3.目覚めたのは百年後でした
フェリシアはとてつもない衝撃に目を見開いた。
「うっ!まっず‼︎」
突然の苦味とエグ味に口内を襲われ、フェリシアは咽せながら目を見開いた。呆けた顔をした見知らぬ青年の姿を横目に、フェリシアはなんとか口の中をどうにかしたい気分に襲われて喉を抑える。
「……本当に、起きた」
「こんなまずいもの飲まされたら誰だって!ね、水はない⁈」
フェリシアの言葉に自分より年下に見える青年は、慌てたように薄っぺらなカバンから水筒のようなものを取り出すと、コップに注ぎフェリシアに差し出した。
フェリシアのその立場上、なんでも口にして良いわけではないがあまりの口の中の不味さにフェリシアはそれを受け取ると一気に飲み干した。
「はぁー。生き返った」
思わずそう口にすると目の前の青年は不思議そうな顔をしつつ、返してもらったコップで自分も水を飲んだ。
「死んではいなかったみたいだけど」
「当たり前でしょ。っていうか、貴方だれ?」
フェリシアは見覚えのない青年の姿に首を傾げる。しかし、見渡した部屋はよく知っている王座の間だ。
なぜこの場所にいたかを思い出そうとしたところで、すぐに思い当たりハッとした。
「クラン卿は⁉︎」
「氷漬けにされてたのは一人だったけど?」
「氷、漬け……?」
その言葉でフェリシアは直前の記憶を思い出す。
フェリシアは一人の男性を目の前にしていた。
意見の相違に、フェリシアが声を上げた途端、彼が口の端を上げて笑ったのを覚えている。そして彼が手を上げ、何かを口にした瞬間、彼女に向かって水が襲いかかってきたのだ。
フェリシアの記憶はそこで途切れている。
「私はどれぐらい氷の中にいたの?」
フェリシアは周りを見ても誰もいないことを不審に思いながら、見知らぬ青年に尋ねた。本来なら宰相や大臣、侍女の一人だっているはずである。しかし、ここにいるのはフェリシアと見知らぬ青年のみであった。
「え、えーっと、オレの計算だとざっと百年は越えてるかな……」
申し訳なさそうにそういった青年の言葉に、フェリシアは頭がくらりとした。
せいぜい長くても数年だろうと思っていた、まさか百年越えの回答が来るなどとは思ってもみなかった。なんせこの部屋はあの時見たままだ。何も変わっていない。とてもその言葉を信じる気にはならなかった。
「冗談でしょ?」
フェリシアは重い体を叱咤して、なんとか立ち上がる。思うように動かない体に自分が眠っていたことは実感する。支えようとする青年の手を振り払い、フェリシアは扉に向かって歩いた。変わらない両開きの扉は、今のフェリシアには酷く重く感じる。
ゆっくりと両手でその扉を押した。
そこには、フェリシアにとって衝撃的な光景があった。
埃の被った窓辺、ひび割れたガラスに蔦の張った壁。王座の間と違い、そこには手入れのされていない寂れた城の姿があった。
朽ち果てた、まさにそんな言葉が似合う城の状態を見て、フェリシアはまるで誰かに頭を殴られたように感じた。
「……、百年。本当に、百年以上経っているのね……」
フェリシアの体は力なく崩れ、床に座り込み、その場から動けない。
「私、守れなかったんだ……」
無意識に涙が溢れ落ちる。自分の不甲斐なさに爪が食い込むほど手を握りしめる。あの時のことを思い出して、後悔する。もっと違うことを言っていれば、もっと違う選択をしていれば、結果はこうならなかったのではと短い時間で頭の中に様々な考えが渦巻く。
いつの間にかフェリシアの側に来たらしい青年が、躊躇いがちに彼女の手に触れる。
「……、そんなことしたら怪我するから、やめなよ」
そう言ってどこかから取り出したハンカチを差し出し、俯いたフェリシアに手渡そうとしてくれる。
何故この青年はこんな寂れた城にいるのかなどいくつか疑問はあったが、フェリシアはそんなことよりも気になったことがあった。
「……あなた、この国がどうなったか知ってる?」
この城の寂れようからして無事ではないと悟ってはいるが、はっきりとした答えがしりたくて、フェリシアは赤くなった目を隠すことなく青年を見据えた。青年は少し申し訳なさそうな顔をして頷く。
「……この国は、ケルティアという国に併合された」
フェリシアにとってはその答えはとても意外なもので、思わず聞き返す。
「ケルティアに?」
ケルティアはこの国の南に位置する交流の深い国であり、両国の関係は良好だった。
「誰か別の王が立って、新しい国ができたとかではないのね?」
フェリシアの言葉に、青年は小さく頷いた。
てっきり彼が私に変わって王になったのかと思っていたのに……。
「じゃあ、この土地もケルティアが管理しているのね」
「えっと、たぶん。オレはこの国の人間じゃないから詳しいことはちょっと……」
そう答えた青年の言葉に疑問を感じたところで、突然二人以外の足音がどこからか響く。その音に、青年の方が反応して立ち上がると、扉をでて廊下を見据える。その横顔は何かを警戒するような表情で、フェリシアは不思議に感じた。
あまり意識していなかったが、青年は深い藍色の髪に同じ色の瞳をしており、あまりこちらではみない色彩の持ち主だった。
「ねぇ、あなた名前は?」
足音は気になりはしたが特に手を打とうとは思わない。それよりも目の前の青年のことが気になった。
「……、レン」
「レン、貴方どうしてここに?貴方が私を解放してくれたのよね?」
「それは……、その……」
言い淀むレンにフェリシアはますます不思議に思う。
「私が氷漬けにされてたってことは、溶かすための手段が必要よね?もしかして、貴方……」
廊下の先を見つめていたレンが急にフェリシアを振り返ると頭を下げた。
「ごめん‼︎オレ何も考えれてなかった!貴女のこと助けてあげたつもりたったけど、……さっきの涙みたら、間違ってたかもって思う」
何故かレンの方が泣きそうな顔をしておりフェリシアは驚いた。
「百年以上経って目が覚めるのが、どんな感情か、気持ちか、オレにはわかんない。しかも、この国の女王様だったんだろ……?」
その通りだった。
フェリシアはこの国の女王だった。この国を守るべき存在だったにも関わらず、守れずに終わってしまった。
それなのに、私は生きている。
いっそ死んでいた方が……。
そんな暗い考えに至るが、フェリシアは首を横に振る。
「貴方を責めるつもりはないわ。それより、森がどうなったか知ってる?まだちゃんと存在する?」
「聖なる森って呼ばれる森のこと?」
「えぇ、きっとそう」
フェリシアの時にはそんな風に呼んでいなかったが、長い年月が経てば呼び方などいくらでも変わってしまう。
「今もあるよ。オレもここにくる前に少し覗いたけど」
「行くわ」
フェリシアは立ち上がると何故か扉とは違う方向に歩き出す。
「え、ちょ、出口は……」
足音は徐々に近づいてくるが、フェリシアは気にも留めない。王座の近くに来ると、くるりとレンを振り返った。
「足音の持ち主と出くわしたくないなら貴方も来なさい」
フェリシアの言葉にレンは不思議そうに視線を返す。しかし次第に近くなる足音から目を逸らし、フェリシアのいる王座の近くに足早に移動する。
「何代か前の王にすぐに城を抜け出す王がいてね。その人が作ったみたいなんだけど」
フェリシアはそう言いながら、王座の裏側にある床を押すと、王座の後ろにある壁が動き出す。
「抜け道があるの。行きましょう」
得意気に笑ったフェリシアにレンは無言で何度も頷いた。