第57話 仲良し
ボーっとする。
頭が回らなくなる。
もともと知能が高い方ではないのだが、もっと悪化しているような気がしてならない。
しかし、それも当然だろう。
憶えている限り、自分はのど元を鞭で削り取られてしまったのだから。
化け物である自分も、首には太い血管が通っている。
そこを抉り取られてしまえば……出血多量で死ぬことは目に見えている。
死を目前にして、しかし化け物は怯えることはなかった。
それどころか、達成感すら浮かんでいる。
遠のく意識の中で見ていた。
母を苦しめていた精霊が、破壊神に圧倒される姿を。
キメラの視界を介して彼を見て、彼に全てを託したことは間違いではなかった。
そして、止めを刺した母の勇猛な姿を。
何と美しく気高い姿のことか!
だから、化け物は満足だった。
ここで死ぬことになったとしても……母を救い出すことができたのだから。
そう満足して目を閉じようとした化け物に、柔らかくて優しい手が乗せられる。
「起きた?」
目を開ければ、かすむ視界で穏やかな笑顔を浮かべる母の……エステルの姿を捉えた。
こんな柔らかい表情を浮かべているのは、初めて見た。
化け物が生まれた時にはすでに壊れていたし、反応を一切見せることはなくなっていたからだ。
これが、本当の母の姿なのである。
それを見られて、化け物は更なる満足感を得る。
「こうしてあなたのことを撫でてあげたことって、初めてだよね? ごめんね。僕、手がなかったからさ」
優しく自分を撫でてくれる。
大きな母性に包まれる気持ち良さを知る。
「ずっと、僕のことを守ってきてくれたんだよね。気づくことができなくて、ごめんね。それと、ありがとう」
ああ、その言葉だけで十分だ。
母から、笑顔を向けられ、撫でられ、感謝される。
こんな幸せな終わり方があるだろうか?
化け物として生まれ、化け物として生きた。
その最期がこれだ。なんて素晴らしい。
化け物は満足感に浸りながら目を閉じようとして……。
「ああ、そうだ。僕から君にあげられるものなんて、何もなくて……。でも、一つだけあったなって。僕が……君の母だからこそ、できること……名づけだ」
母からもらえるもの。
その言葉に、現金ながら目を開ける。
そうだ。名前だ。
母は壊れていたし、父は自分以上の化け物だ。
名前なんてもらえるはずがなかった。
そもそも、母は自分のことを望んでいなかったはずだ。
だから、一生もらえることはなく……『化け物』として死んでいくものだとばかり思っていた。
彼の目は輝く。
それは、今にも命のともしびが消えようとしている者とは思えないほどに。
「知っているかな? 誰かを助けるために全てを捧げたおとぎ話の英雄のことを。勇者という言葉の原型にもなったそうだね。彼も、母のことを大切に想って、守ったそうだよ。だから、その英雄の名前が君にぴったりだ」
エステルは、彼の名前を確かめるように口の中で何度か呟き、そして言葉にした。
「アーサー。それが、君の名前だよ」
その時、化け物は……アーサーは、初めて世界に光が灯ったような気がした。
キラキラと輝く世界。
そして、涙を流しながら聖母のような美しい笑顔を浮かべて見下ろしてくるエステル。
自分につけられた名前を、何度も頭の中で繰り返す。
アーサー。アーサー。アーサー。
いい、名前だ。
アーサーは心の底から満足し、ゆっくりと目を瞑った。
その目が開かれることは、二度となかった。
◆
「ありがとね、マルコ」
「いえ。これくらい、当然です。彼は、お師匠様のことを守ってくれていたんですから」
煌々と燃え盛る炎に顔を明るくさせながら、エステルは隣に立つ勇者に礼を言っていた。
それは、化け物を火葬するための炎を、奴から借りたからだ。
マルコの炎は悪を討つ攻撃的なものだ。
一方で、今アーサーを火葬する炎はとても優しく、空まで運ぶような力を持っていそうだった。
まあ、どうでもいい話だ。
その煙を見送ったエステルは、ふっと笑うと我を見る。
「君もね、破壊神。助けてくれて、ありがとう」
助け?
