とある村の生け贄と水神様
この作品は童話企画小説です。十一月のテーマは『日本の童話』です。他の先生方の素敵な作品は『十一月の童話』で検索すると読むことが出来ます。
今日も太陽は高く、痛いとさえ感じる日光が地面をじりじりと焼いています。田はからからに干上がり、ごうごうと流れていた大河も今ではさらさらと少量の水が流れるのみです。青々と太陽に向かって伸びていたはずの稲も、今ではしおしおと地面を向いています。井戸の水もついに明日には空っぽになってしまいます。つまりは夏が来てから唯の一度さえ雨が降っていないのです。
村の大人たちはみんなを集めてすぐさま話し合いを始めました。
この村の長である田五作さんが言います。
「このままじゃ、わすらは死ぬしかね。どすればいべ?」
田五作さんは少々困っているように眉根を寄せました。まるで自分は何も知らないとでも言うかのように。
村のみんなは田五作さんを責めるように睨みました。わたしも迫力は無いながらも田五作さんを睨みます。それでも田五作さんは自分から言いませんでした。
痛いほどの沈黙が村を支配しました。辺りには苦しみに喘ぐような夏の虫たちの叫び声が満ちています。太陽は容赦なくわたしたちを照らし、じわじわと体力を奪っていきます。
とても時間が過ぎたようにも思えますし、全く時間が過ぎていないようにも思えます。ただ、わたしの意識は半分くらいが眠ってしまったようで足元がぐらぐら揺れているように感じます。わたしが倒れてしまいそうになるその時、田五作さんは諦めたように声を上げました。
「……わの口から言うのは嫌だが、仕方ね。水神様に、生け贄を出すべ」
集まったみんなは沈痛そうな面持ちで小さく頷きました。わたしも頷きました。自分が生け贄に選ばれないことを強く祈りながら。恐らく、わたしと近い年の女の子も同じことを考えているのでしょう。小さく手を合わせているのが見えました。
大人たちが集まって小声で話し合っています。彼らは自分の娘はやめてくれと、醜く言い争っているのでしょう。そう考えるとわたしが不利なのに気付きました。わたしには弟以外の家族がいないのですから。
まぁ、わたしが生け贄になったところでどうということもありません。わたしのように何をやらせてもどんくさい、失敗ばかりの穀潰しなんて村のお荷物でしょうし。恐らく、わたしは生け贄としてしか村の役に立てないでしょう。それならばわたしは喜んで生け贄になりましょう。恐らくそれがわたしに与えられた運命なのでしょうから。
程なくして、大人たちの輪が解かれました。生け贄を誰にするのか決まったのでしょう。田五作さんが話し出しました。
「ほんに言いにぐいが、生け贄には……」
田五作さんはそこで言葉を切って、誰かを探すように視線をさまよわせます。わたしと目が合いました。田五作さんは申し訳なさそうに目を伏せました。
「お陵、おめが行ってけれ」
わたしの心は決まっています。わたしはしっかりと頷きました。
「はい、分かりました」
わたしは顔を上げ、ちらりと村のみんなの方へ目を向けました。みんな胸をなで下ろすように安堵のため息をこぼしていました。ただ一人、小一を除いて。
小一は田五作さんに食ってかかります。
「どうしてねぇちゃんが生け贄なんだよ!」
「そりゃあ、おめぇ……」
田五作さんは言いにくそうに口を閉ざし、小一から目を逸らしました。小一はそれが気に入らなかったのでしょう、背伸びしながら田五作さんの胸倉を掴みました。
「田五作さん、何とか言ってくれよ!」
田五作さんは目を逸らすだけでした。小一は尚も食い下がりましたが、口を割らない田五作さんに業を煮やしたのか、わたしに歩み寄ってきました。
「ねぇちゃんはいいのかよ!? 生け贄になるってことは死ぬってことだぞ!?」
わたしは小一の頭に優しく手を載せました。顔にはきっと苦笑いが浮かんでいることでしょう。
「わたしは、村と小一が守れればそれでいいから……」
「そんなことっ……!」
小一はわたしをじっと睨みつけます。わたしは苦笑いを浮かべながらもしっかりと小一を見詰め返します。
しばらくして、ふと小一が目を逸らしました。わたしの決意が揺るがないということが伝わったのでしょうか。
