4.私の存在意義
フェリシアが知っていた抜け道から出たところは、丁度城の裏にある森の入り口の手前だった。
「初めて通ったけどここにでるのね」
「え、初めて使ったの?」
「普通の王は城から抜け出そうなんて思わないでしょ」
「……、確かに」
フェリシアは森を見上げた。
そこには以前と変わらない青々とした森がそこにあった。
「一応、オレの読んだ本では、森の面積は昔より分減ったけど、今も残るって書いてあったと思う……」
「私の時代はもう本になってるのね」
レンの言葉に不思議な気分になり笑った。そして興味本意で聞いてみた。
「私のことは何って書いてあったの?」
その言葉にレンは少し頭を書いて目を逸らした。
「……国初めての女性の王で、美しく気高く、民から慕われた女王。国に相応しい力を持つ女王。……女王の最後については不明な点が多くて、本によって書いてあることは違ってた。秘密裏に埋葬されたって書いてる本が多かったけど、一冊だけ城で永遠の眠りについたって書かれてあった」
ある意味正しい表記である。
「……、森はあるのに、何も見えないわ」
フェリシアには力があった。生まれたときからその身に、古くからこの国に伝わる不思議な力が備わっていた。しかし、その力を今はまったく感じない。
思わず自分の瞼の辺りを触れるが、今は何も感じないし何も見えない。
「力も失ったのね……」
何もかも無くしてしまった。
フェリシアはそんな風に感じて、ぼんやりと森を眺め続けた。
風が吹き木々が揺れる。葉が擦れる音に合わせるように、鳥たちが羽ばたいていく。あまりにも平和な絵にフェリシアはまた少し泣きたくなかった。
「……、女王様」
そんなフェリシアの様子にレンが不安気に声をかけるが、フェリシアはレンに向き直ると手を腰に当て否定する。
「もう国はないんだから、私は女王じゃないわ。私の名前、知ってる?本に書いてあるのかしら」
「……、フェリシア、でしょ」
「正解。……これからどうしようかしら」
フェリシアが盛大にため息をついたのをみて、レンが何かを言いかけたが、違うところから声が掛かる。
「誰だそこにいるのは!」
フェリシアの視界から姿が見えず、姿を確認するためフェリシアはゆっくりと振り返る。逆にレンは少しフェリシアの影に入るように隠れた。
現れたのは明るい茶色の髪に黄緑色の瞳をした若者で、白に緑を基調とした制服を着ている。新たに現れた人物は、フェリシアの姿を見るとハッとしたように膝をついた。
「フェリシア様で間違いないでしょうか?」
やはり見知らぬ人物に、フェリシアは頷いた。
「えぇ、そうよ」
何故わかるのだろうかと不思議に思いながらも、彼の後ろにある城に紫色の狼煙のようなものが上がっているのが目に入る。
「国王陛下のところまで、ご案内いたします」
「国王陛下?」
「現、ケルティア王国国王です」
この国はもうケルティアに併合されていると先ほど聞いたばかりだ。驚きはないが呼ばれる理由がわからない。
「ケルティアは約束を守ります」
跪いたままの制服の青年のその言葉に嘘や偽りを感じなかったため、フェリシアは従うことにした。
「で?貴方は何で後ろに隠れてるの?」
「いや〜、この辺りって実は関係者以外立ち入り禁止の区域でさ……」
フェリシアの後ろではははと乾いた声で笑ったレンに、フェリシアは呆れた。
「貴方も一緒に来なさい」
「えぇえ‼︎」
「裁くのはケルティアの王よ」
「裁かれるの⁉︎」
***
ケルティア王国王城は、ほど近い場所にある。昔から変わらない城の姿にホッとしつつも、来るまでの道のりは驚きの連続だった。
道が綺麗に整備されて、石畳みの上を馬車が走り快適な乗り心地たった。また街の建物はフェリシアが知っているころと変わらないものもあれば、ずっと高く立派な建物もあった。それはかつての彼女の国も含んでいた。豊かな様子にフェリシアはホッとしつつも、一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。
通されたのは謁見の間だった。
王座の間に座っていた国王と思われる壮年の男性が、フェリシアを見るとすぐに立ち上がってかけよった。
「フェリシア様、お目覚めをお待ちしておりました。話は祖父より予々伺っております」
目の前の国王はケルティアの王族の特徴である、銀色の髪に緑の瞳を持っていた。懐かしい気がして、フェリシアも微笑む。
「ケルティアは一時的に土地をお預かりしていただけです。フェリシア様が目覚めたら、お返しするのが約束でした」
国王の視線に侍従が何かを持ってきた。それは、フェリシアにとって馴染みのあるものだった。
「王笏です。これでフェリシアが再び王として……」
フェリシアは言われる言葉を理解して遮った。
「これはもう私には不要です」
はっきりとそう言ったフェリシアに、国王が目を見開く。
