虚無と光
※語り手さんは引き続き第1王子殿下です(`・ω・´)ゞ※
※悲恋、純愛要素あり。キアちゃんも出てきます※
落ちていく。
ただ、落ちていく。
空のような果てなき底へと。
いつの間にか腕に抱いた彼女の感触がどこにもなかった。
あぁ、何故。
何故こんなにも引き離されなくてはならない。
何故、彼女と結ばれることができない。
今度生まれ変わることができたのなら、彼女を守りたい。
手放したくない。
彼女を本当に守れる力が欲しい。
―――私は、侍従にひとりにして欲しいと告げた。そしてひとり寝室で泣いた。ひたすら泣いた。私は生まれ変わったのだ。この世界に。あれは前世の記憶。地球と言う星の日本で育った異世界の記憶。
記憶を取り戻す前の記憶はある。このクローネ王国の第1王子として産まれ育った記憶。父上のことも母上のことも、弟のことも全部覚えている。
確かに力が欲しいと願った。第1王子として産まれるなんて、確かに権力はあるだろう。王太子になれる可能性だって、国王になる可能性だってある。
けれど産まれた弟は勇者だった。そして、勇者の方が次期王太子に相応しいと周囲が持ち上げた。魔法の才はあっても、決して勇者にはかなわない。剣は習ってはいるものの、勇者ならばそれすらも平然と凌駕していくだろう。
例え生まれ変わっても、第1王子に産まれても。
そんな勇者の弟が産まれただけで毒殺されかかった。第1王子なんて地位はあってないものだ。護衛や侍従はいようとも、いつか勇者の元に離れていってしまうだろう。
幼い頃より慣れ親しんだ侍従はついて来てくれるだろうが。だけど、今この何も自分の力ではできない状況がそもそもの絶望でしかない。
それに、どこにもいない。
また、君に会えない。
あぁ、柚津花、どこにいる。
せっかくこの世界に生まれ落ちても、君がいない世界なんて何の意味もない。ただ空虚で、絶望しかなくて、あぁ、どうして。どうして。柚津花に出会えない。
とめどなく涙が零れ落ち、むせび泣いた。その異常さに、席を外していた侍従が部屋に飛び込んできて優しく抱きしめてくれた。それでも涙が枯れることはなくて。気を失うまで狂ったようにひたすら、ひたすら泣き続けた。
―――
あの日から、私は抜け殻同然だった。必要な王子教育は受けていた。けれど何の感情もわかない。食べ物の味も分からない。ただただ、空虚な時間が過ぎていく。
私がそんな状態だから、父上は私を表舞台に出すことはなかった。代わりに弟は表舞台に立った。時折顔を合わせる弟が何かを言って周りが慌てて止めても、何の感情もわかない、何の反応もしない。弟はそんな私を不気味がり、寄り付かなくなった。
母上に引き合わされたが、母上は私に向かって“自分が産んだ子じゃない”と、喚き散らした。普通の子どもであれば、そんなことを言われれば落ち込むのだろうか。傷つくのだろうか。脅えるのだろうか。けれど私には何の感情もなかった。何の反応もなかった。
母上は勇者を産み、そしてその周囲からの重圧に耐えられず精神を病んで壊れてしまった。王妃になったことでさえ、父上との幼い頃からの婚約者だったからだ。それでも母上には重圧だったのだろうが、父上の支えもあって何とかこなしてきた。だが、今回の騒動が結果的に母上を壊してしまったのだ。
当然のことながら、こんな状態の私に婚約者はいない。弟は由緒ある公爵令嬢と婚約を果たしたそうだが。彼女に一度引き合わされたことがある。スイートブラウンの髪に、オレンジ色の瞳を持つ美少女だった。けれど何の感情もわかなかった。
―――彼女では、ないから。
時には、気を利かせた父上が外国への留学がてら、外の世界を学んで来たらどうだと提案されて赴いたこともある。だが、どこにも彼女はいない。
柚津花。
柚津花。
柚津花。
―――どこにいる。
―――何故いない。
―――こんなにも、君を求めているのに。
―――何故、何故君が隣にいない。
留学から帰っても、特に代わり映えはしなかった。執務には真面目に取り組んだ。侍従たちが弟が外で色々とやらかしている。そう聞いても、どうでも良かった。
何もかも、空虚だった。
ただ、流れ作業のように執務を片付けて、味のしない食事をとって、寝て、起きて、執務を片付けて。
―――あぁ、こんな生活に何の意味があるのか。
最近仕事を詰めすぎだと侍従に言われて王城の庭園に出たところで、何も変わらない。城を訪れていた令嬢が、私の顔を見てリカルドの兄だとわかり取次ぎを頼もうとして来た。第1王子の前で、第2王子に媚びを売ってくるなど、何様なのだろう。
一瞬、あの忘れもしない毒女の顔が脳裏によぎって奥歯をかみしめた。感情など当の昔に消え果ていると思っていたのに、その俺の顔に浮かんだ表情を見て、女はビクンと肩を震わせた。
面倒くさくなって騎士を呼べば、ようやく女はどこかへ去って行った。
騎士を下がらせ、何も考えずに庭園のベンチに腰掛けていれば。
「―――陛下?」
また、女の声。いやいや顔を向ければ、驚いたように私を見る少女。現在城で父上が保護している弟の婚約者によく似ているが、目の色が何となく違った。
「あ、いえ!失礼しました!一瞬陛下が若返ったのかと思いまして!他人の空似ですね!」
他人と言うか、父子だが。
「―――誰だ」
私が不機嫌そうに尋ねれば。
「キアラ・ナハトと申します。お休み中、大変失礼いたしました」
ナハト?あぁ、父上の影の長の表面上の爵位か。その、娘。オリヴィア嬢とは従姉妹とは聞いていたが、こんなにも似ているとは。
「ここで何をしている」
「えっと、ひとを探しておりまして。大公令息のユリウスさまを見かけませんでしたか?」
宰相の息子?たまに顔を合わせることはあるが、仕事上のやり取りだけでたいしてかかわりもない。確かナハト侯爵家に居候していると聞いた。宰相のところの夫人は、母上のように離宮で静養のように穏便には行かなかったと聞く。宰相は家から遠ざけるためにも、唯一ユリウスの莫大な魔力を抑えられるナハト侯爵に預けたと聞くが。
「知らない」
「そ、そうでしたか!失礼しました。あ、お詫びにおひとついかがですか?」
そう言って、何か食べ物を差し出してきた。
父上と見間違ったと言うのに、私が誰だか気が付かないのか?
ナハト侯爵令嬢の手の上に載っていたのは。
―――この世界では、あり得ないものだった。
いや、世界各地を探せば同じようなものがあるのかもしれない。東の果てには日本によく似た国もあると言うし。しかし、何故この少女が。
呆然と彼女の差し出した包みを受け取り、彼女が駆けていく後姿を見送った。
彼女は、ユリウスと再会できただろうか。
―――そして、彼女のくれた包みの中に入っていたものを呆然とずっと見つめていた。




