第5話 家族と臆病者
今日も労働をする。
大きな木材を運び、石材を引っ張り、土を掘る。
これが何のための作業なのか、知ることはできないし知ろうとも思わない。
ただただ、命令されることを繰り返す。
それが、あの日村が焼かれてから当たり前の日常となっていた。
単純作業。だからこそ、こういうときにトーマスは色々なことを考えてしまう。
「(……何でこんなことになったんだろうな)」
そもそも、この世界はどうして精霊なんて存在に支配されているのか。
昔は、精霊はこの世界に存在していなかったらしい。
ある時、突然どこからか現れた彼らは、猛威を振るった。
世界中を席巻し、征服したのである。
もちろん、人類や魔族だって黙って見ていたわけではない。
軍隊や騎士団を出動させたし、当時の勇者も立ち上がったと言う。
魔族では最強の魔王も、その精霊と戦った。
だが、今この世界は精霊によって支配されている。
つまり、彼らは敗北したのである。
勇者も、魔王も、精霊に手も足も出ずに敗北したのだ。
だから、こんな世界になっている。
「(まあ、これもおとぎ話だけどな)」
実際、トーマスが生まれてから起きたことではない。
だから、このおとぎ話が本当のことなのかはわからない。
ただ、彼らが頂点として君臨し始めたのは、数百年前のことらしい。
そう考えると、おとぎ話が史実に基づいて作られたもの、という可能性もなくはない。
それに、確かにこの世界で最も力を持っているのは精霊であるし、この世界は征服されていると言っても過言ではない。
だが、本当に世界中を管理できているかと問われれば、それは首を横に振るだろう。
人類の国もあるし、魔族だってちゃんと生きている。
そう、精霊に人や世界を管理しようという気持ちはないのだ。
彼らは自由。思ったままに行動し、欲望を満たすためだけに唐突に行動を起こす。
自分たちの村が焼かれて強制労働をさせられているのも、精霊の気まぐれだろう。
しかし、その気まぐれを妨げることはできない。
ヘタをすれば、国一つがあっさりと潰されることになるからだ。
だから、国家は精霊の行動を黙認する。
「(邪魔はしません。だから、私たちを見逃してください……ってか)」
国は自分たちを助けてくれない。
自国の領土内で自国民が理不尽に貶められていたとしても、それが精霊なのであれば絶対に手を出さない。
それが、今の世界の常識となってしまっていた。
「(……俺にそれを悪く言う権利なんてない。俺もあの日、カリーナを助けなかった。自分の身可愛さに……)」
精霊の尖兵は、ある日突然村を襲った。
尖兵は、厳密に言うと精霊ではない。この世界の人間や魔族である。
その彼らが精霊の下に付き、精霊に認められると、尖兵となることができる。
彼らは精霊の意思の元に行動する。つまり、彼らもまた精霊と同じ扱いを受ける。
彼らが村を襲っても、国が動かないのはそういうことが原因だ。
村を焼いた理由は、良くわからない。
手っ取り早く労働力を手に入れるためか、それとも彼らの嗜虐心を満たすためか。
尖兵も人間や魔族である。そして、弱者をいたぶっても決して責められることがないという特権階級のような存在だ。
そんな彼らが、暴力的な欲望を満たすために行動していても、何ら不思議ではない。
トーマスの両親のように、その時殺された者だっている。
そして……。
「(カリーナ……)」
チラリと自分たちを指揮している変わり果てた少女を見る。
妹はあの日、尖兵に連れて行かれた。
彼女だけではない。他の女性の村人の何人かは、一緒に連れて行かれた。
そして、その連れて行かれた先でどのようなことがされたのかは、簡単に想像できるだろう。
人格否定、拷問、性暴力……目を背け、耳を塞ぎたくなるようなことがされたのだろう。
そして、カリーナは変わった。精霊に身も心も捧げ、尖兵に媚を売った。
それは、その苦痛に耐えられなかったから。逃れたかったから。
そうして、帰ってきた彼女は、村人たちを指揮して強制労働に当たらせる監督官になっていた。
精霊のために村人たちをこき使う、鬼になっていた。
「(だけど、リーリヤの言った通りだ。カリーナは全てを忘れて捨てたわけじゃない)」
鞭で人を打つし、怒鳴ったりもする。
だが、決して最後の一線を越えようとはしなかった。
他の尖兵たちは、欲望のままに行動する。
人を殺し、犯し、何かを奪う。
カリーナはそれを一度もしたことがなかった。
「(だから、情けないのは俺だけだ……)」
「午前の労働は終わり! 午後からまた働かせるから、身体を休めておきなさいよ!!」
また耳ざわりなほどガランガランと強く教会の鐘が鳴らされ、カリーナの怒声が聞こえてくる。
それと同時に、陰鬱としながら張りつめていた雰囲気が、ほんの少し緩まる。
彼女の言う通り、この鐘が鳴ると昼の休憩になる。
粗末でごく少量の昼食をとったり、疲れ切った身体を休めたりすることもできる。
午後からまた同じような過酷な労働が続くので、トーマスも自分の身体を休めなければならない。
考え事を打ち切って、村に戻ろうとすると……。
「うわっ!?」
ドン、と後ろから突き飛ばされる。
万全の状態だったら脚に力を入れて踏ん張ることができたのだろうが、もともとの栄養状態と労働後の疲労感で力が入らず、不様に地面に転がってしまった。
振り返れば、自分を見下ろす冷たい顔をした村人たちの姿があった。
「ちっ。こんなときに突っ立ってんじゃねえよ」
「もっと働けよ。テメエは俺たちの何倍も働いて、さっさと死んでくれ」
「あんな裏切り者の兄貴なんだから、当然だろ? 休憩なんて一丁前にとってないで、代わりにさっさと作業を進めておいてくれないかなあ」
次々に降りかかる言葉の暴力。
彼らは歳も近く、以前まではよく一緒に遊んでいて仲も良かった。
それが、このように険悪になったのは、やはりあの日尖兵が村を焼いたときからだ。
まだ、その時はお互い助け合おうとしていた。
決定的に決裂したのが、カリーナが戻ってきて苛烈に村人たちを管理し始めてからである。
彼女のことを信じているトーマスやリーリヤはまだしも、他の村人たちからすれば、自分の身可愛さに精霊に魂を売って自分たちを痛めつけてくる裏切り者に他ならない。
だが、そんな彼女に逆らうことはできない。
それは、すなわち精霊に逆らうことになるからだ。
しかし、不満は溜まる。
だから、その矛先はトーマスに向かった。
カリーナの兄。兄なんだから、妹への恨みはお前が受けろ、と。
「…………」
「無視かよ。キモ」
反応することはしないし、反抗することもしない。
ただ、受け入れる。自分は兄だから。カリーナの唯一の家族だから。
「(……そんなことを言って、所詮やり返すのが怖いだけだろ。一人で、複数の相手をするのが怖いだけだ。俺は、臆病者だ)」
そう考えながら、トーマスは村へと戻る。
他に労働していた村の男衆も、すでに戻って簡素な食事や休憩を楽しんでいた。
トーマスもリーリヤと合流し、短いながらも唯一の憩いの時間を楽しもうとして……。
「よおおお! カリーナ! 作業は進んでるかあああ!?」
悪夢がやってきた。