進軍
圧倒的戦力差で不破島城の戦いは半刻ほどで決着が付いた。
挟撃された甲府の篠田軍はあっという間に壊滅し、国境の箕輪山へと敗走した兵は全て援軍阻止のために陣を張っていた則之の軍勢に討ち取られた。
その勢いのままに国境を越えて甲府へと進撃する。
「この機を逃すな! 油断するな、篠田の軍勢は援軍を出しているはずだ。遠からずぶつかるはずだ。我らの情報が知れる前に援軍も叩き潰すぞ!」
いくさの中でも良く通る高時の声に鼓舞された兵が箕輪山を越える。
黒田・義信隊と繁則の軍は国内の防備に残し、甲府に攻め入るのは高時と則之の軍、その数一万二千。
打ち合わせ通りに先に則之軍が進む。
山を越えて大軍勢が進む。
その先に篠田軍が出した援軍を捉えた。
こちらの大軍勢を見た敵将は、あまりにも驚き、すぐに軍を引き返そうとしたが、その隙に早駆けで追いついた則之軍が斬り込み、乱れに乱れた軍勢を叩き潰す。
山裾の川原に敵兵の死体が重なる。かなりの数の兵が逃げ出していたが、それでも数百の命は散らされた。
その場に馬を進めた高時はしばらく眉根を引き絞って動かぬ敵兵を見下ろしていたが、大きくため息をついた後、真っ直ぐに前を睨み付けて迷い無く声を上げた。
「我らが勝利である! このままに篠田軍を壊滅させるぞ! これからが大戦のはじまりぞ!」
「おおお!」と地鳴りのように兵が応える。
その日は駆けに駆けて陣を篠田が本城とする三滝城から遠くない久保原に布いた。
陣幕の中は篝火が皎々(こうこう)と高時を照らし出している。
訪れた則之はふと高時の傍らにいる少年に気がついてまじまじと見つめた。
色素の薄い髪と白い肌の中に鋭い瞳を持つ少年が放つ気に目が奪われる。 背筋の伸びた細身のしなやかな肢体はその鎧の下に強靱な筋肉を隠し持っているのが窺える。
地図を覗き込んでいる二人の間には何か言い知れぬ空気が漂っている。 近しいようでいて距離があるようで、不思議な距離感がその間に横たわっている。不躾な則之の視線に気がついたのか、不意に朔夜が顔を上げた。
その瞬間に則之は捕らえられてしまった。そう感じた。
「則之兄、本日は見事でございました。お疲れにございましょう。こちらで酒をどうぞ」
破顔した高時に近づきながらも、目は朔夜を追う。軽く一礼して脇へ控えようとする朔夜にすかさず声を掛ける。
「これなる者は? 子供ではないのか?」
「これは姶良朔夜と申しまして私の側仕えです。先日、兄上の城にも連れておりましたが、覚えはございませんでしたか? 幼く見えましょうがこれで腕も立てば度胸もある。俺の懐刀といったところですよ」
「姶良、朔夜……」
半ば自慢げに説明する高時には目もくれず、ひたすらに朔夜を見続ける。
年はまだ十五に届くかどうかか。
朔夜はゆっくりと黙礼するが、その瞳には誰にも屈さない光が籠もっていた。
「朔夜、今宵はもう良い。あとは兄上と策の仕上げを話し合う」
「分かった。お前も早く休めよ」
それだけを告げて陣幕を後にした。
「あれはお前の夜伽もさせているのか?」
「いえ、俺は男は抱きませぬよ」
「だがあの態度は主に対するものでもなさそうな言葉遣いではないか」
「ああ、あれは良いのです。そういう奴ですから。あの親父様に対してもあのような感じでしたから。あれは誰にも従わぬ獣なのでしょう」
カラリと笑う高時の隣で、酒を満たした杯を傾ける則之の瞳は冷たかった。