星空の下
朔夜はどこに行ったのか食事にも出てこず、そのまま誰にも姿を見せずに夜を迎えた。
「よう、こんな所にいたのか。ほら握り飯、食べろよ」
夜空を見ながら庫裏の裏にある炭小屋の屋根で寝転がっていた朔夜の元に高時がうんしょっと上ってきて隣に座り、懐から竹皮に包んだ握り飯を渡した。
「いらねえ。寄ってくんな」
「そう邪険にするなよ。ほら、食えよ」
にべもない朔夜の態度にもめげずに高時は竹の皮を開いて目の前に差し出すと、ようやく朔夜の視線が少し動いて竹皮の上の握り飯を見て、それから驚いたように目を見張る。
「……これ、まさか、おまえが……」
「そ、俺が握った。これ、なかなか難しいもんだな。手にめちゃくちゃご飯粒がくっつくんだ。びっくりしたわ」
「……いや、こっちがびっくりだし。こんな不細工な握り飯は初めて見た」
「まあそんだけ苦労したってことで、ちゃんと食えよ。大きくなれんぞ」
はあ、と大仰なため息を吐き出してから手を伸ばし、しぶしぶと不格好でやたら大きな握り飯にかぶりついた。
もそもそと無言で食べる朔夜の横顔を見て、それから夜空を見上げながらクスクスと喉の奥で笑う。
「義信、野間義信。あいつさ、背は高いしいつも落ち着いて澄ました顔してるけど、幽霊とか妖怪変化とかってのがメチャクチャ苦手でさ、もう妖刀騒ぎのおかげで今夜は飯も食わずに布団に入ってしまってるんだ。人は見かけによらないだろ」
それでさ、と続ける。
「なあ、あの妖刀だが、最後におまえに何て語りかけたんだ? 名前がなんとかって言ってなかったか?」
「ああ……。バカげていると思ってんだろ? 刀と話すなんて。今思えば俺だって夢じゃないかって――」
「いいや、俺は信じるぞ。あの時、確かに妖刀が大人しくなったのを目の当たりにしたんだからな。怪異や妖魔なんかを鵜呑みにして恐れるようなバカではないと自分では思っている。だが、この目で見た怪異を無かったことにして済ますようなバカでもないつもりだ。だから俺は信じている」
手に付いたご飯粒を舐めとりながら、べたつく手のひらを見つめていた朔夜だったが、ポツリと呟いた。
「……霧雨と。名は霧雨だと最後に言った。使い手にようやく出会えたと」
寂しがっていた気持ちが流れ込んできたんだ、と目を閉じて思い返すように手のひらを握りしめると天を仰いだ。
助けたかったのに、と。最後に小さな呟きが聞こえた。
「あの時、助けてくれてありがとうな。あの刀に魅入られてぼうっとしてしまっていた」
昨夜は我に返ったようにゆっくりと高時の方へと視線を戻す。
月に照らされた獣の瞳は、吸い込まれそうな闇の深さと光が同居していて、しばし言葉を飲み込んだ。
「……握り飯、上手かった」
そう言ってひょいと軽く屋根から地上へと飛び降りてしまった朔夜の姿を、懐きかけた猫がするりと手元から逃げ出したような、少し寂しい気持ちで見送った。
その頃、再封印された社の前に一人の男が佇んでいる事を二人は知る由も無かった。