オリヴィアさまと私
※今回もユヅカさま視点のお話です※
昔読んだ、小説の中に似た世界。とても似たひと、オリヴィア・ノグレーさま。けれど彼女は私の知る小説の中のオリヴィア・ノグレーとは何もかも違っていた。
容姿は確かに似ているが、気品に溢れ、優し気な微笑みを絶やさないひと。スイートブランの滑らかな髪に、オレンジ色の美しい瞳。肌は雪のように白く、そしてお姫さまのようにきれい。
突然地球とは違う世界に迷い込み、“第2王子”に捨てられた私を拾ってくれた優しいお方。私を拾ったことで、その方から罰を受けるのではないか、そう不安に駆られたが、彼女は何も心配しなくていいと言ってくれた。
「異世界、という場所から神さまによって召喚されてきた聖女さまがいらっしゃるようなの。あなたは一緒に来て、そして第2王子殿下によって脚を傷だらけにされた。とても王子として、ひとりの男としても褒められる行動では決してないわ」
そう、オリヴィアさまは語った。私の傷だらけだった脚は、“治癒魔法”という便利なもので傷痕のひとつもなくもとの脚よりも美しくなっていた。
しかし、傷は治っても、心の傷までは治らないとオリヴィアさまが悲しそうにそう告げた。
そして暫くはこの世界のことを学ぶためにも、行儀見習いとしてオリヴィアさまの侍女を務めないかと勧められた。こんな右も左もわからない私でいいのかと不安になったが、この国の国王陛下も賛成してくれたことだからとオリヴィアさまに励まされ、私はオリヴィアさまにお世話になることになった。
オリヴィアさまに習うこの世界の知識も、礼儀作法も小説や日本で学んだこととは違いが多すぎて、とても大変だったが、ひとつひとつできるようになるとオリヴィアさまも周りの侍女たちも褒めてくれた。こんなにも褒められたことはないし、毎日優しくしてもらえることも初めてのことだった。だから、私を拾ってくれたオリヴィアさまのために私は頑張ろうと思えた。そんなある日のことだった。
「おい、オリヴィア!何故その女がここにいる!」
「そうですわ!リック、私こわぁいっ!」
突然の怒号。そしてズカズカとオリヴィアさまのティータイムに土足で上がり込んできたのは、あの日見た第2王子殿下だった。小説にも同じ愛称で、同じ見た目の主人公が出てきたけれど、似ているだけでその横暴さも歪んだ表情も何もかもが違った。
そして、その第2王子殿下にピタリとくっつけて目を潤ませている“聖女さま”の姿に私は酷く脅えた。あぁ、また奪われるのかと。
しかし、オリヴィアさまは毅然とした態度で言い放った。
「第2王子殿下。こちらは私が陛下より貸し与えられている宮です。先ぶれもなくこのように土足で入って来られるのはいくら何でも無礼ではありませんか」
「何を!?ぼくはこの国の王子で次期王太子だぞ!」
このひとが、次期王太子。それは小説と同じ。小説の中の“彼”ならば、きっと国をよく治めてくれただろう。しかしながら目の前の彼は?
この方が王太子に、そして国王になったのなら、オリヴィアさまは一体どうなってしまうのか。そしてオリヴィアさまから、オリヴィアさまがこの方の婚約者であることを聞かされた。私には、どうしようもない王命の婚約である。
「だからと言って、我が物顔でそのようなことをされるのが王族として正しいことなのですか。国の賓客が城に滞在していても同じことを成さるつもりですか」
私に力があれば、オリヴィアさまを守れるのに。
私は、オリヴィアさまに守られてばかりだ。
オリヴィアさまは、私のせいでいちゃもんを付けられている。
「それは、それは国賓だから。お前は、ぼくの婚約者で、居候だ!」
「確かに、私はあなたの婚約者です。しかしながら、こちらに滞在しているのは陛下にお許しをもらっているからであり、殿下に許可をもらっているわけではありません。陛下に許可を得て城に滞在する国賓も、私も、そして多くの客人も、決して殿下の許可を得ているわけではありません。そして、たとえ居候と言われようが、陛下の許可を得てこちらに滞在している以上、殿下にとやかく言われる筋合いはありません。それともあなたは、陛下の決定に異を唱えると言うことですか。ならば、直接陛下に奏上してくださいませ」
「んなっ、生意気な!」
「そうですわぁ、リック。あの女は酷い女なのです!それにあんなどこの馬の骨ともわからない下人と一緒にいるなんて!」
