1.適当な発言で婚約することになりました
タラス帝国の皇城の謁見の間には、現皇帝が玉座に座っており、少し控えた場所に宰相の姿がある。そして、玉座から続く真っ赤な絨毯には一組の男女が佇んでいる。
一人は濃い藍色の髪に同じ色の瞳を持つ、20歳前と見える青年。もう一人は淡い金色の髪に薄紫の瞳の女性だ。皇帝への謁見ということもあり、二人はかっちりとした服装ではあるものの、青年は楽な姿勢のままであり、女性の方はやや不安げな顔つきである。
「それで?その者が、お前が言っていた結婚相手か?」
その皇帝の言葉に、目の前の二人は不思議そうな顔をしてお互いの顔を見合う。そんな二人の様子に、体格の良い皇帝が盛大にため息を吐く。
「レン、お前が旅に出る前に言ったんだろう?『結婚相手ぐらい自分で見つけるよ。帰った時には連れてくるから!勝手に決めるなよ!』って」
父親でもある皇帝の言葉に、青年ーーレンはしばし考えるように頭上を見上げたが、ふと数ヶ月前のことを思い出したように手を打った。
「……、あー。言った、かも」
「言ったの⁉︎」
レンの横に立っていた女性ーーフェリシアが思わずツッコミを入れる。そのフェリシアの言葉に、レンは笑う。
「ごめん、言った。そういえば」
「ちょっとどうするのよ!そんなつもりで私を連れて来たわけじゃないでしょう⁉︎」
焦ってレンを見るフェリシアに対して、レンは腕を組んで悩む様子を見せる。ハラハラとしているフェリシアと比べて非常に芝居がかった適当な表情だ。
「んー……。フェリシア、結婚して?」
「なんでそうなるのよ!おかしいでしょ‼︎っていうか、こっちは貴方が帝国の皇子ってさっき知ったばかりなのよ‼︎」
レンの回答に思わず大声を上げるが、レンは腕を下ろしてフェリシアを見る。
「でもさ、考えたんだけど、フェリシアならいいかもしれないなって。他の貴族令嬢と違ってしがらみがないじゃん?あ、まさかフェリシアって結婚してるの?」
「してないけど」
「じゃあ、なおさらいいじゃん」
「いいわけないでしょ!」
かつての身分を忘れてしまったかのようなフェリシアの鋭いツッコミにもレンは動じない。
なんなら困った顔で助けを求める。
「このままだとオレ、20歳で結婚させられるんだよ。フェリシア助けてよー!」
「皇族としての勤めでしょ。したら良いじゃない」
「それは理解してるけど、どうせ結婚するなら気が合う人がいいだろ?一生一緒にいるんだよ⁉︎」
「あのねぇ、私となら一生一緒にいても良いっていうの?」
「うん。フェリシアならなんか大丈夫な気がする」
「いや、適当すぎでしょ!私たちだってまだ会って数週間よ⁉︎」
「じゃあとりあえず婚約して」
「とりあえずの意味がわかんないわよ」
「20歳まであと半年しかないからさ、その間オレはまだ自由にしたいの。だけど婚約ぐらいしてないと好きにさせてもらえないからさー!」
皇帝の目の前でこの会話をしている時点でアウトだと思うが、皇帝はにやにやと二人の様子を見ているだけで何も言わない。控えている宰相も静かに様子を伺っているだけで、口は開かない。
「レン、あなたわかってないわ。私、自分の身を証明する手段がないの」
「女王様でしょ」
「大昔に滅んだ国ね。でも普通に考えて誰も信じない。あなた帝国の皇子なんでしょ?そんな身分も怪しい人と婚約なんて許されるわけないじゃない」
フェリシアはその言葉を皇帝に聞こえるように言って見せた。きっと反対の言葉が発せられるだろうと思い。
「レン、お前本当にあの話を信じて行ってきたんだな」
何故か皇帝の表情が楽しんでいる顔そのものになる。フェリシアには理解できない。
「だからそう言って出たじゃん。信じてなかったの?」
「ただの反抗期かぐらいに思ってたな」
「なんでだよ」
「で、このお嬢さんが、彼の国の女王陛下というわけか」
おそらくレンはフェリシアがどのような人物か事前に皇帝に伝えていたのだろう。
じっと皇帝に見つめられると、流石にかつての立場を思い出す。自然と背筋を伸ばし、姿勢を正す。そして、視線は決して外さない。
お嬢さん呼ばわりされるのは年齢的に仕方ないとしても、フェリシアとて一国の主だったのだ。皇帝に見られるぐらいで怯むわけにはいかない。
まぁ、国の規模がだいぶ違うけど……。
フェリシアのその態度に皇帝はにやりと笑う。
「まさしく、伝承の姫の色彩を持っているのだから誰も文句はなかろう」
「え?」
意味がわからずフェリシアがレンを見ると、レンは両手を頭の後ろに回して知らん顔をしている。
「どういうこと?」
フェリシアが凄むとレンが笑いながら話す。
「うちの国ってさ、昔からの言い伝えの姫、伝承の姫って呼んでるんだけど、その人に弱いんだよね。フェリシアはもう見た目からして、うちの国の頂点に立てるよ」
「全然意味わかんないわ」
「まぁ、説明はまた今度ね。というわけで、婚約して!親父だって、フェリシアだったらいいだろ?」
そんなわけないでしょという顔で見ていたフェリシアだが、皇帝が重々しく頷くのを見て目を見開く。
「なっ!どうしてですか⁉︎」
「原始の森にされたくないからな」
「……意味がわからないですが」
「それにその首にかけてるのはケルティア王国の身分証だろう?」
首にかけていたのは、フェリシアが国を出る時に渡されたものだ。これがないと国境を越えることも難しいと言われて。
「それはケルティアの国王が認めた者だけに渡される物だと聞いている。ケルティアが保証しているのなら、まぁ問題はないだろう」
そう言って皇帝は、にっと笑った。
いやいや、おかしくない⁉︎
フェリシアは何とか言葉を飲み込んだが今にも皇帝に対して「そんなことでいいの⁉︎」と言いたくなった。近くにいた宰相に視線を送ってみたが、難しい顔をしているだけで何も言わない。
結局のところフェリシアは、泣きそうになりながら頼み込んでくるレンのお願いを断れず、折れることになる。
「……わかったわよ。助けてもらってばっかりだから、今度は私が助けるわ。婚約はレンが二〇歳になる時までだからね」
「うんうんうん、それでいいよ」
心底安心した顔で頷くレンにフェリシアはため息をつきつつも、弟のように感じるレンを放っておけなかった。
たった半年のことだ。
そう割り切って、フェリシアは出された婚約書類に名前を書いた。まさかこれが後から仇となるとは思いもよらなかったのだが。
新しいお話です。
楽しんで頂けるとうれしいです。