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囚人  作者: 入魚ひえん
3/4


 気づいたときには、俺はカイと並んで元倉庫のソファベッドの端に座りながら、カイの質問に答えていた。

 ぽつりぽつりと答えているうちに、自分から話すよりはずっと手際よく、カイを呼び出した経緯を伝え終える。

 カイは「そういうのが見える知り合いもいるけど。俺自身はそういうの、あんまり信じないんだよね」と前置きした。


「シンにだけ見えるってのは、あるかもよ。シンは特別に妹思いだから」

「特別ってことはないだろ。兄として、妹が大切なのは当然だから」

「そうでもないよ。妹だから憎まれる人だっている。それにシンはジュリの頼みなら、『それはできない』『無理だ』って言いながらも、いつの間にか叶えている節があるし」

「うーん……そうだったか?」

「もちろん、今もそうだと思うよ」


 特に思い当たることもなく、俺は頭を掻く。

 カイは缶コーヒーに口をつけながら、扇風機の風で前髪を揺らしていた。

 温風を受けるその横顔が、涼しげに映る。

 目が合いかけて、俺は慌てて視線を足元に落とした。


「……でも、それなら。俺に樹里の姿が見えて、カイに樹里の姿が見えないのは納得だけどな」


 カイは樹里の望むまま、恋人であることをを演じてくれていた。

 それがなぜかは、俺にもわからない。

 ただカイは、樹里がひどい八つ当たりをしても、泣きわめいても、感情のままに暴れても、コーヒーを飲むのと同じ顔で、あらゆることをこなしてくれた。

 だから俺は、カイが樹里の知らないところでなにをしていても、咎めるつもりはない。

 視線を感じて顔を上げると、カイはどこか楽しそうに目を細めた。


「シンには負けるかもしれないけど、俺もジュリが好きだよ」

「嘘つけ。カイはナツが好きだったんだろ」


 カイは缶コーヒーを両方の手のひらで包み、コンクリートを仰いだ。


「俺にもさ、目を伏せたいことのひとつやふたつ、あるんだよね」

「それは残念だったな。鈍感だと散々コケにされていた俺でも、カイがナツのことをどう思っているのかはわかったな」

「俺が話しているのは、そうじゃないよ。俺には閉じ込めておきたい、汚物のように嫌悪しているものがある。時々それを、暴きたくて仕方なくなるんだよ。でもその正体が見えかけた瞬間、絶叫しそうになる」

「カイが叫びたくなるのか?」

「嘘だよ」

「おい、なんの話だ」

「つまりさ。俺はナツが好きだけど、シンの思っているような好きではないんだよね」


 カイはたまに、理解しがたい話術で話をそらそうとする。

 相変わらずさっぱり意味がわからなったけれど、会話のついでに、俺は今まで樹里の前では追求できなかったことを言ってやる。


「それならどうして、樹里の横でナツとあんなことになってたんだよ。マセガキが」

「あれは色々と間違えたんだ。反省してる」

「樹里のいないところで何人間違えてるのかは、この際置いておく。でもな、樹里の寝てる横ってのはどうなんだ? おかげで樹里は、ナツを刺し殺すところだったんだぞ」

「やっぱりシンは、ジュリが好きだよね」

「どうしてそこに繋がるんだよ」

「俺の中では主語が違うから。ナツが樹里に刺された、のほうが近い」


 俺は言い返そうとして、やめた。

 主語とか述語とか、言われたところであまり聞きたくないし、俺にカイをなじる理由がないのもわかっている。

 カイがコンビニで買ってきた、もうぬるい麦茶を喉に流し込もうとして、むせた。

 樹里がいる。

 先ほどの壁際に、なにごともなかったような顔で、膝を抱いて座っている。

 カイに背中をさすられ、渡されたティッシュで口や鼻から出た麦茶を拭いている間も、樹里の視線はまっすぐ俺を突き刺していた。


「いるの?」


 カイに問われ、俺は頷く。


「それなら、どうしてここにいるのか、聞いてみたら?」


 樹里に聞く。

 動転していたとはいえ、なんて当たり前なことに、今まで気づかなかったのだろう。

 俺は咳が治まってから、樹里を見つめた。


「樹里、どうしてここにいるんだ?」


 樹里の口元が、ゆったりと動く。


──ナツ……。


 樹里は呟きながら、悲しそうに顔を歪めた。

 俺は昔と同じく、ヒステリーを起こした後の樹里に接するときの声で聞き返す。


「ナツが、どうかしたのか?」


 懐かしい、少し早口で畳みかけるような声が、つっかえながら震えた。


──ナツ、どうして会いに、来て、くれないの。早く来てよ。早く、来て。


 樹里は鼻をすすりながら、手元に視線を落とす。

 なにか平べったいものを握り、それを愛おしそうに撫でた。

 蛍光灯が点滅して、それは鈍く光る。

 自傷行為をやめられなかった樹里が、枕元によく隠して眠っていたカッターだった。


──ナツ、早く来て。今度はしっかり、あたしの、お守りで刺して、あげるから。


 暑さで汗をかいている全身が、氷を含んだかのように冷える。

 樹里はそんなこと、言ったことなどない。

 でも、おそらく、そうすることを願っていた。

 今もあの頃と変わらず、屈折した愛情でナツを求めている樹里は、哀れだった。

 俺はナツの横顔を思い出す。

 傷つけてもらうことを望むように、樹里のそばから離れなかったナツは、もういない。


「樹里、ナツは変わったよ。おまえの知ってるナツは、もういないんだ」


 カッターを撫でていた樹里は、俺にぎょろりとまなざしを向ける。

 うつろな瞳に、暗い光が濁っていた。


──知ってる。ナツは、あたしのことなんか、忘れた。あれほど、生きることを投げ出し、たがっていたのに、ナツは生きている。どうして、あたしじゃなくて、ナツが生きているの。ナツが。ナツがナツがナツがナツが!


「シン!」


 カイとは思えない、大きな声が耳を打った。

 肩を揺さぶられていることに気づき、俺は目の前のカイを見つめる。

 カイは冷酷にも近い、冷静な顔をしていた。


「シン、樹里はなんて言ってるの?」


 今にも弾けてしまいそうな激しさで、心臓が全身を打っている。

 俺は深く息を吸った。

 暑さのせいではない、額に浮かんだ汗をぬぐっても、それだけだとは思えない嫌なものがまとわりついている。

 答えを待つカイから、俺は目を伏せた。

 なんとか押し出す声は、情けないほど弱々しい。


「樹里は……本当はカイと話したかったんだけど、話せなくてがっかりしてたみたいだ」

「ナツじゃなくて、俺なの?」

「……ああ、うん、そうだよ。でもカイに会えただけでもよかったって、喜んでる」


──嘘つき。


 俺は顔を上げたが、樹里はいなかった。


「樹里?」


 カイを振りほどき、あたりを見回しても、樹里は見当たらない。


「シン、ジュリがどうかしたの?」


 カイの声に、俺は振り返れなかった。


「……ああ。樹里はカイに会えたから満足したらしい。だから、もういなくなったみたいだ。カイ、ありがとな」


 俺の作り笑いが、じりりと鳴った蛍光灯と重なった。



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