毒ヘビの抱きし夢
未だ跡継ぎの明確にされていない今、近隣の国に知れるのを厭って密やかに葬儀は行われた。時則の死はしばらく伏せられることになっていた。
月の明るい夜だ。
夜の庭からいつも見える富士の山がぼんやりと月明かりで浮かび上がっているようだ。風のない空気は凛として冷たい。
「何故だ……」
朔夜の小さな呟きを隣にいた高時が聞き返す。
「何故とは?」
「あの親父の命はまだ守られていたはずなのに」
「?」
「なぜ急に命を奪われた? なぜ呪法が消えていた……」
「朔夜、何を……」
問いかけようとした時、背後から本田頼興に呼ばれた。
「高時様」
掛けられた声に振り返ると、そこに膝をついて控える父の家臣が頭を下げていた。
「わたしくしは時則様亡き後は高時様にお仕えするようにと言われております。どうかその事をご承知くださいますように」
「それが、親父様の遺志か?」
「いえ。わたくしがあなたにお仕えしようと思うたのもわたくしの意志でございますれば、時則様からの命に従ったわけではありませぬ」
「親父様がおぬしにそう申していたと皆に告げれば、兄弟で相争う無用な戦は避けられるのではないのか」
振り返り本田を鋭く見返す高時の瞳が、本田に否を言わせぬ強さで威圧してくる。
その圧倒的な存在感に本田は一瞬息を呑む。が、すぐに応えた。
「時則様のご遺志はただ一つ。最も強く優れた者が跡継ぎとなること。それだけでございます」
「ほう……。自分の右腕の側近を俺に寄越しながら、それでも相争えと? 俺に継がせたいとの意思表示ではないと。あくまでも争えと?」
どんどん強くなる高時から放たれる威圧感に、それでも本田は僅かに目を細めただけで平然と頷いた。
暫しの沈黙が冷え切った庭に落ちる。
「分かった。望むなら俺が勝ち取ってやる。親父様の遺志を貰い受けてやる。龍堂高時がこの駿河を受け取ろうぞ」
凛と言い放った姿に、瞬間本田は時則の姿を重ねた。
**
足音高く城へと戻る高時の姿を見送りながら、本田の胸中は満たされていた。
以前、なぜ兄弟でわざわざ争うような危険な事をするのかと問いかけた本田に対して、
「この荒れた時代の頂に立てる後継を求めている。国内一つ統一出来ぬようでは生き残る事はできぬ。駿河一国で満足するようなヤワな跡継ぎならば、わしは誰も要らぬ。この国を滅ばさぬような強い者が必要なのだ」
そう言い放った。
目を見開いて絶句している本田に向けて、いつものニヤリと何かを企むような笑みを見せて続けた。
「だが高時は必ず立つ。時代の頂にな。この毒ヘビの龍堂時則でさえ、あやつには勝てぬと思わせるものがあるのじゃ」
「それは?」
「本田も探せ。それが見えれば奴の真価が分かる。その時は高時の力となり働いてくれ」
話す表情は何かを思い描いているのかいつになく満たされたようであった。
今ならはっきりと分かる。
本田は高時から感じ取っていた。彼が時則よりも優れているもの。それは――
人を従わせる圧倒的な存在感と、魅了して群れを率いる力強さ。
それは長年龍堂時則という、老獪で抗えぬほどに強い気力を持つ男に仕えてきた本田でさえも惹きつけてしまうものであったのだ。
時則が毒で人を惹きつけるならば、高時は華で人を惹きつける。この違いは大きい。
あまたの老練なる武将には毒の効かぬ者も多い。だが華は気付けば我知らず魅了されてしまうのだ。高時を見ていると、頂の夢を描いてしまった時則の気持ちが分かったのだ。
静かに白い息を吐き出して、本田は静かに目を閉じると去って行った高時の後ろ姿へと深く頭を下げた。