「ここまでくる間に、かつての国の土地も見ることができました。今の民の表情はとても豊かでした。古い人間の私が戻る必要などありません」
「しかし!」
「百年は長すぎました。このままどうぞケルティアで治めてください」
キッパリとそう言い切ったフェリシアの意思は強かった。国の存続よりも、民の幸せが一番である。必ずしもそれはフェリシアが治める必要はない。
私が突然また国を復興させたら、要らぬ混乱を招くだけ。そんなものは必要ないわ。
「……、ではせめてこちらをお持ちください。城の宝物庫の鍵です。我々は何故か城の中へは入れず、手入れをすることすら叶いませんでしたが、きっとそのままのはずです」
懐かしい金色の鍵がフェリシアの手に戻る。不思議な感覚がして、フェリシアはぎゅっとそれを握りしめた。
「ところで、そちらの者は?」
フェリシアの後ろに隠れるようにして立っていたレンのことが流石に気になったらしい。国王はレンを訝し気に見る。
自分のことだとわかったらしいレンがびくりと体を震わせる。
「私を目覚めさせてくれた人です」
「なんと。我々はあの城には入ることも叶わなかったのだが、もしや加護がお有りか?」
国王の言葉にレンは俯きがちに答える。
「そんな、ところです」
「貴方、やっぱり精霊が見えるのね?」
レンの返事に疑問を持ったフェリシアが後ろを振り返ると、レンはびくりとしてフェリシアから離れた。
フェリシアが持っていた特別な力。それは普通の人では見ることができない、精霊という存在を見ることができる力だった。フェリシアが氷の中で眠る前は、彼女の瞳にはたくさんの精霊が見えていた。
「ご、ごめん」
「なんで謝るのよ」
「……フェリシアは、今は見えないんだろ?その、オレなんかが見えるのに」
「私が見えないのと貴方が見えるのは関係ないことよ。それに私を助けてくれた時点でそうかなとは思ってたわ。だって、私氷漬けだったんでしょ?氷の原因も精霊だろうし、溶かすにも精霊の協力が必要でしょう」
フェリシアの言葉に、レンは気まずげに頷いた。
「力は誰にでも与えられるものじゃないわ。貴方に与えられたのにはきっと意味があるんだから、そんな顔しないで」
「でも、オレの力も万能じゃないんだ。と言うかなんか変で」
「基本的にそういうものだと思うけど、例えば?」
「特定の精霊しか見えない」
「特定の精霊?」
「オレが見えるのは、一人の精霊だけなんだ」
その珍しい制約にフェリシアは首を傾げる。
「それは珍しいわね。……その精霊と取引や契約をしているの?」
「いや、してない」
「小さなころから見えるの?」
「いやー?見えてないと思うけど、その精霊には最近会ったばかりだからわかんない」
「……、なんで見えるの?」
「それはオレが聞きたい」
そんなやりとりを見ていたケルティアの国王が何かを思い出したように口を開く。
「そなたもしや」
続きを口にしようとした国王に、一瞬にしてレンが鋭い瞳を向ける。フェリシアはレンとの会話の内容について考えているのかそんな様子には気づかない。
レンか無言の圧力を向け続けたため、国王はため息をつく。
「今は、時期ではないのだろう」
その言葉に、レンはパッと表情を変えて笑顔を向けてみせた。
気づかないままのフェリシアは、ふとレンを見上げる。
「ねえ、貴方その精霊の名前知ってるの?」
「え?名前?」
「そう」
「いや、お前に名乗る名前はないって言われて教えてもらってないよ」
「……、見えるのにその精霊の名前も知らないの?っていうか、仲良くないのね?」
「……、よくはないね。教えてくれないから仕方なく総称で呼んでるよ。ウィードって」
「相手は、風の精霊なのね」
ウィードとは風の精霊の総称のことである。精霊には6つの属性が存在し、それぞれに総称が決められている。風ならウィード、水ならウォーレと言うように。
フェリシアの国はその精霊が多く住み、精霊が生まれる場所とも言われる、神聖な国とされていた。自然災害が起こることのない国、そんな風に長く言われていた。他国から攻めるられることもなく、長く続く国であると思われてきた。
それなのに……。
思わずフェリシアはため息をついてしまう。自分の不甲斐なさに心が沈む。
「フェリシア様」
国王に声をかけられフェリシアは慌てて顔を上げる。
「国を復興せずとも、こちらに留まられるのであれば、ケルティアは貴女を受け入れる準備があります」
フェリシアはすぐに言葉を返すことできなかった。
まさか百年経って目覚めることになるとは思いもしなかった。自分の国は無くなってしまったが、守りたかったものはちゃんと残っている。
私はなんのためにここにいるのかしら。
「……、少し考えさせてください」
フェリシアの言葉に国王は深く頷く。
「まずは客間を用意させましょう。そちらの方も」
そう言ってケルティアの国王は、フェリシアとレンに客間を用意してくれた。