「ねぇちゃんの決意は硬すぎるよ。……駄々こねてごめん」
わたしは頷く代わりに、小一の頭をくしゃくしゃと優しく撫でました。
「田五作さんの言うことを聞いて、真面目に生きなさいね」
「……うん」
小一が悲しそうに、しかししっかりと頷くのを見届けて、わたしは田五作さんに向き直りました。
「ではわたしは水神様の御元へ行きます」
田五作さんは面食らったように目を丸くしました。
「もういぐのが?」
「はい。……では弟を頼みます」
わたしはそれだけを言うと、そのままきびすを返して山の中にある水神様の祠へと向かいます。後ろからわたしを引き留めるような、わたしを送り出すような声が聞こえてきましたが、わたしは振り返りません。振り返ってしまったら、もう水神様の御前にたどり着けないような気がしたのです。わたしは村のみんなの声を振り切って、水神様の祠へと続く獣道へと分け入っていくのでした。
それからのことは良く覚えていません。気がつけば目の前に水神様の祠と小さなあばら屋が建っていた、という印象です。ずっと誰かに操られて歩いて来たような気がして、背筋が冷たく感じました。忘れていた死の恐怖を呼び起こしました。それでもわたしは生け贄としての使命を果たさなければなりません。わたしは一歩、また一歩、じりじりと祠へと近付いて行きます。祠まであと一歩のところまで……、
「やあ。そろそろ来る頃だと思ってたよ」
聞き慣れない男性の真後ろからの声に、心臓が止まりそうになりました。足が竦んで振り返ることもできません。
「どうしたんだい? まぁいいか。とにかく入りなよ」
男性はわたしの横を抜けてあばら屋の扉を開き、優しい微笑みを浮かべてわたしを手招きします。
男性は少年というには少し大人で、青年とするにはすこし子供っぽい顔つきをしています。髪は無造作にのばされたままで、着物は村のみんなと似たものを着ていました。
彼から漂う優しい雰囲気に安心してしまって、わたしの膝から力が抜け、すとんと地面に座り込んでしまいました。彼はわたしに慌てて駆け寄ります。
「ちょっと、……大丈夫かい?」
わたしは顔が熱くなるのを感じながら彼から目を逸らして答えます。
「はい……。腰が抜けてしまったようで……」
「あははは。恥ずかしがることはないよ。これまで生け贄として来たみんなも腰を抜かしてたから」
青年は軽やかに笑いながらわたしを抱き上げました。わたしの顔はまたまた熱くなります。同時に、ふと優しい彼が誰なのかが気になりました。
「あの、あなたは誰なのですか?」
彼はわたしの質問を質問で返します。
「僕が誰なのか、分からないかい?」
わたしは少し考えて、本当に分からなくて首を横に振りました。彼は悪戯っぽい笑みを浮かべて自己紹介しました。
「僕はそこの祠に奉られてる水神様さ」
そうして、わたしは何故か囲炉裏の前でお茶の入った湯のみを手に持っています。囲炉裏の向こう側では同じように水神様がお茶を啜っています。じっと湯のみを睨んで動かない私に気付いた水神様は、
「ん、どうしたの? お茶が冷めちゃうよ」
そう優しく微笑みました。それでもわたしはお茶に手を付けられません。村のみんなが苦しんでいるときに、わたし一人だけ呑気にお茶なんて飲んでいられるわけがありません。
わたしは湯のみをそっと囲炉裏の傍に置いて頭を下げました。
「水神様! どうか雨を降らせてください! 村を、救ってください!!」
「………」
水神様は黙ったまま、ゆっくりと湯のみを置きました。優しげだった眼差しが一瞬のうちに冷たい光を放つ、鋭い視線に変貌します。
「一つ、質問をしよう。答えによっては君を村へ帰してあげよう。そして約束する。どんな答えであろうと雨は降らせる」
水神様の冷たい気配に、わたしの喉は言うことをきかなくなります。わたしは声が出せない代わりにしっかりと頷きました。水神様は小さく頷き返します。
「では、質問しよう。君は自分の未来と村のみんな、どちらが大切かな?」
わたしは考えることなく答えます。答えは決まっているのですから。
「村のみんなに決まっています。だからわたしがここに来たんです」
水神様は小さく横に首を振りました。
「それは君が決めたことじゃない、生け贄としての使命だよ。僕が聞きたいのは君の本心さ」
