6:風の吹く場所
「レオ、氷水晶の中に『幻の花』がある可能性はないかしら?」
「ないとは言いきれない。でも……この一面の氷水晶を、一つ一つ探すのは無理だ」
氷水晶は、遠くまで続いている。その結晶の一つ一つは、人間の指ほどの大きさだ。言うなれば、国王主宰の大規模なダンスパーティの中で、たった一つの指輪を探し出すようなものか。
「『幻の花』を、100年前の人はどうやって見つけたの?」
「彼は、魔導師だったんだ。国の中でも随分と優秀な人だったらしい」
「そうなのね。……魔導師にしか使えない魔法、魔導、そういうものがあるのかしら」
むむ、とアリシアが考え込むと、レオがくすっと笑った。
アリシアは首を傾げる。
「見当違いだったかしら?」
「いや、そうじゃないんだ。……アリシアは、笑わないんだね」
「……ごめんなさい。私、昔から愛想や愛嬌がなくて」
「あっ、そうじゃない! 笑顔がないって意味じゃないよ!」
慌てながらレオが首や手をぶんぶんと振る。アリシアはきょとんとしてから、再度首を傾げた。レオがこほんと咳をして、息を整える。
「その、アリシアは『幻の花』探しを馬鹿にしないから。嘲笑しないね、って意味だよ」
「嘲笑? どうして?」
「……『幻の花』なんて、おとぎ話と同じ、空想の産物だと思っている人が多い」
「でも、100年前にも咲いたんでしょう?」
「そのはずなんだ。でも、この文献が、まったくのでっち上げでないという確証もない。……だとしたら、僕はただの愚か者だ」
レオが俯き、ぎゅっと拳を握った。その手は震えている。
アリシアはそっと手を伸ばし、その手を取った。震える手はひどく冷たい。氷のように。
「レオ。あなたは愚か者なんかじゃないわ」
ぎゅう、と手に力を込める。自分の体温が、レオにも分け与えることができればいいと思った。
レオが顔を上げる。アリシアは、その瞳をじっと見つめた。琥珀のような、明るくも思慮深い瞳。その瞳が、自信と輝きを失っている。
「病気のご家族を助けたいんでしょう? その想いが愚かなはず、ないわ」
「アリシア……」
レオの瞳に、きらりと輝きが宿って、揺れた。再びレオは深く俯いた。
気分を害しただろうか。アリシアが眉を下げると、レオはアリシアを抱き寄せ、きつく抱き締めた。
「れ、レオ……!?」
「アリシア、……ありがとう」
囁かれ、アリシアは、かあっと頬が熱くなるのを感じた。敬遠されたり陰口を言われたりすることには慣れているが、面と向かってお礼を言われるなんて、滅多にないことだ。ましてや、抱き締められながら、なんて。
「れっ、レオ! あのねっ、考えたことがあるの!」
「ん?」
「……まずは、腕を離してもらえないかしら。喋りづらいわ」
「ああ、ごめん」
ぱっ、と抱擁を解かれる。レオを見上げると、もういつも通りの明るい笑みを湛えていた。
むう、と少しだけアリシアは唇を尖らせる。人を抱き締める、ということに、きっとレオは慣れているのだろう。
「……ええと、『幻の花』について。レオはこれまで、花畑や、水の綺麗な場所を探してきたのよね?」
「うん」
「だけど、まだ見つかっていない」
「そうだね」
「なら、やり方を変えるのはどうかしら。100年前の文献に地図がないのなら、別の記述を探すのよ」
アリシアの説明に、レオは「別の記述?」と尋ねる。
「100年前の研究者。『幻の花』を見つけた魔導師。彼は、どうやって見つけたのかしら。偶然、それとも必然?」
「……必然、のはずだ」
「それから、彼にあって、レオにないものがあるわ」
「どういうこと?」
「彼が魔導師だったなら、魔導――魔力や術式について、レオよりも深く熟知していたはずよ。魔導師にしか見えない道筋が、どこかにあるのかもしれない」
アリシアの説明に、レオは顔を輝かせた。これまで隘路だと思っていた道が、急にひらけた――そんな表情だ。
「魔導を学ぶことで、『幻の花』につながるかもしれない!」
「ええ」
こくり、とアリシアは頷く。レオは両手で顔を覆った後で、その手を大きく広げ、「素晴らしいよ、アリシア!」と叫んだ。氷水晶が、びり、と共鳴するほどの声で。
「きみはすごいよ! 優しくて、聡明で、挑戦的で……!」
興奮したレオがアリシアを褒め称える。これまでに言われたことがない種類の褒め言葉だったので、アリシアは驚いた。美しいとか、勉強が上手だとか。その手の褒め言葉――褒め言葉なのかすら怪しいが――は幾度となく向けられてきたが、『優しい』とも『挑戦的』だとも、言われたことはない。
「大げさよ、レオ」
小さくアリシアは笑った。笑っていることに、アリシアだけが気づいていなかった。レオはその微笑みを見て、小さく笑う。
一面の氷水晶を、風が撫でていく。氷水晶が、その風に心地よく吹かれていた。