立ち位置
翌々日、久能城から返事が届いた。
議論は紛糾したようだったが、遂に城内の意見はとりあえず共に手を取り合うことに決まったようだ。
甲府から篠田軍が侵攻している以上、ここで家督争いに現を抜かしている場合ではないとの意見が大多数で、家督についてはこの危機を抜けてから再度話し合いにて決するべきだと記されていた。
「それで可なりと兄上には返事を返しておいた。家督については此度のいくさにて我らの力を見せれば必ずや自ずから転がり込んでくると確信している。俺は兄上には負けない。貴殿らもそのつもりで精一杯戦ってくれ。一同宜しく頼むぞ」
「ははっ!」
「それではすぐに不破島城の対篠田軍の作戦会議を開きたい。久能城と小椋山城からも主なる者を駿河本城に集めるよう伝えに走ってくれ。我らも本城へ向かうぞ。それから、野間殿と堀殿はあちらに到着するまでに攻めるための方策を荒削りでいいから考えておいてくれ。黒田隊はどうなっている」
「はっ、不破島城外にて睨み合いをしております。念のために城兵はすでに昨晩城を抜けており城内はもぬけの殻ですが篠田軍はまだその事に気がついてはない様子。挟み撃ちを恐れて迂闊に動けぬ様子でございます」
「そうか。ならば不破島城の者も本城へ来るよう伝えてくれ。黒田殿にはそのまま今しばらく睨み合ってもらっておこう。増援を送る。食料と共にすぐに出立用意を。これは義信に任せる。兵五百連れて行け。兵糧は充分に持っていくように」
「はっ、ありがとうございます!」
いきなり小隊を任された義信は頬を上気させて頭を下げた。それを聞いた父春義も誇らしげに見える。
それらのやり取りの中、朔夜は興味なさげに外を眺めていたが、義信のこの度の抜擢は前回の朔夜が言い出した奇襲作戦の成功に依るものである。
素早く指示を飛ばすと、慌ただしく駿河本城へ向かう。高時の隣には朔夜だ。それを見送る友三郎の瞳は潤んでいる。
(――なんて強くて美しいお姿だろう。私はあんな素敵な方の女房役だなんて幸せだなあ。ああ、高時様の要求でしたらどんな無茶にも命がけでお応えします。ああ、隣の朔夜も綺麗だなあ。似合いだなあ。絵になるなあ。それに二人の間には何か得も言われぬ雰囲気があるよなあ。あれは互いに想い合う美しい気持ちが――)
美しい妄想に隣から邪魔が入った。
「あの二人は特別な関係なの?」
不意を突かれて、驚いて横を見ると高時の後ろ姿をじっと見送る丹羽小次郎が立っていた。
「え?」
意味が分からずにきょとんとしてしまった友三郎を振り返って、もう一度尋ねてくる。
「高時様はあの子供を特別視しているよね。姶良殿をね。やっぱり妖刀を持っているから? それとも容姿で? 綺麗だよね、あの子。栗色の柔らかそうな髪と鋭い瞳、整った顔立ち、目が吸い寄せられてしまうよ。あの魅力、なんだろうね。高時様は彼を抱いてないって本当なの?」
自分よりは年上だが幼くさえ見える無垢な顔で思わぬ事を聞いてくる。その落差と予想だにしていない問いかけに絶句してしまう。
戸惑う友三郎はなんと答えていいのかしばらく視線を泳がせて、それからもう一度頭の中で言葉を反芻して考えた。
「あの……高時様は男はお抱きになられていないと思います。私の知る限りですが。朔、姶良は、時則様から直々に高時様にお仕えするようにと言われて来たので、特に重用しているのかと……。それにとても強いし綺麗だし、ちょっとぶっきらぼうだけど優しいところもあるし、私も大好きです。高時様も朔夜も」
にっこりと嬉しそうに笑う友三郎に少し気圧された小次郎がため息を吐きながら肩を竦める。
「そなたは自分が姶良殿の位置に行きたいと思わないのですか? 私は側近になる以上、一番近くに行くためにどんな事でもする。そうしようとは思わないの?」
「ええ、私はそうは思いません。だって朔夜と私の役立つ場所が違う。お互いが自分の出来うる事をこなして高時様のお役に立つ、それが目的ですから。それがたとえ高時様から最も遠くに有ろうとも、お役に立てるならそれでいいんです」
幼い日、高時の一番でない自分を嘆いて寺を出奔した日、追いかけて来てくれて背負ってくれた高時の暖かくて頼もしい背中を思い返す。
どこにあっても自分が高時を思う気持ちさえ迷わず持っていれば、それだけで充分なのだともう知っているから。
首を僅かに傾げた小次郎は、もう見えなくなってしまった姿を友三郎の隣でいつまでも見送っていた。