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第72話 叩き出した

 










「……そんなこともあったか?」

「あったよ。僕はちゃんと覚えているよ」


 我がすっとぼけたら、勇者は断言する。

 ちっ。無駄に記憶力のいいやつめ。


 ……というか、貴様一度精霊に囚われて壊れていたのだから、その記憶もちゃんと壊しておけよ。

 千年前のあの戦争、確かに面白いことの方が多かったのだが、今勇者が語ったところは我からすると苦い思い出だ。


『まあ、苦いわよねぇ。なにせ、あの破壊神を一番苦しめたのが……』


 止めろ。余計なことは言うな。

 ぶっ潰すぞ。


 ……しかし、覚えているというのであれば、昔の勇者に戻ることもあるかもしれない。

 絶対にかなわないと分かっていても、誰かを守るためにこちらを睨みつけて最善の力を発揮しようとする彼女は、とても愛おしく愚かだった。


 あの時の勇者は、嫌いではない。


「ふむ……また昔みたいに、我に歯向かってくれてもいいのだぞ?」

「別に、今の君をどうこうしようとは思わないねぇ。世界を破壊しようとしていないし、むしろ精霊を倒して世界の人々を助けようとしている。精霊は強力だ。奴らを倒せるのは、君くらいなものだろうし」


 精霊なあ……。

 確かに、少数で攻め込んできて世界を支配することができる力は、驚嘆すべきものだろう。


 そんな連中を破壊することで、我にその畏怖を集中させることは、とても素晴らしい案である。

 精霊は、我のための踏み台にしかならんのだ。


 そして、奴らを踏み潰した後は……。


「精霊の次は、この世界だ。我は世界を再征服し、暗黒と混沌を齎す」

「じゃあ、その時に考えるさ。今は、その必要性はないと思っているよ」


 我の宣言にも、勇者は穏やかな表情のままだ。

 ……なんだこいつ。千年前なら、絶対に突っかかってきていたというのに……。


 昔を懐かしむように、どこか悲しげな雰囲気を纏わせながら、勇者は我の肩に頭を乗せてくる。

 重い。邪魔。


 ……まあ、色々と思うところはあるのだろう。

 勇者は人間だし、本来は千年後であるこの世界で生きていられるはずもない。


 彼女の家族や友人も皆死んでいるだろうし、数少ない顔見知りが精霊の手先に成り下がっていたのだから。

 だから、少しくらいなら、肩を貸してやってもいいと……そう、思うのであった。


「それに、子種ももらわないといけないしね」


 やっぱり、すぐにたたき出した。












 ◆



「うーん……悩ましいわね……」


 今では精霊に支配されてしまった魔王城。

 その頂点の玉座の間にいるのが、精霊マルエラと元魔王ヒルデである。


 かつて、魔王がふんぞり返っていた玉座には、我が物顔でマルエラが座っていた。

 彼女は美しい容貌を悩ましげに歪ませながら、何かを考え込んでいた。


 何かというのは、もちろん破壊神のことである。

 愚かにも、精霊にたてつき、精霊を殺して回っているこの世界の遺物。


 彼を殺さなければならない。

 自分でやれば、簡単な話だろう。あっさりと終わる話だ。


 だが、それでは面白くない。

 この世界の者同士で殺しあわせ、それを高みの見物すればいい。


 なかなか面白いショーになることだろう。

 そのことを考えると、その悩ましさを多少忘れて笑顔を浮かべることができた。


 しかし、そういったショーを見るためには、ある程度拮抗した力の持ち主同士でなければならない。

 今回のことを考えると、どうしても破壊神によって一方的な戦いが繰り広げられるだけのように思う。


 それでは、つまらない。


「今のままのあんたじゃ、何の役にも立たない。不様に逃げ帰ってきたことからも分かるわ。もう一度破壊神の前に立っても、何も変わらないってね」

「…………ッ」


 腹立たしい。

 腹立たしいが、確かにその通りだ。


 自尊心を傷つけられるが、もう一度破壊神の前に立って戦えと言われても、恐怖で脚が動かなくなるだろう。

 彼女の中では、未だにマルエラが大きな存在として君臨している。


 だから、逆らうことはない。口答えをすることも。

 しかし、忘れていた恐怖が……破壊神に対する恐怖が、膨れ上がってマルエラの存在を小さくしていることも事実だった。


「じゃあ、強くすればいいのよ。簡単な話ね」

「強くする……?」


 明暗を思いついたとばかりに笑うマルエラ。

 強く……? そう聞いて真っ先に思い浮かぶのは、努力だ。


 天性のものをさらに成長させたり、またそれを補ったりしようとするのであれば、後天的に努力して身に着けるしかない。

 ヒルデは今まで努力というものをほとんどしたことはないが……。


 そう彼女が考えていることを表情で察したのだろう。

 マルエラは笑いながら首を横に振る。


