながらうずくまる。常に美しい獣の瞳は焦点を失い、呼吸も荒く忙しない。尋常ではない怯え方だ。
「何が……」
何がそこまで朔夜を脅かしたのか。
男に組み敷かれた恐怖なのだろうか。絞め殺されそうになった恐ろしさだろうか。朔夜はこのようなことで動揺する男ではないと思っていたのは、過信だったのだろうか。
「朔夜、落ち着け。もう大丈夫だ」
ゆっくりとはだけたままの細い肩に手を回す。それだけでもビクッと震える。
怯える獣は憐れだ。高時はその時初めて、朔夜の弱さを見た気がした。そして、胸に今までにない感情が湧き起こる。未熟な若い獣、強い心を持つ若い獣。それは自分だけのものなのに。
独占欲――
湧き上がったのは、独占欲だった。
誰にも屈しない朔夜を、兄は蹂躙しようとした。奪い去ろうとしていた。
朔夜を従えるのは自分だけだ。自分だけでいい。強い独占欲が湧き起こるのを止める事が出来ずにいた。