「わたしの、本心、ですか?」
「そう」
わたしは考え込みました。なにも思い浮かんできません。自分の考えなんて無いのかもしれません。
「わたしの、わたしの本心なんて……」
水神様は困ったように眉根をよせます。
「そうだね……。例えば、村は助けて欲しいけど居なくなって欲しい人がいるとか、やっぱり死ぬのは嫌だとか……」
それは地獄の鬼の囁きのようでした。小一のことが気になって仕方がないわたしの心を容赦なく揺さぶります。世界に別れを告げなければならない死の恐怖が再びわたしを苛みます。わたしに辛く当たったみんなの顔が浮かびます。
それでも、それでもわたしは、
「わたしはただ村を救って欲しいだけです……」
わたしの代わりに村の誰かを差し出すことは出来ませんでした。
水神様はわたしをじっと見つめます。わたしもじっと見つめ返します。自分の決意が揺らがないようにじっと見つめました。
しばらくして、水神様は諦めたように深くため息をついた。
「君の決意は分かったよ。君から対価を貰おう」
水神様はそう言っておもむろに立ち上がり、わたしの傍に歩み寄ります。そして、わたしの頭の上に手をかざしました。
「それじゃ、またね」
水神様のその一言で、わたしの意識は急速に遠のいていきます。最後に浮かんだのは、別れ際に見た悲しそうな小一の顔でした。
それから、何度も太陽が昇っては落ち、何度も月が満ちては欠け、何度も木が葉を付けては落とし、何人もの人が生まれては老いて死んでいきました。
そしてわたしは、まだ生きていました。生け贄に行った時から全く成長も老いもしていません。それというのも、水神様がわたしから対価として奪ったのがわたしの中の時間だったからです。時間を失ったわたしは、死ぬことも生きることも出来ずにこの世に存在し続けることしかできないのです。
わたしは、今では無くなってしまった藁葺きの家の屋根の上に登って村を見渡しました。昔は、この時期であれば金色の絨毯のように稲穂が輝いていたのに、今では耕す人がいない荒れ地でしかありません。
家々は殆どが廃墟で、わたしの家と隣のもう一軒以外に人は住んでいません。その隣の家というのもつい先日に主を亡くし、今は葬式の為に孫家族が仮の宿として使っているだけです。
わたしはふと悲しくなって、頬に熱いものが流れるのを感じました。時はわたしから愛する人々だけでなく、愛した村さえ奪って行くのです。
「陵姉ちゃ〜ん!」
その声は小一の声に本当に似ていて、どきりとわたしの胸を躍らせます。でも、それは小一の声ではありませんでした。隣の死んだ住人の曾孫に当たる少年の声です。わたしは屋根の上からひらりと飛び降りました。
「どうしたの? 大輔くん」
わたしは小一によく似た少年、大輔くんの顔を覗き込みます。大輔くんは恥ずかしげに視線をわたしから逸らして言いました。
「あのさ、陵姉ちゃんも一緒に来ない?」
大輔くんの提案は魅力的なものでした。誰もいない寂しい村に残るよりは、たくさんの隣人がいる騒がしい都会の方が楽しいかもしれません。それでも……、
「ごめんね……」
村を捨てることは出来ません。
「そう、だよね。陵姉ちゃんは土地神様だもんね……」
大輔くんは悲しげに俯きました。
「お〜い、大輔〜! そろそろ帰るぞ〜!」
向こうの方から大輔くんを呼ぶ声が聞こえます。大輔くんは顔を上げました。その顔は涙でぐしゃぐしゃです。
「僕、僕、陵姉ちゃんにまた会いに来るから! 何回も会いに来るから!!」
「うん、いつでもいらっしゃい。わたしはずっとここにいるから」
わたしは優しく微笑んでくしゃくしゃと大輔くんの頭を撫でました。
「絶対、絶対だよ!」
「はいはい」
わたしは大輔くんと再会の約束を交わして、笑顔で送り出しました。
結局、村に残ったのはわたし一人だけです。これからは誰も寄りつかない忘れられた荒れ地になるのでしょう。それでもわたしはこの土地を守ります。それがわたしの、土地神となったわたしの役目なのですから。
ー完ー
いかがだったでしょうか。日本昔話をかなり意識して書き上げましたところ、なんか昔話というよりかはファンタジーに寄っちゃったような……。評価お待ちしています。