大音声(だいおんじょう)
会議の数刻後には、久能城に高時の姿があった。
またもや突然の来訪に門番との押し問答あり、城内での阻止ありと、前回の小椋山城と同じ事を繰り返しながら、兄則之のいる座敷へと押し通る。
「懲りないのな、お前。ちょっとは手順踏んで来たらどうだ」
朔夜のため息混じりの皮肉にもカラリと笑うだけだった。
座敷の上座には騒ぎを聞きつけながらも泰然と座る則之が待ちかまえていた。
龍堂四兄弟は全員母親が違うせいか、則之と高時の外見は全く似ていない。
高時はしっかりとした直毛の黒髪が意志の強さを表すようで、二重の瞳は鋭く切れ上がり、薄い唇は常に悪戯を企むように笑みを浮かべているようだが、若者らしい凛々しさが溢れている。
一方の則之は上品そうな細面で、いくらか神経質そうな細い目をしている。引き結んだ唇は自然に色づいており、則之の生母が牡丹の花のようだと言われる美女であるのが彷彿とさせられる。
花のような顔とは裏腹に、なかなか胆の座った人物であった。
「何用だ、騒々しい」
踏み込んできた高時に動じる様子もなく、厳しい眼差しで睨み上げる。兄の姿を認めた高時が見下ろしながら笑みを浮かべた。
「兄上、突然失礼つかまつります」
軽く頭を下げてからぐるりと周囲を見渡して主だった家臣団の姿を確認する。
「安田殿、長谷川殿、倉橋殿に他主要な方々皆お見えのようだな」
彼ら一人ずつ見回してから、再び則之の方へと向き直り
「今日は和議を申し入れにきました」
と告げるや、腰に挿していた刀に手を掛けた。
ハッとした家臣が腰を浮かしかけた瞬間、高時は素早く刀を鞘ごと引き抜いて、則之の足元へと無造作に投げ捨てる。がちゃりと重い音をさせて転がった刀に皆の視線が集まる。
「これで丸腰だ。腹を割って話そうではありませんか」
朔夜にも離れて控えるようにと目で合図する。片膝をついて兄の顔を間近に覗き込みながらゆるゆると首をふる。
「腹の探り合いなどもうたくさんだ。顔付き合わせて話し合わねば分からぬだろう。兄上と話したかったのだ」
則之の隣にどっかりと座ると、上座から家臣の皆に語りかける。
「俺の考えを言っておく。兄弟で相争い国内の力を弱める戦など無意味だ。早く終わらせるべきだ。俺はそう考えて和議を申し込みに来た。この争いを長引かせようと企む者がいるならば俺が容赦なく叩き斬ってやる。グズグズしている間に篠田が軍勢を引き連れてきた。間もなく不破島城は甲斐に取られる」
「それは高時様が全員引かせるのだと聞き及びましたが」
家臣団の筆頭である安田勝善が抗議の声を上げる。
「当然だ。城などこの馬鹿げた内輪もめが終わり次第すぐに取り返してやる。そのためにも今は一人でも死なせる訳にはいかない。つまらぬ戦をさせるほど俺は馬鹿ではない」
「そこまで馬鹿げているとおっしゃるのならば、高時様が降伏されて則之様につけば丸く収まりましょう。正当な嫡男は則之様のはず」
その言葉に高時はわざとらしいほどの大笑いを返す。
「はん、正当とな。則之兄も聞いておられるだろうが、あの毒蛇の親父様は強い者を正当な跡継ぎにすると宣った。誰が正当なのかは未だ決してはおらぬ。俺は共に歩む道を選びたいと思っている。兄上はいかがお考えか?」
「お前からこうして和議を申し入れると言うことは、私にお前の下につけと申しているのか?」
「兄上よ、上だの下だの度量のないことを申されるな。俺はどうやら群れを率いるのが得意なようだ。兄上は頭が良く戦略を立てるのを得意とされている。我らが手を結べば無双ではないでしょうか、のう安田殿」
「はっ」
思わず安田勝善は平伏する。そして平伏してしまった自分自身に驚く。
「久能城の皆々方、そなたたち全員の力が要る。もちろんそちらから降伏された光元殿にも出張ってもらう。これからするは篠田との大戦である。すでに小椋山城は我々に協力すると内諾を得ている」
ざわりと一同がざわめく。
「内輪もめ程度の争いで、誰ぞに責任があるだの、処分をせよだのとつまらぬ事は言うな。そんなに人手が余ってもいないし暇でもない。今必要なのは篠田の侵攻を食い止めこの駿河を戦場にしないための努力だ! 互いに揉めるはこれで終わりにされよ!」
「ははっ」
高時の大音声に皆が一斉に平伏して額ずく。
「兄上、猶予は三日。これ以上は待てませぬ。篠田軍は不破島城を奪った以上、さらに攻め込んで来るでしょう。奴らの兵糧、援軍の到着が早ければ四日後とみました。それまでに決められよ。我ら共に立ち向かうか、このまま争うか。争うと申されるならば、この龍堂高時、遠慮のうお相手つかまつりましょうぞ」
足元に転がる刀を掴んで立ち上がると、再び満座の皆に向かってよく通る大きな声を響かせた。
「誰がためだとか、どれが有利だとか小さきことばかりを考えるな。おのおの方よ、この駿河の国のため、民のためを考えられる者となれ! よいな!」
彼らの反応も見ずに袴の裾を翻し、戻るぞ、と朔夜を促して部屋を後にした。
嵐のようだった。疾風が部屋を掻き混ぜたかのようだった。
呆気に取られたままで、見送りに立ち上がる者は誰一人いなかった。