妖刀
「了念! 落ち着け!」
ざっくりと腕を斬られた僧侶を抱き上げて、他の僧侶が慌てて止めようとするが、狂ったように刀を振り回すばかりで、了念とよばれた僧侶は自分で自分を止めることができないようだった。
すぐに剣術指南をしている僧が槍で刀を抑えようと構えるが、力任せに滅茶苦茶に振り回すので、狙いが付けられない。
「危険じゃ! 皆下がれ! 誰ぞ封印の札を庫裡から取ってきてくれ!」
様子を見に来ただけなので、封印したくとも手元にお札がなかったのだ。
とにかくこの刀の周囲は危険だ。
皆が一斉に了念から離れると、まるで餌を隠された獣のように、狂った踊りをしながらゆらりゆらりと歩き出す。止めたくとも迂闊に切り込めば刀を持つ了念を斬りかねない。ゆらりゆらりと高時らのいる方へと近づいてくる。
了念の目はどこにも焦点は合わず、口からは涎がだらしなく零れている。その異様な情景にまるで金縛りであったように誰もが呆然としていた。
「高時殿! 皆、寺へ逃げなさい!」
和尚の割れ鐘のような声が叱責のように飛ぶ。だが、今背を向けて走り出すのもなぜか恐ろしく、それに光りを集める刃から目を離すことが出来なくなってしまっていた。
ビウ、と刀が高時ら一群の中へ振り下ろされる。
「高時殿――っ!」
和尚の絶叫と刃がガチリと受け止められた音はほぼ同時であった。
妖刀に見入っていた高時を突き飛ばして低い位置で刃を受け止めたのは朔夜の脇差であった。
驚いたように了念の動きが止まる。
その瞬間を見逃しはしなかった。
妖刀を跳ね上げるなり、一瞬で相手の懐に飛び込んで肘を思いっきり鳩尾に叩きこむ。さらに妖刀を上から叩きのめすかのように打ち払うと、ぐらりと意識を失った了念が地に倒れこみ、ようやく妖刀が手からこぼれおちた。
辺りは水を打ったようにシンと静まっている。倒れた僧侶には目もくれず、朔夜はひたすらにその手からこぼれおちた妖刀を見つめていた。
朔夜はおもむろに屈みこむと、そっと妖刀へと手を伸ばす。
「触ってはならん! 朔夜!」
和尚が叫んだが、朔夜の小さな手は妖刀の柄を既に握りしめていた。
「……ぶだ」
何かを呟きながらゆるりと立ち上がる。凍りついたように誰も身動きできない。
動いているのはただ一人、妖刀を握りしめた朔夜だけだ。その朔夜が和尚の方へと首をめぐらせて、鋭い瞳で見つめながらもう一度呟いた。
「……大丈夫だ、和尚」
「なっ、朔夜?」
「大丈夫だ、もう暴れない」
睨むように和尚を見上げると、今度ははっきりと宣言するように告げた。
「暴れない、とはどう言うことだ?」
朔夜の目は鋭く光っているが、真っ直ぐだ。妖刀に操られているようすもない。ごくりと唾を飲み込んだ和尚は再度問いかけた。
「どう言うことなのだ、朔夜?」
「この妖刀の声が聞こえる。俺に会いたかったそうだ。もう暴れないと言っている」
「なんじゃと! 妖刀の声だと?」
「で、出鱈目を言うな!」
朔夜の背後から声を上げたのは西野であった。
背の高い義信は既に顔面蒼白で完全に固まっている。その後ろから顔だけを覗かせて朔夜を睨みつけている。
「そ、そんな馬鹿げた話があるわけない! おまえ、妖刀が欲しくてそんな出まかせを言っているんだろう!」
ギッと鋭く睨みつけられた西野は、まるで肉食獣に狙われたうさぎのように、ぶるぶると震えて棒のように立っている義信の背中に隠れた。
「のう、朔夜よ……」
ゆっくりと落ち着かせようとするが如く話しかける和尚に向かって朔夜が切り返して鋭く睨み返す。
「嘘じゃない。こいつは使われたくて泣いていた。俺には聞こえる。こいつの鼓動まで感じる」
「じゃがそいつは禍を呼ぶ妖刀じゃ。封印せねばならない」
庫裡から封印の札を取って来た僧侶が秀海和尚に手渡す。それを黙って見つめていた朔夜は、小さくため息をついて刀を社へと運び始める。
社の前に落ちている美麗な鞘を拾い上げた時、朔夜は刀に向かい呟いた。
「そうか。それがお前の名なんだな」
そして間髪入れずに鞘に素早く納めると、一息に刀を社の中の刀掛へとそっと置き、振り向きもしないで、ただ黙ってそのまま寺へと帰って行ってしまった。
高時たちは圧倒されたように誰も身動き一つ出来ないままその背中を見送った。