32.変化の兆し
瞬く間に皇太子の噂は城中、いや街中に広がった。皇太子は伝承の姫にそっくりな婚約者にご執心だと。
フェリシアは戻ってきた自室で先ほどはできなかった、頭を抱えるという行為を実現していた。
「なんなのよ!なんであんなことを‼︎」
そう言っても事実は変わらない。レンはフェリシアを抱き抱えたまま民衆の前に出た。それがどんな風に見て取れるのか考えるまでもない。
なにもする気になれず、ドレスをいつもの楽なものに変えた後のフェリシアは、テーブルにうつ伏せになっている状態だ。
そんなフェリシアの文句に、クデリはにこにことしながら言葉を返す。
「フェリシア様は、殿下に愛されてますね!抱き抱えられたこともそうですが……。私はその前のことの方がときめきましたが」
何故か顔を赤らめて頬を手で抑えるクデリにフェリシアは眉を寄せる。
「抱き抱える以外にも何かあるの?」
フェリシアにはそれ以外の認識はない。クデリに詰め寄ろうとしたが、フェリシアの問いかけから逃げるように「今お茶菓子をお持ちしますね!」と身を翻して部屋を出て行ってしまった。
訳がわからず大きなため息をついて、フェリシアは再びテーブルに突っ伏すことになる。
しばらくその態勢でぼんやりとしていたが、扉のノックの音にクデリが戻ってきたのだろうと適当に返事をする。
しかし、入って来た足音がいつもと違い重いことに気づき、フェリシアは慌てて身を起こして振り返った。
そこにはレンの姿があった。
「フェリシア、体調はどう?」
いつも通りの様子で話しかけてくるレンにフェリシアは表情を歪めて抗議する。
「どうしてそんなにいつも通りなの」
「何が」
「変な噂も立ってるし、ちょっとは気にしなさいよ!」
「変な噂は特にないけど」
噂を知らないのか平気でそう言ってのけるレンにフェリシアはもはやどうしていいかわからなかった。
「私との婚約を破棄した後どうするつもりなの?貴方だって後継者が必要になるでしょう?」
「ねぇ、フェリシア」
フェリシアの質問には答えず、ふとレンは真面目な顔でフェリシアの顔を見た。
「フェリシアは、オレとの婚約を破棄した後どうするつもりなの?なんかやりたいことは見つかった?」
フェリシアが先に聞いているのにそれに答えなさいよとは思ったものの、レンがあまりにも真剣な顔をしているため、フェリシアは答えればならないという気分になった。
「……私は、自分の中に残ってる氷を溶かしたいと思ってる」
「それって別に婚約しててもできるよね」
「え?」
「行こうよ。オレと」
「えぇ?何言ってるの貴方皇太子になったのよ?仕事も増えるでしょう?」
「でも滝の主人はもっと力が強い者を探す必要があるって言ってただろ?精霊が見えない状態じゃ、何も探せないじゃないか」
それについては返す言葉に詰まる。今のフェリシアは何も見ることができず、何も感じることができない。フェリシアが精霊やそれに近い存在を探し出すのは不可能である。
「オレにはウィードがいる」
「でも、貴方と仲が良いわけではないんでしょう?」
「それでもいるといないじゃ、天地の差だろ?」
レンの言う通りである。あの滝でのように気まぐれに精霊が見えるようにしてくれるかもしれない。
「でも、ダメよ。皇太子になったばかりの貴方をつれてはいけないわ。皇帝陛下だったお許しにならないはずよ」
「親父を説き伏せたらいい?」
「ないわ。なんのために後継者に指名しているかわからないじゃない」
「じゃあ親父に話してくる」
「無駄だってば」
「ちゃんと説き伏せたら、一緒に行こう?」
レンはそれだけ言うと、座っていたフェリシアの髪をさらりと撫でて去っていく。
「なんか、……変わった?」
触れられた髪を無意識に押さえて頬が赤くなった上、訳がわからずフェリシアの頭には疑問符が残った。
***
「フェリシアと旅に出たい」
単刀直入なレンの言葉に皇帝は額を抑えた。隣に立っていた宰相も頭が痛そうな顔をしている。
「皇太子になったばかりだろう」
「フェリシアの中の氷を溶かしたい。それが痛みの原因なんだ」