オリヴィアさまのどこが酷い女性なのだろう。下人とは私のことだろうか。薄々、気が付いていた。父とも母とも異なるこの茶色の髪、そして黒に染まり切らないグレーの瞳。私は、恐らく父の血を引いていないのだろう。母には数多くの愛人がいたのだ。そして、その愛人たちのウチのひとりの子ども。それが分かっていたからこそ、父は私を家にはおいても娘だとは思わなかった。いや、それでも家においてくれただけ父の情けだったのだろうか。
そしてそれを、聖女さまも感づいていた。決して愛されることのない、愛人の子。実の母にも愛されず、そして本当の父親には会ったこともない。
「異世界からの、聖女さまでしたね」
オリヴィアさまの声が低くなる。そのすごみに、思わず聖女さまの肩がビクンと震えた。
「この世界に来られてまだ日も浅く、ご存じないかもしれませんが。わたくしはこのクローネ王国のノグレー公爵家の嫡子であり、将来は婿を取り公爵夫人となります。王族、大公閣下に継ぐ爵位を持つ公爵家の直系であるわたくしにそのような侮辱をなさるのは、この国では侮辱罪となるのです。そして、ユヅカはわたくし付きの侍女であり、後見人はこのわたくしです。彼女への侮辱はそのままわたくしへの侮辱となります。ここはその国の中枢である王城、周囲には多くの使用人たちがおります。発言にはお気を付け下さいませ」
「んなっ!アンタは悪役令嬢じゃない!どうせ断罪されるのに、それが何だって言うのよ!それに、その女の後見人になったですって!?知らないの?その女は愛人の子なのよ!」
やはり、そうだったのね。そして、あなたも知っていたのね。
「それが何だと言うのです?この世界では特段珍しいことではありませんよ。責任を問われるのならばその親であり、子に何の罪がありましょうか。そのようなことで他者を侮辱するものも当然この世界にも多くいますが、それはとてもではありませんが品位のある行動ではありません。“恥ずべき行為”なのですよ。あと、先ほども申し上げましたが、これ以上根拠のない妄言でわたくしを侮辱するのであればしかるべき処置を取らせていただきます」
「はぁっ!?脅しのつもり!?私はこの世界に選ばれた聖女なのよ!ヒロインなのよ!この私に何て無礼なのでしょう!」
「そうだ!“ミナモ”の言う通りだ!聖女である彼女を脅し、愚弄することはこのぼくが許さん!」
あなた、“ミナモ”と名乗っているのね。本当の名前は一体どこへ行ったの?
「では、手始めに。陛下の前でも同じように仰ってくださいませ。陛下の命で別室に隔離されているはずのそこの聖女さまをあなたが連れまわしている件も含めて」
「は、はぁっ!?何故父上が出てくる」
「当然ではありませんか。陛下の命で隔離されているそこの“聖女さま”が陛下の命を無視してこちらに来られているのです。通報するのは臣下として当然の務めではありませんか?」
「んなっ、ミナモは保護されているんだ!ぼくが付いている以上は、安全だ!」
「何を勘違いされていらっしゃるのか。あぁ、来られましたね」
オリヴィアさまが視線をふいっと外せば、その方向から多数の足音が響いてくる。
「第2王子殿下!陛下がそこの聖女殿を勝手に連れ出した件について話を聞きたいとの仰せだ。我々と共に来ていただきましょう」
告げたのは赤い髪に淡い紫色の瞳を持つ男性だった。聖女さまはその顔を見てぱあぁっと表情を輝かせる。恐らく彼は、近衛騎士団長のグウェンさまなのだろう。
「そこのお客人は丁重に部屋までお送りしろ」
そう、グウェンさまが冷たく言い放てば、女性騎士たちが聖女さまを羽交い絞めにして無理矢理その場から引きずり出していく。
「いや―――っ!リック!助けて!グウェン~~~っ!助けて~~~っ!」
そう、泣き叫ぶ聖女さまに、第2王子殿下が怒りをあらわにする。
「おい!やめろ!彼女が嫌がっている!」
「陛下の命に背かれるのであれば、直接陛下に奏上してください」
グウェンさまが圧を強めてそう告げれば、ビクンと震えた第2王子殿下が不意に何かに首の後ろを殴打されたように気を失う。
その後ろに一瞬、誰かが見えた気がするんだけど。気のせい?
「どうやら、お疲れのようだ。我々で急ぎ陛下の元へお運びしよう」
そして気を失いよろけた第2王子殿下を雑に抱えたグウェンさまは、撤収と部下たちに告げ、その場を後にしてしまわれた。
「もう、大丈夫よ。ユヅカ」
「―――オリヴィアさま」
私の不安を見抜いていたのか、オリヴィアさまが私の震える手をあたたかな両手でそっと包んでくださった。




