小さな痛み
本田とのやり取りをしてから高時は城の中でしばらく瞑目していた。どこかへ祈るようにも、ただ眠っているようにも見える静かな瞑目を続ける高時に朔夜は小さく嘆息した。
「お前のオヤジさんのことは俺が必ずケリをつけてやる。腹が決まったならば一刻も早く準備をしろ。猶予はないぞ」
しばし黙って見ていた朔夜が高時を促した。
高時は朔夜の言葉をどう受け取ったのかは分からないが、軽く頷くと居城へと戻る準備を始めた。
朔夜に見えていた時則に施されていた呪法が消え失せていた。誰かに消されたのか、死んだから消えたのか、詳細は不明だったが、以前話してくれた時則の言葉が本当ならば、妖を扱える者がこの領地に侵攻してくるはずだ。それまでに内にある家督争いを解決しておかなければならない。この夜、朔夜は高時を支えることを決心した。
準備をする高時を見るともなく見遣っていると、いきなり部屋に駆け込んで来た佐和姫が勢いそのままに胸に飛び込んできた。
それはまるで小鳥が突然飛び込んで来たようで、驚いて思わず抱き留めた。
「朔夜! ずっと会いたかった」
すがりつく佐和姫は、ほんの少し見ない間に変わっていた。
艶のある髪も、焼けることのない白い肌も、大きな瞳も、それほど変わったわけではないのに、とてもしなやかになっていた。
手の中にある肩も腕も、驚くほど柔らかい。
「姫さま! なんということを!」
後から駆けつけた侍女によって引き離されそうになり、いやいやと首を振ると、上品な香の匂いが髪から立ちのぼった。
「……佐和姫、今から高時と城へ戻る。離れてくれ」
「いやよ! ようやく朔夜と会えたのに、すぐ行くなんて、ひどい!」
姫様、と困惑顔の侍女が朔夜に非難の視線を向ける。
――あなたのせいで、姫様がこのような振る舞いをするのだ、と。
いい加減、もうこの視線にも慣れていたけれど、久しぶりに見つめられたうんざりとする。
女の視線とは、どうしてこんなにも絡みつくようにねっとりとしているのか。言葉など欠片も必要ない。視線だけで全ての感情を押しつけてくる。うんざりだ。
「俺は――」
グイッと乱暴に佐和姫の肩を押しやり、後ろで手をこまねいている侍女へと押しつけながら朔夜は冷たく告げる。
「あんたの子守りになった覚えもない。正直、迷惑だ。俺に関わるな」
その言葉に佐和姫が身動きを止めた。
大きな瞳が揺れている。
きっと今まで誰からも拒絶など受けたことがないのだろう。どう受け止めていいのか、何をしたらいいのかさえ分からぬと言う表情のまま固まっている。
ツキンと胸の奥で小さな痛みが走り思わず眉根を寄せた。
この痛みは何だろうか。
分からずに朔夜は唇を噛み締めると己の手のひらに残る柔らかさを振りほどくように腕を組んだ。
「行くぞ、高時」
出しだ声はやけにぶっきらぼうになる。その意味も分からないまま高時を促して、朔夜はさっさと廊下へと歩き出した。
背中に震える視線を感じながら朔夜は城を後にした。