あまりにも見当違いな言葉に、我は呆れた表情を浮かべる。
「馬鹿か貴様。我は貴様のことを助けに来たわけではない。精霊を破壊しに来たのだ。礼など言う必要も聞く必要もないわ」
我が行動したのは、全て自分のためである。
そのついでに、勝手にエステルが助かったに過ぎない。
彼女を回復したのも、ヴィルだしな。
すると、何やらニヤニヤと笑いながら顔を覗き込んでくる。
銀色の長い髪がハラリと垂れる。
「えっ? ツンデレ? ツンデレなの?」
……なんだこのウザいものは。
千年前、このような話もせずに出会って数秒で戦闘が当たり前だったから知らなかったぞ。
「ヴィル。どうして奴の精神まで治した。あのままの方がよかったぞ」
「身体治してたらついでに治っちゃったのよ。っていうか、お酒」
小さな身体で我の身体を叩き、主張してくる。
「……この酔いどれ妖精め」
「ひゃほー! 100年ものよー!!」
適当に投げ渡せば、その小さな身体でどのように支えられるのだろうかと不思議に思うが、難なく受け取って早速栓を開けて飲み始める。
「お師匠様、それに、破壊神……」
「ん、それはなんだ?」
呆れていると、我に話しかけてくるマルコ。
見れば、奴の身体は光出し、それどころかうっすらと薄くなってきている気さえした。
「役目を果たしたからな。いや、まだ世界の脅威である精霊は存在するのだろうが……俺の力では、これ以上ここに留まることはできない。もともとは死んでいるからな。俺を召喚していたマーウィン教皇国とも敵対したし、これ以上は無理だろう」
「そうか。ならば、さっさと消えるがいい。どうせ、すぐに呼び戻されることになる。その時は精霊を駆逐し、我が世界の脅威として君臨しているだろう」
ニヤリと笑う。
次は精霊なんぞのために歴代勇者が召喚されることはない。
我という強大な存在に世界が怯え震えている時に、やってくる。
そして、我に倒され、畏怖の念がさらに我に集中するのだ!
「……お前がそんなことをやるとは思えんがな」
「は? やるぞ。我は絶対やるからな。本当だぞ」
なに寝ぼけたことを言っているんだ?
マジでやるからな。
「そうか。まあ、一応心にとめておくよ」
そう言うと、スーッと消えていく勇者。
おい、ふざけるなよ! 我モヤモヤしたままだろうが!!
「貴様! 待て! まず貴様を破壊してくれる!!」
そう叫ぶが、勇者はふっと消えてしまった。
クソ……! めちゃくちゃ腹が立つぞ……!
「ふ、ふふふっ。面白いなあ」
そんな我を見て、楽しげに笑うのはエステルだ。
この馬鹿師匠め……。師弟そろって大ばか者だ。
「……それで、貴様はどうして消えない? 貴様もやることはないだろうし、もう何年も縛り付けられていたのだから限界だろう?」
そうだ。あの勇者が消えたのであれば、エステルも消えなければおかしい。
奴よりも先に召喚され、酷使されていたのだから。
精霊に支配されている世界を助けたい、なんてことを考えているのであれば残っていても不思議ではないが……それはないだろう。
聞く限り、その守るべき存在に裏切られたようだし。
流石の彼女も、それでもなお助けたいとは思わないはずだ。
ヴィクトリアみたいにな。
「うーん……僕はやりたいことができたし、まだいることにするよ。回復してもらったから力もあるし……それに、とっくにマーウィン教皇国とのつながりも消えてるしね。もう数百年経つんだから、当たり前だけど」
「そうか。好きにしろ。まあ……」
やりたいこととやらに多少興味はあるが、藪蛇だったら嫌だし突っ込まないようにする。
こいつがこれからどう生きようが、我の知ったことではない。
だが……。
「我の前に立ちはだかるというのであれば、止めんがな。千年前のあの戦争の時のように、貴様とやり合うのも一興だ」
ニヤリと笑う我。
エステルは強者だ。我が名前を覚える程度にはな。
そんな彼女が、再び何かを守るために我の前に立ちはだかり、死力を尽くして戦うのであれば……悪くないではないか。
すると、何やらニマニマとした笑みを浮かべて見上げてくるエステル。
「ふふー。僕がまた負けるとでも思っているのかな? 今度はボコボコにしちゃうよ?」
……馬鹿かこいつ?
「精霊なんぞに捕らえられてボロボロにされていたくせに、何を言っている」
説得力のかけらもないな。
エステルは顔を赤くして言い返す。
「あ、あれは! いきなりの不意打ちだったからで……!」
「ふっ、負け犬の遠吠えだな」
「なにをー!!」
「いだだだ! ば、馬鹿! 戦うんだったら剣を使わんか! 噛み付くな!!」
まさかの攻撃に大慌てだ。
いったい! 腕がちぎれる!!
「……仲良しじゃないの。くぴくぴ……ぷっはー!」
ギャアギャアと騒ぐ我とエステルを見て、ヴィルは酒をラッパ飲みしながらそう呟くのであった。
どこが仲良しだ!!




