第43話 協力関係
マーウィン教皇国の最高権威である教皇フィリップ・ファン・クレーフェルトは、中庭に建てられている巨大なマーウィン像の前に立っていた。
豊かで長いひげが特徴的であり、優しげでありながら厳格そうな雰囲気を醸し出していた。
「月夜のマーウィン様は、より尊く見える。長く生きてきたが、ワシはずっとそう考えておる」
空に光る偉大で美しい月。
その月光は怪しく人を強く引き付けるものがあり、マーウィンへの信仰をより強いものにしてしまう。
「そうは思わんかね、勇者マルコ」
クルリと振り返れば、こちらを見据えるマルコの姿があった。
剣は抜身の状態であり、少なくとも教皇であるフィリップと対面するにはまったくもってふさわしくない。
それに、マルコの目には彼に対する敵意や疑念というもので満ち満ちていた。
剣を抜いた勇者にそのような目で見られたら普通は委縮するものだが、フィリップは余裕のある落ち着いた雰囲気を崩さない。
「残念だが、俺はマーウィン教徒ではないからな。月の美しさに惹かれはするが、マーウィンに対して思うことはないよ」
「そうかね、残念じゃ。とはいえ、いつでも受け入れるから安心してほしいのう。……さて、それで? どういう用件かな? なかなか穏やかではないようだが……」
彼の耳にも、激しい怒声と剣戟が聞こえてきていた。
大教会を警備する者たちとの戦闘を潜り抜けてきたのだろう。
アポイントもとられていなかった彼が、深夜にこの場所に立って自分と相対できているのは、その理由以外になかった。
そして、ここにやってきたのは、マルコだけではなかった。
「それは、貴様がよくわかっているのではないか?」
マルコの隣に立つ男。
フィリップ以上に落ち着き余裕の笑みを浮かべているのは、破壊神バイラヴァである。
彼が隣に立っていることを受け入れているマルコを見て、フィリップは目を丸くして驚く。
「……破壊神か。どういうことじゃ? 討伐対象の彼と共にあるなんて……まさか、裏切ったのか?」
「先に裏切ったのはお前の方だろう、教皇……!」
ギリッと強く歯を噛みしめて睨みつけるマルコ。
勇者の睨みはかなり迫力があるのだが、フィリップは表情を変えることはなかった。
「俺たちは、ヘルムセンに戻ってきてから化け物に襲われた。それは、キメラだった」
「…………」
「その中に、俺の仲間たちが取り込まれていた! どういうことだ!!」
マルコの詰問にも、口を開こうとしなかった。
一切の反応を示さないのは、マルコに情報を与えない。
もしかしたら、中ではかなり荒れ狂った感情を抱いているのかもしれないが、こういった腹芸ができなければ教皇まで上り詰めることはなかったのだろう。
「俺の知らないうちに仲間たちを召喚したのもお前だろう!? 説明をしろ! お前には、その義務がある!!」
その迫力は、凄まじいものだった。
彼らが召喚に応じたのは、ひとえにマルコを助けたいという美しい気持ちからである。
死してもなお彼のために駆けつけようとする絆は、見る者を感動させる。
それを利用し、侮辱し、苦痛を与えたのであれば、フィリップのことを許すことはできなかった。
「……はあ」
強い決意を感じ取ったからか、フィリップは観念するようにため息を吐いた。
深い、深いため息だ。
「そうか。少し自我が残っておったのだな。普通はキメラに取り込まれた時点で意識は消滅するのだが……流石は勇者と共に世界を旅した者たちじゃな。常人とは違う。いやはや、精霊も適当なことをするのう……。ちゃんとしておれば、今回のようなことはなかったのに……」
自白するというより、独白のようなものだった。
多少の苛立たしさも混じっていたのだが、マルコからすると想定もしていなかった精霊の名前が飛び出してきて、さらに混乱させた。
「せ、精霊!? どういうことだ!?」
「む? なんじゃ。別に全部分かっておったわけではなかったようじゃのう……。まあ、よいか」
そこまで口を緩くする必要はなかったかと軽く後悔するが、すぐに切り替えてマルコを見据える。
「どういうこともなにもない。ワシと……いや、マーウィン教皇国と精霊は、協力関係にあるということじゃ」
「なっ……!?」
唖然とするマルコ。
世界と人々を守るために存在しているはずのマーウィン教皇国が、世界と人々を脅かしている精霊と手を組んでいる?
