おさない心
異質者の朔夜が入ってから数日で、彼の特徴はかなり分かってきた。
まず、読み書きがひどく苦手であった。
これは和尚が別に特訓させているようだ。だがそれをバカに出来ないほど、朔夜は剣術が恐ろしく強かった。
ちゃんとした型などではない全くの我流で乱暴でさえあったが、木刀で叩きあっていても朔夜の繰り出す剣は鋭くて重たく、こちらが繰り出す剣はすべて読み切られてしまう。到底、九つや十の子供とは思えぬ強さであった。
「お前、すごく強いな。どんな風に過ごしていたんだ?」
相変わらず無視されてもめげずに話しかける高時であった。
その度に煩わしそうに眉をしかめるが、他の者が話しかけると一言も返さずにプイと離れて行くことを思えば、時々でも返事をしているのは少なくとも高時を嫌ってはいないのではないかと友三郎は見ていた。
その友三郎は、なんとなく朔夜が怖くて、今も柱の陰から二人の様子を伺っているところであった。
(――生き別れの弟君では無かったようだが、彼は実は裏山の獣に違いない。そうして山の神が彼に人の姿を与えて、こうしてここで人と交わり人の生活をさせているんだ、きっとそうに違いない……。そして高時様をいつか喰らうつもりでは! ああ、高時様が危ない! いざとなれば私が身代わりにならなければ!)
悶々としながら二人の様子を見つめていた。
今は剣術の時間も終わり、皆が井戸で汗を拭き終えたのを見計らって出てきた朔夜を捕まえた高時に、迷惑そうな顔をしながらも黙々と布を濡らして顔を拭き続け、ぼそぼそと何か話している。
それを聞いた高時は思い切り驚いた顔をしながら「すっげえな、おまえ!」といつもの大声で告げていた。
夜の静けさの中でザワザワと木々の葉のこすれる音がやたらと響き、友三郎はびくりと肩を揺らせた。それから深いため息を零す。
この頃、高時様があまり自分に構ってくれなくなっている。
寝静まった部屋を抜け出して憂いの瞳のまま縁から空を見上げると、輝く砂を撒き散らしたかのように星が瞬いていた。
友三郎はふいに家に帰りたくなってきた。
この禅林寺から日置の家までは山を一つ越えなければならない。到底子供の足では帰れるものでもないし、まして自分は高時の近侍として来ているのだから、帰りたいなどと甘えた事は言えない身である。それは重々承知している。だが……。
最年少の自分を高時は常に気にかけてくれて、遊ぶ時には率先して駆けながらも、友三郎がちゃんと付いて来ているか目の端で捉えてくれているのが分かっていた。
その気持ちが何よりも嬉しくて、どんな困難も寂しさも高時様の為なら厭わないのだと胸に力が満ちてくる。この方のためならばといつだって思っている。
それは今も変わらない。
けれど、野山へと出かける時、
「俺に付いてこい! 行くぞ朔夜!」
と一番に気にするのは朔夜になっていた。
朔夜は寺の下働きもしているので、自分達のように自由に遊びまわる時間があるわけではなかったが、高時が誘えば和尚は朔夜が出かける事を止めはしなかったので、朔夜も時々は遊びに付いてくる。すると高時の目は常に朔夜を気にしているのだ。
(寂しいとかじゃないんだけど……弟君ではないのに何故あのように朔夜を気に掛けるのだろう。もしかして、高時様の心を奪わんとする山の神の仕業だろうか……)
妄想しながらも、夜になると思い出してしまう。父と母。あの暖かい家を。
今までは寂しくても、父母が恋しくても、高時が自分を可愛がってくれている、それだけで気持ちが満たされていたのに。
もちろん今も高時は常に気に掛けてくれている。それは充分分かっている。
(なんで、なにがダメなんだろう……最近は妄想にもあまりキレがないし)
複雑な気持ちは友三郎には理解できなかったが、自分が一番でない事が気に入らないのかもしれないと、心の奥底では気が付いていた。
それが恥ずべき気持ちだとも気がついているので、そこに目をつぶるから、このモヤモヤがどうしても解けない。
(ああ……帰りたい、帰りたい。母上に会いたい!)
一度心を占めてしまうと、もう他の何も見えなくなってしまう。友三郎の心は今は遠い日置の家に帰ってしまっていた。
毎晩寝ながら涙を流し、朝起きては家の方へと思いを馳せる。高時で満たされていた脳内の妄想部屋は、今は実家で埋め尽くされてしまっていた。
何かを誘うように星が瞬く。
空へと深いため息を吐き出して友三郎は目を閉じた。