たまごがゆ
「……はあ」
深くため息を吐き出して、先程の顔色の悪いフィリアの言葉を思い出す。
誰かの為に自分を犠牲にして来たのだろう。
心の中にある本心を思わずの形で聞いてしまった。
会って間も無い人間の世話を焼くなんて、俺らしく無い。
けれど、朝元気過ぎた故の落差に、本当は無理をしていたのかもしれないと自覚する。
このワカバタウンの連中がお節介なのはここに越して来てよーく分かったつもりだ。
もし頑なに否定しようものなら猫の子を構うが如く烈火の勢いで構ってくるだろう。
それが息苦しく無いのなら、その肩の荷を少しでも下ろしてられれば……とまで考えたものの、やはりらしくないと頭をガリガリとかいた。
「ひとまずアヴェルに飯……か」
また大きくため息を吐き出しながら、俺は今朝フィリアと通った道を歩き出す。
レストランに着いてアヴェルに事情を話すと、たまたま店内に居たアルトが心配そうに「大丈夫なの!?」と俺の服の裾を掴み「じゃあたまごがゆでも作ろうかな〜」とアヴェルはキッチンに引っ込んだ。
「頭が痛いんだと、あと吐き気。
初めは視界が真っ白になったと言ってたな」
「……ワカバタウンにはお医者様が居ないから、たまにこう言う事があると本当に心配だよ。
ここから別の街へ行こうとすると、日数が掛かっちゃうしね」
「そう言う街、だからな。
他所とは距離があるに越した事はない」
「そうだけど……」
アルトが視線を逸らす。
考えている事は分かるが、所詮は街なのだ。
それに、来たばかりの時は気を張っていて、その力が抜けた時に体調を崩すのは良くある事。
注意して見ていて良かった。
「この事エバさんには言った?」
「いや、先に飯だと思って言ってない」
「それなら僕が行ってくるよ、ついでに何か持ってくるものあるかな」
「それならついでに馬車引いて来て、明日には改装でしょう?
エバさんに言って部屋用意してもらうと良いよー」
「部屋?」
「そう、ご飯もエバさんのところに運ぶよ。
その方が誰かに見てもらえてるって安心するだろうし」
そう言われて、俺もアルトも頷いた。
馬車は到着次第俺が牧場まで行き、フィリアを乗せてエバさんの家へ。
アルトにはエバさんにこの事を伝えてもらって部屋を用意してもらう。
改装中はエバさんの家で過ごす事は起きてから伝える事になった。
既に夕食の時間になったものの、部屋からフィリアが起きて来る気配は無い。
リビングで何度も時計を見ているとエバさんが笑ったので、思わず振り返った。
「……なに」
「うふふ、フィリアさんが心配?」
「別に」
「隠さなくても良いわ、だって私も心配だもの」
その割にはにこにこと笑顔を絶やさない。
「あなたがここに来て、もう6年。
あの子は見込みがあって?」
「……根性は、あると思う。
真面目だし、都会の生まれだからって適当な感じじゃないし。
でもまだ分からない、途中で投げ出すかもしれないしな……前の牧場主みたいに」
「あの子は心配、しなくて良いと思うけれど」
「分からねえよ!どんな人間だって、どれだけ良い子の仮面を付けていたって……居なくなる時は、居なくなる」
エバさんの視線が痛くて、俺は逃げる様に部屋へと向かった。
フィリアが来る前、このワカバタウンの牧場主を募集していた頃。
一人の女がやって来た。
そいつは国の皇女として生まれたが、のどかな場所で一生を過ごしたいと自らの地位を捨ててワカバタウンへやって来た。
その時の教育係も、俺だった。
エバさんにしごかれた過去を持つので教育係に任命されたものの、仕事の多くは人任せ。
やり方が分からない、どうすればいいのか分からないと言い、最終的には「見本を見せてほしい」と言って作業のほぼ全てを俺がこなしていた。
1ヶ月が経った頃、我慢の限界だった事もあってエバさんに相談すると。
その夜三台程の馬車がワカバタウンにやって来て、その女は俺とエバさんにこう言った。
