いきなりのこと
「どうした、気持ち悪いのか?」
「頭が……痛くて」
「頭?」
言われたサニエルさんは、私を部屋に運び入れてベッドへと寝かせようとする。
しかし、頭が揺れた途端唐突な吐き気が湧き起こり思わず口元を覆った。
「寝なくて良い、壁に身体預けるぞ。
バケツ用意するからちょっと待ってろ」
声だけが遠ざかって、まだ白に支配された視界はモヤがかかった様に不明瞭で、私は頭痛と吐き気に懸命に耐えた。
しばらくして帰って来たサニエルさんは「ここ、遠慮せず吐けよ」と言ってベットサイドにある低いテーブルにバケツを乗せたようだ。
「こう言うのは初めてか」
「はい……今まで頭が痛くなる事はあっても、身体の力が抜けたり……目の前が真っ白になった事は無くて」
「目の前が真っ白?……俺の顔、見えるか?」
優しい声にふるふると緩く首を振る。
少し気落ちした声に申し訳なくなった。
まだまだやるべき事はたくさんあるのに。
今日教えてくれたことの復習も、耕していない畑も、整理出来ていない畑だってまだまだあると言うのに。
どうして私はこうなんだろう……動かないといけない時に動けなくて、丈夫だけが取り柄だったのに。
そう考えていると余計に頭が痛む気がして、小さく呻く。
「……ごめん、なさい……」
「謝るな」
ピシャリと言われた言葉に思わず怯む。
しかしすぐにサニエルさんが慌てたように「あー……違う、怒ってるとかじゃないぞ!」と訂正を入れた。
「体調不良なんざ誰でもなるもんだ、自己管理を徹底してる奴だって風邪を引く時は引く。
だからお前が悪い訳じゃ無い、だから謝らなくて良い……って意味だ」
「でも……私、何も出来ない、から……」
「あ?」
「私は良い子じゃ無いと……いけない、のに。
なのにどうしても優れた人が居て、私は凡人で。
たくさんたくさん、彼等よりも努力しなくては、ダメです。
やらなくちゃいけないことも……たくさん、あるのに」
静かに吐露したのは、私の一番怖い事。
誰かからの信頼を無くしたら、私は終わる。
その為に優秀な人達よりも何十倍も努力しないと、私の存在価値は失われてしまう。
誰よりも出来るように、誰からも疎まれないように。
ああ……怖い、私を必要とされなくなって、捨てられるのが怖い。
見向きもされなくなってしまう怖さを知った時、恐怖に打ち震えたのだ。
「だから……私は」
「今、お前がしているのは身の丈に合わねえ無茶だぞ」
「……え」
思わず声の方向へ視線を向けると、深いため息と共にサニエルさんの声が耳朶に響いた。
「今お前がしてるのは無謀ってやつだ。
世の中ってのはな、俺やお前一人居なくなっても回って行く。
どれだけ有能な奴でも、他の誰かがその席に着いたらその瞬間にそいつの席になって歯車は回る。
だからお前はその場所で、身の丈に合った分で動いて行く必要はあるが……他の誰かの分まで補ってたらお前が疲れるだけだ。
その結果がこれなんじゃねえの?」
言われて、私は自分を省みる事にした。
誰かの代わりを引き受けると、その他の人達からも頼られるようになった。
そして私は今よりもっと頑張るようになる。
そしてまたその他の人達からも任されるようになった。
さらにもっともっと、もっともっともっと頑張らないと業務に支障をきたす事になる。
そうなると更なる努力が必要になった。
「お前に任せた奴らは仕事が減るから良いだろうが、お前がお前の時間を使って、心を削ってやってやる必要は無い。
要らないものは要らない、そう言って良い」
「で、でも……」
「それにお前は今ここに居るだろう。
他の誰かの重荷を背負う必要は無い、今のお前には、必要が無いんだよ」
「……今の、私には……」
必要が無い事。
さっきまで、脈拍と共に押し寄せていた頭痛が和らぐ。
自分の手を力強く握っていたのを、サニエルさんはゆっくりと解いた。
いつのまにか取り戻していた元の視界には、心配そうに私を見下ろすサニエルさんが居て「目、見えるか」と首を傾げる。
「はい」
「お前は自分を追い込み過ぎなんじゃねえの?
初めてのやつが何も出来なくても別に怒りゃしねえし。
まあ……根性のある奴だと、思ったし。
少なくともこのワカバタウンの奴等は世話焼きのお節介野郎どもの巣窟だ。
安心して、自分の思う通り過ごして行けば良いんじゃねえの?」
ぽんと乗った掌が思った以上に大きくて、笑った顔が少しだけ幼く見えて。
私はその言葉にとても救われた気がした。
「サニエルさんに、迷惑を掛けてしまうかも……」
「はあ?新人はそんなもんだろ?
ここに来たからにはエバさんに認めてもらえる様な牧場主に育て上げるつもりだし……そう言う事は遠慮すんな」
「……はい」
ガシガシと乱暴に頭を撫でられて、サニエルさんは思わずハッとした様に手を離す。
何故?と私が首を傾げると「見んな」と呟いて目元に大きな掌を置いた。
「今日は終わり、寝てろ。
どうせ明日まで何も無いだろ。
一応晩飯は持って来てやるから、それまでゆっくり寝てろ」
「……すみません」
「良いって」
ベッドに入ると「ちゃんと寝てろよ、おやすみ」と呟いて、部屋の電気を消してサニエルさんは出て行ってしまった。
誰かにおやすみと言ってもらうのなんて、何年ぶりだろうと幸せな気持ちに浸りながら、私は目を閉じた。