「病気持ちの皇太子妃はいかがなものかと声をあげてる者もいる」
皆がフェリシアが倒れかけたのをみているのだ。そう言われても仕方ない。
「病気じゃない。解決方法は一応見えてる」
「勝算は?」
「8割方ある。でも、そもそもオレはフェリシアじゃなきゃ結婚する気はない。だから他に選択肢もない」
「……昔のお前は手のかからない良い子だったのになぁ」
「要するに全てに興味がなかったってことだろ」
「女に執着するのは良くないぞ」
「新しい皇后が迎えられない人に言われたくない」
皇帝は笑顔のままレンを見据えた。
「10日間だ。それ以上は認めない。あと普通に馬車で行ってこい。護衛つけてな」
「十分!ありがとう!」
嬉しそうに笑う姿はまだ幼さを感じさせる。そして、皇帝の隣に立っていた宰相に視線を送るとニヤリと笑う。
「無事に戻ったらあの約束も守ってもらうからな、ノイゼン宰相」
そのまますぐに皇帝に背を向け部屋を出ていった。
「報われることを祈るしかないな」
「私は報われなくとも良いと思いますが」
「まぁ、そう言うなって。古の力を抱く国の元女王だぞ。相手としては申し分ない」
「しかし、今は何の身分もありません」
「だからあいつはお前に頼んだろ」
皇帝が面白そうに笑ったのを見て、宰相はため息をつく。
「うまくいきませんね」
「あの騎士じゃ、ちょっと荷が重かったんだろ」
「よいと思ったのですがね」
「あれは騎士にしては優し過ぎるな。優秀だとは思うが。結局うちのレンに火をつけただけだろ」
「失敗しました」
***
「ちゃんと許可もらったよ」
さっき出ていったレンが再び部屋に入って来て放った言葉に、フェリシアは返す言葉がなかった。
「……、何言ってるの?」
「フェリシアが言ったんじゃん」
「婚約期間終わってから一人で行くからいい」
「婚約が終わったらオレついていけないから」
フェリシアとレンの婚約が終わったら、レンは新しい婚約者を見つけるはずだ。たしかに新しい婚約者ができたらフェリシアとは一緒に行動できなくなる。
「でも」
「オレはオレのやりたいようにやるっていったでしょ。フェリシアもちゃんと自分の望みを叶えて動いてよ。今しかなかったら、行くしかないでしょ?」
レンがいなくなると、ウィードもいない。、フェリシアは精霊がどこにいるかも見つけられず何もできない可能性の方が高い。
確かにレンがいた方が、森の主人に会える確率は高い。
「……、お願い、してもいい?」
フェリシアの不安げな問いかけに、レンは強く頷く。
「任せて。あ、でも流石に今回はこっそりじゃなくて、ケルティアの王に許可もらって、馬車移動、護衛付きで行くから。手短に!ケルティアの王にも前回の件、謝らないとな……」
そう言ったレンに、フェリシアは思わず笑った。
「そうね。ケルティアの王はレンが帝国の皇子って気づいてなかったの?」
「どうかな〜?」
目を逸らしたレンに訝しむと、誤魔化した顔のレンが笑う。
「なんか気づかれた感あったから、つい睨んで黙らせちゃったんだよね」
「……帝国の皇子に睨まれたらケルティアの王も黙るしかないのね」
頭を掻くレンにフェリシアは呆れた。
「じゃあ、明後日には行くから!」
「え!明後日⁉︎」
「うん。もう時間ないし、フェリシアも準備しておいてね!」
そうれだけ言うとレンはさっさと部屋を出て行ってしまう。慌ただしい状況にクデリも困り顔だ。
「後から殿下にお聞きして、お出かけのご準備はいたしますね」
「えぇ、お願い」
前のように二人きりの旅ではないことにフェリシアはなんとなくホッとする。今レンと二人きりは少し困る。立太子以降、レンがあまり弟に見えなくなって来たのだ。男の顔をしてくるレンに、フェリシアはどうしていいかわからない。
「……勘違いさせないで欲しい」
思わずそう呟いてフェリシアは顔を両手で覆った。どんどんと傾いていく気持ちを抑えておけなくなっているのを感じながら、フェリシアは自分の意思の弱さにため息を吐いた。
もう少しだから。