「こんな泥臭い事を毎日するなんてもううんざり、こんな場所来るんじゃ無かった」
それはこの1ヶ月を共に過ごしたワカバタウンの住人への不満の言葉だった。
立地の不便さ、街の人間達の過保護な程の接触、都会にある全ての物が消え失せた時代錯誤の街だと罵り、女は国へ帰って行った。
その言葉を聞いた時、ああ、どれだけ言葉を尽くしても覆らないものがあるのだと理解する。
フィリアとアレを比べるべくも無い事だが、それでも恐れてしまう。
また、俺のせいで人が居なくなる事。
それがどうしようもなく怖い。
フィリアに言った言葉の多くは昔の自分が悩んでいた事だった。
誰かの為に頑張る、任された事をこなすのが自分の存在意義なのだと思っていた。
けれどその時俺はアレの分まで働いて、自分をすり減らしていたのだ。
「……偉そうに言ったところで、付いて来ないやつだったら……」
そこまで考えて全て無駄かとため息を吐き出すと、廊下からガタンッと音がしたので慌てて飛び出た。
「……サニエルさん」
「お前……アホか、せめて誰か呼べよ」
廊下の真ん中でびっくりした様に固まるフィリアに「エバさんの家」と呟く。
先程の言葉は聞こえていない筈なので、そのまま「明日改装だろう」と繋げた。
「改装中はこの家から牧場に行けば良い。
体調のこともあるし、明日の研修は延期だけどな」
「えっ!そんな、大丈夫です、行けます!」
握り拳を作って首を振るので、慌てて頭を両手で掴んで固定する。
「頭が痛がってた奴がいきなり動かすやつがあるか!」
「ううっ、痛い……」
「まだ痛むのか……水分取れ水分!
もしかしたら水分足りてなかったんじゃねえか!?」
そのままの勢いで抱き上げ部屋に戻すと、小さく呻きながらモゴモゴと何か呟いている様だ。
「すみませんー……ごめんなさいー……」
「謝るなっての」
「……私、頑張りますから。
お願いします、サニエルさん」
「は?」
ベッドに横たえると「私、身の丈に合わない生き方をして来たみたいで」と言われて先程の倒れた時の話しかと気付く。
「ずっと、誰かの為に生きるのがとても辛くて、しんどくて。
だから逃げ出して来たのに……また同じ事、繰り返すところでした」
「そうだな」
「でも、牧場をやって行く事は、やめたくないって思ってるんです。
初めての事ばっかりですけど、机にかじりついてパソコンと睨めっこするよりも、クワを振るって雑草を抜いて畑を整地する方が楽しい、です」
「……そうかよ」
布団に潜り込んで「みなさんも、すごく優しいですし」と呟いたフィリアは俺を見上げて「サニエルさんも」と笑顔を向ける。
「多分、まだまだこれからサニエルさんや皆さんに助けていただくことがあると思うんですけど……今度は私がそれ以上に返せる様に、頑張ります」
その笑顔に、俺は結局敵わないなと理解するのだ。
コイツは媚びているわけじゃない。
持っているものやそれ以上を求める事はもう無いだろう。
持てる中で、無理せず、頼り頼られるような。
ワカバタウンの住人の一人になる事だろう。
「また、倒れないように自己管理しっかりな」
「はい!」
瞬間、ぐぅううと大きな音が響いて、フィリアが顔を真っ赤に染め上げた。
タイミング良くノックが鳴ってエバさんが顔を出すと、その手にはアヴェルが作ったたまごがゆがトレーに乗せられており、フィリアはそれを恥ずかしそうにちびちびと食べ進めるのだった。
今フィリアに答えを出せと言っても、きっと「やります!」と言うだけだろう。
それならその時まで、俺が牧場主として必要な研修や活動の方法を教えて巣立つまで。
その間だけ、信じようと決める事にした。
フィリアはアレじゃない。
まったく別の人間で、比べるのが失礼だと感じるくらいに真面目で、だからこそ少しだけ心配になる。
俺は出て来た答えを胸の奥にしまい込むと、完食したフィリアにうっすらと笑みを向けるのだった。