取引
数日後、和尚から呼び出された友三郎は、部屋に入って驚いた。
部屋には秀海和尚と高時、それに領主である龍堂時則りゅうどうときのり)が上座に座り、その隣には末の姫、高時の異母妹の佐和姫が好奇心に輝く瞳で辺りを見回していた。
入ってきた友三郎を見上げて時則は鷹揚な笑みを浮かべる。
「久しぶりじゃの。日置の息子よ」
「こ、これは時則様! ご無沙汰しております」
その場に座り深々と手をついて頭を下げる友三郎に、近くに寄るように促すと、親しげに顔を覗き込みながら笑みを益々深める。
隣に座る佐和姫もあどけない瞳で頭を下げている友三郎を見つめた。
佐和姫は友三郎と同じ歳だと聞いている。けれどもずっと幼く見えて、あどけなさと無垢な表情がとても可愛らしい。ただ友三郎は緊張していて佐和姫を見遣るほどの余裕はなかった。
それほど大柄ではないのに、威圧と貫録を具えた時則は重々しい存在感がある。たくわえられたヒゲを撫で上げながら、笑んだ目で見つめてくる。
「寂しくはないか? そなたのように小さい時から親元を離してしもうて済まなんだな。だがこの高時の良き側仕えとなるように励んでくれよ、友三郎」
「ははっ、この友三郎、身命を賭して励みます」
「おう、頼むぞ。高時には来年か再来年には満願寺城の城主として勤めさせようと思うておるのじゃが、その折りにはそなたも付いて参れ。よいな友三郎」
「それは、素晴らしき事にございます! 嬉しゅうございます!」
「宜しく頼むぞ。ときに和尚よ、あの噂の子供はまだ来ぬのか? わしは早く見たくて待っておるのじゃぞ」
「まあまあ、今呼びに行かせておりますので」
噂の子供? 朔夜の事かな、やっぱり密かに親子の対面か!? と友三郎が考えた途端に開け放した襖の先に朔夜が姿を現した。
「おお、朔夜よ。こちらへ参れ。ここに居られるのはこの駿河の国の領主、龍堂時則様である。高時殿のお父上だ」
ちらりと上座に座る時則に一瞥をくれ一瞬眉根を寄せてから、すぐに興味もなさそうに和尚に問いかけた。
「で、なんで俺がここに呼ばれたんだよ。俺、仕事あるんだけど」
「こら、朔夜! なんという口の利きようじゃ! ちゃんと挨拶をせぬか!」
「まあよい、和尚よ。なるほどこれはたいした子供じゃな」
声を荒げる秀海和尚を制して龍堂時則がぐいっと体を乗り出して朔夜を無遠慮に見つめると、朔夜はその視線を斬り返すように時則を睨み返した。
「おぬし、妖刀を手懐けたそうじゃな。その妖刀とやらを見せてくれ」
威圧するような獣の瞳に臆することなく、ニヤニヤ笑いを浮かべる時則に対して、朔夜は眉を寄せて嫌そうな表情を見せた。
「断る。見せびらかすものじゃない」
「ほう、ならばあれをどうするつもりじゃな。妖を手懐けるつもりか?」
「普通に刀として使ってやるだけだ」
時則は肝の据わった男として、戦国武将の中でも力押しの戦術や強引な交渉術でのし上がってきた男である。他国の武将でさえも彼を『駿河の龍』と呼んで恐れる者も少なくないのに、たかが十歳ほどの朔夜が、傲岸不遜にあしらうものだから、友三郎も秀海和尚も顔色を失って口も挟めない。ただ一人、高時だけがニヤニヤと成り行きを見守っている。
朔夜の腰に挿している脇差しに視線を走らせてから、時則は右手で顎ヒゲを撫で上げてさする。
「まだ脇差しぐらいしか挿せぬのだな。早う大きくなって噂の刀を使いこなせ。のう、朔夜と申したかの。わしはおぬしが気に入った。わしが城に来て仕えぬか」
思わぬ申し出に座敷にいた全員が目を剥いた。こんな子供を時の武将龍堂時則が召し抱えようとは、常識外れも甚だしい。だが
「御免だね。小姓にでもしようってか? こんな素性の怪しい小僧を入れりゃ、あんたの信用が落ちて家臣との仲がこじれるだけだ。それに俺は誰にも仕えるつもりもない」
「ふん、よく言うたの。この時則が申し出を断るとはいい根性をしておるな。だが、おぬしが断ればどうなるか分かるか?」
睨み付けてくる朔夜の瞳に目を細めながら、さも楽しそうに口を歪めて笑う。
「わしはこの寺を潰して燃やしても構わぬのだぞ」
「なっ!」
和尚と友三郎の顔がさっと強ばる。強引な戦で知られる時則だ。もし朔夜がここに留まることを望むなら、その場所を奪うくらいのことは本気でやるかもしれない。
朔夜は鋭い眼差しを一度歪めてから、静かに目を閉じた。
「あんた、バカじゃないのか。俺はここに居たいわけじゃない。このままこの足で寺を出て行ってやる。馬鹿げた茶番に付き合うのは御免だな。じゃあな和尚、世話になった」
クルリと背を向けて立ち去ろうとする朔夜を呼び止めたのは他でもない高時であった。
「待てよ朔夜。おまえがこの寺を出て行ったって、この親父様は腹いせに寺を燃やしかねないぞ」
良く響く高時の声に振り返り、忌々しそうに目を細めると憮然として高時に問うた。
「じゃあ俺にどうしろと?」
「取引だ。取引をしようじゃないか朔夜」
「取引?」
高時は居ずまいを正すと時則の方へと向き直り、力強い声で揺るぎなく告げた。
「親父様、朔夜はいずれ俺が側仕えとして貰い受けたいと思っておりまする」
「は?」
高時の思わぬ言葉に一瞬呆気に取られた朔夜ではあったが、そのまま黙って聞くことにしたようで、特に口を挟みはしなかった。
「そこで取引といたしましょう」
「どんな取引をしようというのじゃ、高時よ」
顎ヒゲを撫でつけながら、どこか面白そうに瞳を輝かせて時則が身を乗り出す。
「朔夜はこの寺で勉学などの修養を続けます。だが親父様が城におられる時には親父様の所に仕える。それで朔夜自身が城仕えが良いと思うたならば、親父様のところで仕えさせれば良いでしょう。だが城仕えを気に入らぬと朔夜が言うのであれば俺が貰い受けましょうぞ。いかがですかな?」
「ほう高時よ、そなたはあの小僧がこのわしを選ばぬと自信を持っておるのかの?」
「いえ、そうは申しておりませんが、朔夜は城仕えなど真っ平御免だと思っていることだけは分かります」
がはははは、と大きな口を開けて時則が大笑いを始める。心底愉快そうに笑うと、一つ膝を叩いて「うむ」と大きく頷いた。
「さすが我が子高時よ。このわしに負けぬ気なのだな。ではその取引、受けようぞ。よいな朔夜、わしが呼び出しには必ず応じよ。さもなくばこの寺は無惨な姿に成り果てるだろう。おぬしがそれでも構わぬと言うならば……」
「好きにしろ」
ぷいっと背をむけるなり、今度こそ立ち止まることなく去って行ってしまった。