3:魔導を目指す理由
アリシアが『氷の令嬢』と呼ばれるに至った原因は、二つある。
氷のように冷たい態度の令嬢。これが一つ。
それから、学園の中庭にある、涸れた噴水。一定の魔力を注がなくては水が出ないというその噴水が動くのを見たいと言ったのは、伯爵令嬢エリスだった。エリスとアルバートは一週間ほど掛けて、ごく少量の水を出すに至った。
アリシアはたまたま――本当に、偶然――その場所に居合わせた。そしてアルバートが、ちょろちょろと水を出す噴水を指して「これが愛の力だ!」などとふんぞりかえるものだから、あまりに可笑しくて、アリシアは噴水に魔力を注いだ。ついでに魔法陣も描いて、水量を爆発的に増やした。
どばっ! と大量の水が噴き出し、飛沫を上げた。そしてアリシアは一瞬のうちに風魔法の呪文を詠唱し、噴水を凍らせた。びしっ、と空気が凍った。
「愛の力、でしたか。アルバート様」
笑うこともなく淡々と問うアリシアに、アルバートもエリスも答えに窮していた。愛の力はあまりに儚い。
以降、アリシアは『氷の令嬢』と呼ばれるようになったのだ。
アリシアの過去など知らないレオは、氷漬けのモミの実をアリシアから受け取り、空に透かした。アリシアは無邪気に目を輝かせるレオを見つめた。
「アリシアの力は、まるで、魔導だね」
「魔導?」
「魔法学は知ってるかい? 魔法を使うための理論や術式」
「ええ、一応」
ルクレティア国では、魔法を使える者は王立魔法学園に通い、魔法の理論や術式、力の使い方を学ぶ。アリシアも例に漏れず、魔法学園に通っていた。それだけではなく、入学から卒業まで、学年首位の座を保ち続けた。
王太子の婚約者として当然のことだと努力していたが――王太子の成績が特に秀でていなかったことを鑑みると、誤った選択だったのかもしれない。
「アリシアは……この国の生まれではないよね?」
「ええ」
「魔導は、魔力の理をより深く理解し、術式をより自由に組み立てる学問なんだ。昔は、広く様々な国で研究されてきた。
けれど、あまりに強すぎて、過去にその力で滅びた国もある。今では多くの国で禁術扱いされているんだ。この国では合法だけれど……いずれ、違法になるかもしれない」
「いけないもの、ということ?」
アリシアの疑問に、レオは困ったように笑った。
「アリシアはたとえば、炎を悪いものだと思う?」
「……いいえ。炎があるから暖も取れるし煮炊きができるわ。文化の発展に無くてはならないものよ」
「でも炎は、家や森を焼いてしまうことがある。人間をも焼き尽くすことがある」
「それは……」
答えに詰まるアリシアに、レオは小さく笑う。レオの手の中で、氷漬けのモミの実は、その冷たく硬い氷から出てこようとしていた。
「魔導も同じだよ。良い面があり、恐ろしい面もある。火や刃物に使い方があるのと同じで、魔導師の才能や素質、良識に掛かっている」
レオの手から雫が落ちる。冷たくないのだろうか、とアリシアは思った。指先でレオの手に溜まった水に触れる。氷が溶けて出来た水は、ひどく冷たい。
悪役令嬢、アリシア・ルーベルト。王太子に嫌われ、冤罪を掛けられ、国を出た。そんな自分にも、良い面はあるのだろうか。
「アリシア。『幻の花』はね、特別な氷の中に種を持ち、発芽し、花を咲かせるんだ。そしてその氷を溶かした水は、どんな病にも効くと言われている」
「……レオ、どこか悪いの?」
「ううん、僕の家族。お医者さんにも治せない病気なんだ。だから……」
風が吹く。
アリシアはレオを見つめた。レオは微笑んでいるけれど、とても傷ついているように見えた。アリシアは想像する。自分の両親が、原因不明の不治の病を宣告されることを。想像だけで胸が苦しくなった。
「レオ」
どれだけの痛みを、苦しみを背負っているのだろう。そのつらさを、少しでも理解したかった。……どうしてだろう。初対面の相手に、そんな情を抱くいわれはない。それに、自分は『氷の令嬢』、冷たい女のはずなのに。
「私も『幻の花』探しを手伝うわ」
「え……、そんな、でも」
戸惑うレオの前で、アリシアはぶんぶんと首を横に振った。そうじゃない。これは、レオのためじゃなくて。
「私、この国で魔導師になりたい」
「どうして?」
アリシアは、レオを見つめた。琥珀色の瞳。燃えるような赤い髪の毛。まるで、氷を溶かすような。
「私にも良い面があると信じたいの。
火にも、刃物にも、氷にも……私にも、きっと良い面があるはずだって思いたい」
アリシアが告げると、レオはきょとんと目を丸くした。
「変なことを言っているかしら、私」
「ううん。とても素晴らしいよ、アリシア!」
ぎゅっ、とレオがアリシアの手を握る。溶けた氷と水はもう乾いていて、レオの手の温度がアリシアに直に伝わった。
レオの手はとても温かくて、アリシアは目を見開いた。高い体温が、肌に馴染んで、心の奥まで届きそうだ。
心臓が高鳴っている。どきどきとうるさく鳴り響く音が、レオには聞こえていないことを、静かに祈るばかりだった。