2.氷の中で眠るのは…(レン視点)
時間は二週間ほど前まで遡る。
彼女を見つけたのは、想定通りだった。
高い山脈の向こう側を南から北へ移動した旅の最後の目的地。事前に調べていた場所に古びた城はあった。
この廃墟のような場所は、かつてこの地域で古の力を抱く国と称されていた国の城。今や白い壁は緑の蔦で覆われて、城へと続く坂道も草で埋め尽くされている。
青年は坂の下からその廃墟と化した城を見上げた。
濃い藍色の髪に同じ色の瞳をした青年ーーレンは、成人はしていそうだが、少年にも見える顔つきだ。斜めがけの薄いカバンを背にかけただけの身軽な格好だが、足元だけはひどい道でも耐えられそうなしっかりとした靴を履いている。
「これは、……入っていいのか?」
かつて荘厳な城であったそれを前に呟くと一呼吸おいてから、なぜかため息をつき、その草だらけの坂道を登り始めた。目の前にあった看板に何か書いてあった気がしたが、見なかったことにしてそれを無視した。
閉鎖されている城の門を軽々と登り、城壁の内側に入り込む。その内側もやはり手入れのされていない様子が一目でわかる。草が生い茂り、荒れ放題の様子を見るも、レンは気にする様子もなく奥へと進んでいく。
蔦が絡まっている城への入り口の両開きの扉を引くがなかなか扉が開かず、レンはさらに力を入れて真っ赤にな顔になりながら引っ張る。
すると突然扉が大きく開きバランスを崩して尻餅をつく。
「いった!あのさー、もうちょっと早く手伝ってくれてもよくない?」
服を払い、ぶつぶつと文句を言いながらも、レンは開いた扉の中へと進んで行く。
開いた先はホールになっており天井が高く広がっている。しかし、それまでと同様壁が崩れ落ちているところや、壁に取り付けられていたランプが割れて落ちていたりと、荒れた状態であることが分かる。
「これが天下の古の力を抱く国の城かぁ」
朽ちたホールを見上げながら呟いた声は妙にホールのなかで響いた。
レンはどういうわけか迷うことなく、城の奥へと進んで行く。足取りに迷いはなく、かつては青い絨毯だったであろう場所を、足元に気をつけながら歩いて行く。まるですでに目的地は決まっていたかのように。
そして再び現れた豪奢な造りの両開きの扉。何かの植物のレリーフが施された扉はこれまであった扉とは大きさも質も異なる。
「ここ?」
埃の被った真っ白な扉に触れながらレンはゆっくりとそれを両手で押した。
そこにはこれまでと明らかに異なる部屋の様子が広がっていた。これまでとは違い、壁や床には一つの埃も、壊れた所もなく、美しい白い壁と深い青色の絨毯がレンを迎えた。
流石に先ほどまでとの違いに驚いたのか、キョロキョロと辺りを見渡す。そして、すぐに目についたのが、正面の物である。
そこには王座があった。
正確には、巨大な氷に覆われた王座と人だった。
部屋の様子の違いにはすぐに興味を失い、ゆっくりとその巨大な氷に近づいて行く。
「これが……」
レンは氷の正面に立った。その透き通った氷の向こうには、美しい女性の姿があった。何か声を上げている最中のような表情で固まっている。今見ても質の良い鮮やかな青いドレスに、腰ほどの長さまである淡い金色の長い髪。薄紫色の瞳は、怒りのような悲しみのような複雑な表情をしている。
「伝承の姫みたい……」
レンの住んでいる国には不思議な伝承があった。何かにそう書かれているわけでもなく、口伝えで知っていること。
金色の髪に、紫の瞳の姫には逆らうな。彼女の怒りを買うと災いが起こり、領土は森へ還るだろう。
そんな風に伝えられている姫の姿と、目の前の氷の中の女性はよく似ている気がした。
「本当に、……生きてるの?」
レンは氷の向こう側に訊ねるようにゆっくりと手を伸ばす。もう少ししたら女性に触れられそうなのに、氷に阻まれ直接触れることはできない。
「氷そっくりなのに、冷たくない。本当に氷じゃないんだ」
この部屋自体も決して寒いわけではない。氷のように見えるこれも本物の氷ではないため、溶けることもなく、冷たくもない。
レンは氷に触れていた手をそのままに、目を閉じた。
しばらくすると触れていた場所から白い煙のようなものが出始める。強い風が舞い上がり、レンの藍色の髪を舞い上げる。服がバタバタと大きな音を立ててはためき、レンも風の強さにさら強く目を閉じる。
風は徐々に強くなり、それと比例するように白い煙も増えていく。レンの目の前が白い煙でいっぱいになったところで、突風のように強い風が起こると、白い煙を掻き消した。と同時に目の前にあった氷も消えていた。
まるで今までそんなものがあったことすら嘘のようだ。
レンは風が止んだのを確認するとゆっくりと目を開けた。
そこに残ったのは、女性のみ。
ぐらりと体が傾くが、その体はまだ意識を取り戻してはいないのか動く様子がなく、床に倒れる前にレンが慌てて抱き止める。
「死んでる……?」
体の冷たさに思わずそう口にするが、抱き止めた体から心臓の鼓動が聞こえて、その考えを振り払う。
「……あれ、使うの?」
レンは嫌そうな表情をしながらも、床に自分の着ていた上着を敷いて、ゆっくりと女性を下ろして横たえる。同時に自分自身もしゃがみ込み、背に掛けていた鞄を下ろし、中をごそごそと探り始めた。
そして、一つの小瓶を取り出した。
「どんな深い眠りからも立ち所に目が覚めるほどの強烈な苦味と渋みのある気付け薬って聞いてるけど」
透明な小瓶を掲げて中の液体を揺らすと、中の深い緑色の液面が動く。
「でも、意識もないのにどうやって飲ませるんだ?」
まるで誰かに問いかけるような言葉だが、眠るように意識のない女性以外は近くに人の姿はない。
レンはそれでも何もない虚空に話しかけるように顔を持ち上げた。
「はっ⁉︎なんで⁉︎」
焦ったように立ち上がり何もない空間に話しかけるレンは普通ではないように見えた。
しばらくすると諦めがついたのか、レンは小瓶を手にして再び女性の前に跪いた。
「…….、これはただの救命行為。救命行為。オレは悪くない、悪くない」
自分に言い聞かせるように、何度かその言葉を呟くとレンは小瓶の蓋を開き、決心したように勢いよくその液体を自分の口に含んだ。