幕間:フェリシアの記憶-眠りにつく直前-
フェリシアは婚約者であるオベラージュ=クランと向き合っていた。クラン公爵家の嫡男であるオベラージュとはフェリシアが王位に着くと決まったときからすでに婚約者であった。
フェリシアは森や精霊は自然のままにしておくべきだと主張してきたが、オベラージュはそうではなかった。精霊と取引をし、その力を意のままに利用してこそ価値があるというのがオベラージュの考えだった。
オベラージュはフェリシアと同じように精霊が見えた。王族以外では珍しく、小さな頃はオベラージュと話もあった。なんせ二人だけが精霊の姿を見ることができたのだから。
この頃の森の管理はクラン公爵家に任されていたが、いつからかクラン公爵家は森の木々の伐採を進めていた。人の住む場所を増やすためという主張ではあったが、フェリシアはそれをやめるように何度も伝えていた。王位について日が浅いフェリシアは、長年王家に仕え、森を管理して来たクラン公爵家を従わせるだけの力がまだなかった。
あの日もいつもと同じようにお互いすれ違う主張を繰り返していたが、何故かオベラージュは笑った。
「わかっていますよ。ちゃんと陛下のご意向を受け入れました」
そう言って彼がフェリシアの目の前に突き出したのは、何かの契約書のようだった。
「これで陛下のお望み通りに、森は守られますよ」
フェリシアは前に向けられた契約書を読んだ。それはクラン公爵家と森の精霊たちが結んだ契約のようだった。しかし内容を読んでみるととんでもなく精霊たちに不利な契約になっているのだ。
「何よこれ!」
フェリシアが契約書を奪おうとしたが、オベラージュはさっとその契約書を下げてしまい、フェリシアの手は空を切る。
契約の内容は、森を守るかわりに、オベラージュに精霊の力を自由に使うことが出来るようにするというもので、その契約はオベラージュに限らずクラン一族に永遠と引き継がれると言うものだった。
フェリシアはオベラージュを睨みつけるがそんなものは痛くも痒くもないとでも言わんばかりにオベラージュは笑う。あまりの悔しさに唇を噛む。
「こんなことをしたら、精霊がいなくなってしまうわ!」
人間と精霊はたまに取引をすることがある。その内容は人間と精霊との約束事で、内容はお互いの合意のもと決まる。
この契約ではクラン公爵家が自由に力を使えるというものだ。人間の要求のもと精霊が力を使う場合、精霊にはものすごく重い負担となる。己の力を使えば使うほど、その生命力を削ることになる。いくら長寿命の精霊とて、そんなことをし続ければどうなるかは目に見えている。
「そんな契約ありえないわ!」
「もう遅いのですよ、陛下」
オベラージュは契約書を持っていない方の手をフェリシアに向けた。彼の方には水の精霊の姿があった。その精霊の額には赤い花のような印があり、それは人間と取引をしている証。この場合は、オベラージュと契約をしているのだろうと推測できる。
瞬時にそう判断したものの、襲いかかる水の攻撃を目の当たりにし、フェリシアにそれ以降の記憶はない。
ケルティアを出る前、フェリシアは国王にオベラージュについて聞いていた。
「あの、オベラージュは、……クラン卿はどうなりましたか?」
フェリシアの心配事の一番はこれだった。あの精霊に不利な契約が一体どうなったのか、これだけは聞かずにいられなかったのだ。
「一時期聖なる森は、オベラージュの森と呼ばれるほど、クラン一族による支配が強くなりました。しかし、今はもうかつての契約書はなくなり、精霊たちは自由になったと言われております。ただ、私には精霊が見えず実際のところはわかりません」
「あの契約はなくなったのですね……」
「クラン一族の若者が自ら契約書を破ったと聞いております」
オベラージュの目論見を自らの一族の者が終わらせるなど、彼も思っても見なかっただろうなと思う。
「よかった……」
それだけで、フェリシアは少し救われた気分になった。