佐和姫
甲高い声で呼び止められて朔夜は廊下で振り返る。
龍堂時則の末の姫、佐和姫が呼び止めたのだ。
赤い着物は上物で、艶やかな髪は背中で切りそろえられている。ふっくらとした頬は淡い紅に染まり大きな瞳と相まって、とても愛らしい。
苦労などとは無縁でさぞ満たされて育ってきたのだろうとすぐにわかる。
朔夜の持たざるものを手にしている幼い姫が一歩足を踏み出した。
「ねえ、どうして寺の中なのに刀を挿しているの?」
それは皮肉でもなんでもなく、ただ純粋に不思議に思ったからの問いかけだ。
無垢な問いかけに朔夜は目を細める。
その眼差しが鋭かったかもしれない。
佐和姫は少しだけ肩を揺らして、それでももう一度問いかけた。
「刀をどうして挿しているの?」
なぜだろう。
甲高い声は甘さを感じて、その声が耳に届いただけで指先がチリチリと痛む。
言い知れぬ苛立ち。
なぜだろう。この身の底から湧き上がるようなもどかしさと苛立ち。自分の感情がわからなかった。
別にそこまで言うつもりもなかったのに、朔夜は気がつけば投げ捨てるような言葉を告げていた。
「――殺すため。人を殺すためだ」
そう冷たく告げた途端に佐和姫は大きな目を一層大きく見ひらいて、それからパチリと瞬きをして首を傾げた。
「寺の中は不殺生なのに? 変な人ね」
クスクスと笑った姫に朔夜は唇を噛み締めた。
――合わないな。
この世に溢れる危険も絶望も、その全てに縁のない美しく無垢な子供。
恐れることも死の恐怖も、何も知らないで生きる子供。
徹底的に合わないと、朔夜は返事もせずに背を向けるとスタスタと歩き始めた。
「あぁ、ちょっと、待ちなさい! 朔夜!」
愛らしい声で叫んだ佐和姫の声を無視して朔夜はその場を去った。