「修行……っていうのは違うわよ。あんたはそんなの出来るような我慢強さはないし、何より私が教えられないもの。私、努力とかしたことないから」


 それは、以前までのヒルデも同様だった。

 ただ、封印しても復活した時の破壊神が怖く、多少努力はしていたのだが……結局は精霊に及ばず、今では犬として成り下がっているのだから、何も言うことはない。


「それに、手っ取り早い方がいいでしょ? 手っ取り早く強くなって……破壊神を殺せばいいわ」

「でも、どうやって……」


 そんな夢のような方法があるのであれば、昔からしている。

 手っ取り早く……いや、どれほど手間暇をかけても、破壊神を倒せない。


 だから、世界の大敵となり得るのである。

 そんな懐疑的な目を向けられても、マルエラは上機嫌なままだ。


 普段ならば、苛烈な罰を与えられていても不思議ではないというのに。


「ヴェロニカのやつが置いて行ったものがあるのよ。とっておきのやつがね」

「これは……薬……?」


 上機嫌なまま差し出してきた手のひらに乗っているのは、小さなカプセルだった。


「ヴェニアミン……ああ、私と同じ精霊が作ったものらしいわ。もう破壊神に殺されちゃったみたいだけど、こんなものの研究もしていたのね。つまらない奴だったけど、役に立ったわ」


 そりの合わなかった仲間だが、死ぬ前に素晴らしいものを残してくれた。

 少しくらいは、彼のために祈ってやってもいいかもしれない。


「これは、飲むだけで強くなれる魔法の薬らしいわよ。ほら、さっさと飲みなさい」

「そ、そんな薬が……」


 あるはずがない。

 ヒルデは口にはしないものの、心の中でそう断言していた。


 絶対に、そんなものがあるはずがない。

 飲んだだけで強くなる? いったい、どんな原理だというのか。


 強くなるというのは、どういった定義だろうか?

 身体能力を上げる? 魔力を膨れ上がらせる?


 どちらも強くはなるだろうが、そんな急激な変化を齎そうとすると、身体に異変が生じないはずがない。

 大きな効果を持つ薬は、副作用もまた大きなものとなる。


 これは、間違いなくとんでもない副作用を秘めている薬であると、確信できた。

 断りたい。絶対に口に入れたくない。


 しかし……。


「……飲めないの? この私が命令しているというのに」

「ッ!」


 マルエラの冷たい目を向けられれば、その反抗心もあっさりと折れてしまう。


「勘違いしているみたいだから教えてあげるけど、あんたに選択肢なんてないのよ? 私がやれと言った。なら、やるのよ。今までやってきたじゃない。どうして、今更怖気づくことがあるのかしら?」


 スッと近づいてきて、顎下に指を当てられて上を向かせられる。

 こちらを見下ろすマルエラは、まるで氷の彫像のように美しく冷たかった。


 彼女に触れられているだけで、恐怖でガクガクと身体が震えてしまう。


「そんな馬鹿みたいな娼婦にも劣る恰好もした。犬のように四足歩行し、人間の言葉を話せないようにもした。その手で……魔族を殺した」


 ヒルデが着用している露出度の高い衣服を見て。

 過去に獣の真似事をさせて嘲笑ったことを思い出し。


 彼女が守るべきはずの魔族を処刑させたことを想起し。

 マルエラはこれ以上ないほど愉快な気分になっていた。


 だからこそ、そこまで身を落として地に堕ちたというのに、自分に逆らおうとするヒルデのことが許せなかった。


「あんたには、もう守るべきプライドも何もないのよ。今更私に逆らったところで、何も生まないわ。あんたは、もう引き返せないところまできているのよ」


 今更自分に逆らったところで、プライドや尊厳を守ることができるとでも思っているのか?

 魔族たちからの評価をもらえるとでも思っているのか?


 もう、後戻りはできない。

 ヒルデは、そこまで落ちてしまっているのだ。


「飲め。あんたには、選ぶ権利はないわ」

「くっ、うっ……!」


 差し出される薬。

 ああ、言われるまでもない。


 そんなことは、ヒルデ自身が誰よりも一番よく分かっていることだ。

 もう、戻れないんだ。


 だから……進むしかない。

 そして、ヒルデは震える手で薬を受けとり……ごくりと飲み下したのであった。


「うぎっ、がっ、はっ……!?」


 効果はすぐに現れた。

 ヒルデは目を見開き、苦しむようにもだえ始める。


 その直後、ゴキゴキと人体から発せられない凄まじい音が鳴り響くと同時に、ヒルデの身体が歪に変形していく。


「ぎゃああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 耳が張り裂けんばかりの、断末魔の叫びを上げるヒルデ。

 そんな彼女を間近で見て、マルエラは愉快そうに笑う。


「……ホント、最後の最後にいい仕事をしたじゃない、ヴェニアミンのやつ」




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