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理想のプロポーズ

作者: 迫る騎士シカマル

シンプルに、自分が思う理想のプロポーズを綴りました。

 詩織と付き合って早5年。そろそろプロポーズをしたいと思案しているのだが、いかんせんタイミングがつかめない。一応、準備は色々としてきた。例えば、プロポーズにふさわしい情趣溢れるスポットを調べ、仕事終わりに下見にまで行った。また、指輪もすでに作成済みである。寝室で寝ている詩織を刺激しないように、巻き尺で左手薬指の太さを計測するのには骨が折れた。だが、それだけの価値があったはずである。件の指輪は、ナイトテーブルに収納してある。律儀にクッキー缶の中に隠している。


 あとはきっかけだけである。いや、私自身の勇気の問題だ。そう、私には勇気がないのである。正直、指輪はプロポーズが成功したのちに、二人で購入しても問題ないのだ。とまあ、こうして、彼女にプロポーズをするための工作だけは着々と進行しているのだった。


 だがしかし、そうした工作は、容易に無意味なものと化す。他ならぬ、詩織の一言によって。




「ねえ、今日のご飯どお」


今日の献立は、サンマを中心とした和食である。サンマの香ばしい匂いが、金曜日の仕事終わりには体に染み渡る。


「最近さ、サンマって高いんじゃないの」


私は、余計のことを聞いてしまう。


「そこはまあ、たまにはいいじゃない」

「いくら」

「ほら、秋といえばサンマだし。私の実家だと毎年この時期には食卓に並んでたし」

「で、いくら」

「……一匹、200円です。ちなみに冷凍庫にまだまだ大量にあります」

「いやいやマジかよ。少しでも食費を節約しようって言ったの詩織だろ」


悲しきかな、自分の矮小さがでる瞬間である。詩織だって、別段エンゲル係数を無視したはずじゃないのに。


「ふーん。元はと言えば、一回もご飯作ってない人が、家で美味しい料理を作って待ってる彼女を放置して、飲み会に入り浸ってるのが原因でしょ」

「それは、会社の付き合いだし」

「毎回、格好つけて後輩の分も奢るのも?」


詩織の目が蔑みの色を帯びる。この状態になると、絶対に勝ち目は無くなる。白旗を上げるならば、今のうちである。


「ごめん、ごめん。そうだよな。サンマは毎年というか、毎週でも食べたいよな」

「ねえ知ってる?焼き魚って後片付けが超面倒なんだよ」

「はあ」

「やってもらえるよね」


私を睥睨する詩織。これは、要望やお願いではなく、ただの命令である。

「わかった」


「あと、洗濯物も畳んでしまっといてくれるよね」

「わかりました」


私が屈服したことに満足したのか、サンマを食べ始める。気まずい沈黙が流れる。


「ところでさ」


あと味噌汁だけとなった詩織が、ようやく私との交流を再開してくれる。


「ところでさ、いつプロポーズしてくれるの」


なんの脈略もなく、淡々と語られたその発言に、私は気が動転してしまい、彼女を見つめることしかできなかった。


「ちょっと聞いてるの」

「……いや、もちろん、もちろん。急だったからつい」


依然として所在なげにしている私に対し、詩織は平然とした様子で語る。


「急じゃないと思うけどなー。翼と同棲し始めて、結構タイミングはあったような記憶があるのだけれども」


その通りである。クリスマスデートもしたし、スキーもしたし、それから白川郷で年越しもした。おや、どうやら私は冬に外へ出ることが好きなようだ。そして、季節はサンマの美味しい秋。プロポーズをする時期ではない、はず。


「で、いつしてくれるの」


期待と若干の呆れが混じった顔を私に差し向ける。いつもの私であれば、曖昧にはぐらかして事態の先延ばしをしていただろうか。否、私は勇気がない以上に彼女の意向に背くことができないのである。結論、事態に対する早急な回答が求められる。


「あした」


ふと、そんな科白が口からもれた。頭で思考を重ねた上で出したものではなく、無意識に発せられたものだ。プロポーズをしたいという想いと、呆れ具合が濃くなっていく詩織に失望されたくない想いから、「あした」なんて科白が口から飛び出したのだろう。とにかく、口に出してしまったことは今更修正不可能である。


「あした、そう明日プロポーズをするつもりだったんだよ。ほら、明日は付き合って5年目だろ。な」

「ふーん」


交際記念日を覚えているぐらいで何を偉そうにという視線を浴びる。


「まあいいや。私、お風呂に入ってくるから。それまでに食器の後片付けと洗濯物、よろしく」


私の「うん、任された」という返事を背中で受けながら、彼女は浴室へと姿を消す。どうしたものか。明日、プロポーズをすることになってしまった。問題は、いつ・どこで、だな。もちろん、明日は交際記念日なので、ドライブデートのプランを用意済みである。詩織の一言が無ければ、明日も外堀を埋めるための一日に過ぎなかったのである。




皿洗い、洗濯物の収納をする間、私はいつプロポーズをするか思案に思案を重ねた。その成果は、皆無である。困ったものだ。そうした悩みが解決しないまま、詩織が浴室から出たらしく、ドライヤーで髪を乾かす音が聞こえてくる。一旦、明日のことについて考えるのはやめにしよう。……やっぱり、やめられなかった。


私が風呂を終えた後は、二人でソファに腰を下ろし、いつも通りテレビを視聴する。依然として何も思っていないのか、詩織はゲラゲラと笑い、時折私の顔を見て共感を求める。私は、心ここにあらずの状態だった。




