5:『幻の花』探し
「わあっ……!」
ざあっ、と風が吹き抜けた。
それまで踏み締めていた地面より、随分と低いところに川が流れている。山中の川は、街中に流れる川とは比べ物にならないぐらい流れが速い。川幅も狭い。
ごうごう、ざあざあ、と音がする。
レオが斜面を降りて、川辺へと近づく。アリシアはそれに着いていった。
「気をつけて、アリシア」
「ええ」
レオに手を取られながら、アリシアは緩い地面を踏んだ。川のそばの地面は常に湿り、ぬかるんでいる。川の匂いと、土の匂い。澄んだ空気の匂い。それらを胸いっぱいに吸い込んだ。
レオが川の上流へと近づいていく。アリシアは後を追った。
川の音は激しく、小声の会話は成り立たない。
「レオ! 何か手掛かりがあるの?」
アリシアは声を張り上げながら質問した。
レオもまた大きな声で、「そう!」と答える。
「100年前の文献によると、『幻の花』は、澄んだ水の場所にあるんだ」
「その文献に、地図はあったの?」
「いいや。抽象的な言葉でしか記されていない」
「じゃあ……ここじゃない可能性もあるのね?」
「その通り」
少し困ったようにレオは笑った。レオの手元には、ぼろぼろの地図と、メモがびっしりと書かれたノートがある。ノートは、100年前の文献について調べ、書き写したものだろう。
地図には、たくさんの「×」マークがついている。行ってみたけれど『幻の花』を見つけられなかった場所だろう。
「王都の近くであることは確かなんだ」
「……でも、イストリア国は緑豊かな国だから、山々も多くあるはずだわ。王都の周辺だって……」
「よく知ってるね。そうだよ。水の綺麗な場所も多くある。嫌になるほど、ね」
ふっ、とレオが笑う。その笑みには、どこか暗いものがあった。
これまでの捜索で、すでに疲弊しているのだろう。
あるかわからないものを探すこと。
伝説上の花を探すこと。
存在しないとは言い切れない。
かつてそれを見つけた人の手記は確かに残されている。
でも、だからこそ残酷だ。
おとぎ話だと言い切ることもできなくて。
空想の産物だと諦めることもできなくて。
確かにあるはずだと――でも、どこにあるのかわからないものを、探し求めているのだから。
「……レオ、この場所、なんだか変わっているわね」
「え?」
「もう一段階、温度が低いところがあるみたい。氷のような、冷たい空気を感じるわ」
アリシアは導かれるように足を進めた。レオがその後ろについてくる。
すんすんと鼻を鳴らす。氷の匂いがする。匂い……というより、気配かもしれない。キンと凍って空気が冷えている。そんな気配がするのだ。
川の上流へ行き、大きな岩が――自然がそうしたのだろう――組まれただけの場所を昇る。危ないとレオに止められたが、アリシアは聞かなかった。『幻の花』を見つけたかった。見つけてあげたかった。
「わっ、何かしら……!?」
岩をよじ登った先には、水晶の結晶のような氷が、一面に広がっていた。
花畑ならぬ、氷畑だ。
「氷水晶だ。……とうに枯れ果てたと聞いているけど、まだ棲息していたんだ……!」
「こおり、ずいしょう?」
「その名の通り、氷の水晶だよ。かつてこの国の特産物だったこともある。環境の変化で枯れたと言われているんだけど……まだ残っていたんだね」
愛おしそうにレオが氷水晶を見つめる。アリシアはそっと触れてみた。触れても解けない、不思議な氷だ。けれど、鉱物の冷たさではない。
「これは歴史的発見だよ、アリシア! すごいよ!」
「え?」
「氷水晶は、ルクレティア国やダニツ国のような温暖な土地には棲息しないんだ」
「そうなの?」
確かに、氷水晶というものの存在をアリシアは知らなかった。
「氷水晶は、魔石の中で最も用途が多い鉱物なんだ。広く使われ、だからこそ枯れた」
「魔石って、普通は種類ごとに込められる魔法が決まっているのよね」
たとえばガーネットには、火の魔法を込めることができる。
ペリドットには風の魔法、トルマリンには水の魔法、など、魔石の種類と魔法には相性がある。
魔石は、あらゆる用途に使われる。その輝きや煌めきから、宝飾品として使われることもあれば、魔法や魔力を込められるという機能を活かして、冒険者のアイテムとして使われることもある。
――これはアリシアの知らないことだが、魔法陣や詠唱なしに魔法の恩恵を受けられるので、火種代わりにキッチンに置かれることも多い。
「氷水晶はすごいんだ。複雑な魔法……いや、魔術式さえ記録することができる」
「複数の魔法を組み合わせられる、ということ?」
「そう! たとえば『雨が降ったときだけ、風の魔法を発動する』みたいな条件付けも可能なんだ」
「なるほど……、通常の魔石とは違うのね」
ふむ、とアリシアは頷いた。
何かに使えそうだ、と思う。その『何か』はまだ見えないけれど、考える価値はありそうだ。