「おやすみ、翼」

「うん、おやすみ」


消灯。正確に言えば、常夜灯なので、次第に毛布に包まれた詩織の容貌が明瞭になっていく。眠れるだろうかと一抹の不安を抱いていたが、仕事の疲れと風呂で上昇した体温が程よく低下してきたことによって、安らぎの世界へと導かれる。




意識が覚醒した。わかるのは、この覚醒は私の内的な作用ではなく、外的圧力によるものであることだ。感触からして、肩を揺らされているのだろう。天井の常夜灯に向けていた目線を、肩を揺らされている左側、詩織がいる方向へと移動させる。彼女と目が合う。つまり、明確な意思を持って、私を起こしたということだ。


「今、0時3分」


だからなんだ。思考がまだ上手く現実と接続できていないため、その無機質な時刻が一体何を意味するのか判断できない。私が理解できていないことを詩織も感じ取ったようで、次の句を告げようとする。だが、彼女はなぜか言い淀んでいる。私の意識は次第に現実感を取り戻す。目と鼻の先に詩織がいることを自覚し、途端に心拍数が上昇する。


「ええと、0時3分っていうと」


完全に覚醒した私ではあるが、それでも0時3分の意味は掴みかねている。詩織は意を決したようで、それでもゆっくりと口を開く。


「だから、明日になったよ」

まさか「今、プロポーズをしろってことか」

「……うん」

「今じゃなきゃダメなのか」

「だってドキドキして眠れないんだもん」


ほら、と言いながら、詩織は私を体ごと自分の方に向けさせ、そして抱擁する。確かに、心臓の鼓動が通常よりも速くなっている。しかしながら、この鼓動が詩織のものか私のものかは判然としない。少なくとも、私の鼓動が速まっているのは保証されている。


「わかったよ。だからちょっと離れてくれ」


私は詩織に抱擁を解くように促す。彼女はそれに従ったものの、すぐに頭まですっぽりと毛布で隠してしまう。そんなことをしないでも、細かな表情は見れないというのに。私はナイトテーブルの引き出しを開き、その中に入っているクッキーの缶を取り出す。さらに、その缶に隠された指輪入れを手中に収める。


「詩織」

「なに」

「毛布から出てもらえないか」

「ヤダ」

「なんでだよ」

「顔見られたくない」

「暗いからわかんないって」

「絶対わかるから。私が表情に出やすいの、翼が一番よく知ってるでしょ」

「そりゃ、5年も付き合ってりゃわかるわな」


大抵の場合、軽蔑の眼差しなのだが。


「私の顔見て調子に乗る翼を想像するとムカつくから出ない」


どうしたものか。


「じゃあ、手だけ出して」

「それなら」

「あ、そっちじゃなくて左手」


詩織は毛布から出しかけた右手を引っ込めて、左手を毛布から出す。そして、お腹の上に乗せる。私はその左手を持ち上げ、用意していた指輪を嵌める。サイズがピッタリであり安堵する。


「ねえ、私の薬指のサイズなんかいつ測ったのよ」

「覚えてないけど、詩織が寝てる時にこっそり」

「……変態」

「紳士的配慮と言え」


詩織は左手を毛布の中に滑り込ませる。


「とりあえず、今はそれで満足してくれ」


流石に、毛布越しでプロポーズをするのはちょっと違うし、かといって、再度毛布から出るように渇望しても無駄であろう。詩織は、「わかった」とだけ答え、その後は毛布に全身をくるんだまま眠ってしまったようだ。私も眠ることにする。




翌朝。結論から言うと、眠ることはできなかった。毛布にくるまって冷静に考えるほど、私の言動一つ一つに対して、後悔と恥ずかしさがこみ上げてきたのだ。おかげて、体は眠りたいのに頭だけが必死に睡眠へ逃亡することを妨害してきたのである。カーテンからわずかに零れる朝日が、睡眠不足の私には非常に厳しい。ゆえに、毛布に避難する。意識が薄れ、トロトロしてきたところに、詩織から声がかかる。


「翼、起きてる?」

「ああ」

「なんで毛布にくるまってるの」

「いいだろ」

「……そっち入ってもいい?」


私は寒かったし、眠気で思考力が低下していたので、何の躊躇いもなく彼女を自分の毛布の中に招き入れた。一瞬、朝日に包まれた寝室が見えたが、すぐに詩織によって遮られる。


「おはよ」


毛布を貫通して入り込む微かな朝日によって、詩織が目の前にいることを把握する。昨日、あんなに恥ずかしがっている表情を見られたくないと言っていたのに。あ、昨日じゃないか。そんな他愛もないことを考えつつ、自然と口が動く。


「あのさ」

「なに」

「結婚してくれますか」


自然と口から出た。不思議な感覚を得る。自分が言った科白でないようだ。それだけ結婚という言葉が最近の私にとって一番近しい言葉であると同時に、一番現実味のない言葉だったのだ。詩織は、私のプロポーズに対して微笑みを浮かべる。


「いいよ」


その返事は、時間が経つにつれて感慨深いものになるのだろう、そう確信する。


「私からも一ついいかな」

「もちろん」

「指輪渡されてから一睡もできなかったから、もう少しだけ寝ててもいい?」

「奇遇だな。俺も堪らないほど眠い」


詩織は私の毛布の中で深い眠りについた。どうやら、計画していたデートプランは変更を余儀なくされるだろう。でも、それ以上に大切なことは果たしたのだ。私は、嬉しそうな顔をして眠っている彼女を、もう少しだけ堪能してから眠ることにする。



このシチュエーションを実現するためには、多分に彼女側の協力が必要であることは間違いない。

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