そんなこと、あるはずが……許されるはずがない!
「どういうことだ!? 精霊は世界を圧迫している敵だろう!? それなのに……そんな連中と手を組むのは、世界のために勇者を召喚することのできる教皇国は絶対にしてはいけないことだろうが!」
「それは、きれいごとじゃよ、勇者マルコ」
バッサリと斬り捨てるフィリップ。
それは、マルコの糾弾を受けても一切揺るがない意思を持っているからだ。
強固な意思は、崩れるどころかヒビすら入らない。
糾弾したはずのマルコが押されているようにも見えるのだから、相当である。
「お主は精霊を見たことがないからそう言えるのじゃ。よいか? ワシら人間は、精霊には勝てんのじゃ」
「そ、そんなことは……!」
精霊に対して、すでに諦めているフィリップ。
それを聞いて否定したいマルコだったが、彼は直接精霊を見たことがないため断言することはできない。
いや、勇者ならば根拠がなくても安心させるために耳ざわりの良い言葉を発するべきなのかもしれないが、事実この世界がごく少数の精霊に支配されていることを考えれば……。
「そもそも、神が勝てなかったのだぞ? ワシらにかなうはずがない。何とか追い返せたとしても、その際の被害はいかほどのものになると思う? もはや、文明的な生活を営むことができんほどになるじゃろう。そうだとしても、お主は戦えと言うのか? 無責任な、死者が」
「……ッ」
非難の色を多分に含んだ言葉尻に、マルコは喉を詰まらせる。
フィリップの言葉は少しおかしい。死者だとして跳ねのけるのであれば、その死者に頼って召喚なんてことをしているのは間違っている。
おそらく、バイラヴァなら嘲笑い馬鹿にしていただろう。
だが、マルコはそれができないほど優しかった。
死者である自分が現代の生者に何かを求めるのは、間違っているのだろうか?
そう思ってしまったのである。
「勝てないのであれば、従属すればよい。もちろん、精霊が問答無用でこちらを皆殺しにしてこようとするのであれば別じゃが……やつらはうまみや利益があれば、こちらとの取引に応じる。ならば、従属して見逃してもらう。それが、ワシらにとって最善の選択なのじゃ」
言葉を詰まらせるマルコを満足そうに見て、フィリップは続ける。
「見たまえ、このヘルムセンを。マーウィン教皇国を。人々は笑顔を浮かべ、理不尽に精霊の尖兵から奪われることに怯えることはない。それは、ワシらが精霊に従属して取引をしておるからじゃ。それがなければ、この安心で快適な生活はない」
従属という言葉は、少なくとも胸を張って言う言葉ではないはずだ。
だが、フィリップは自信満々に言葉を発していた。
「……なら、どうして俺を召喚して破壊神を倒そうとした? こいつとも取引をすればいいだけだろ」
「破壊神と精霊はまったく別じゃよ、勇者マルコ。そもそも、ワシらと取引に応じるような男か」
視線を向けられたバイラヴァは、フィリップに負けないほど胸を張る。
「当たり前だな。取引なんてせず、世界を破壊して暗黒と混沌を齎すのだ」
何かしらを捧げるから自分たちを破壊しないでほしい。
そんな取引が持ちかけられたとしても、バイラヴァは決して受け入れられないだろう。
「それに、破壊神を見逃すことはできん。こやつは、精霊によって成り立っているある種の秩序を根底から覆す恐れのある化け物じゃ。それだけの力を持っておる。忌々しいことにのう」
心底厄介だと、そう思っているようにバイラヴァを見やるフィリップ。
かつて、世界を征服してしまう寸前までたった一人で追い込んだ破壊神。
彼は、今のボロボロでぐらぐらと揺らいでいる精霊による秩序を、突き崩すことができてしまう可能性がある。
それだけの力を持っているし、そうしようとする意思まで持っている。
ゆえに、フィリップにとって最も危険で危惧しているのが、このバイラヴァなのである。
「秩序だと? こんな秩序が……! 俺の仲間をキメラなんて化け物にして……代償にしたうえで、よくも秩序なんて言葉が吐けたな!」
確かに、フィリップにとって……マーウィン教皇国に住む人々にとって、その秩序は受け入れられるものなのかもしれない。
だが、仲間をキメラなんてものに取り込まれ、愛する人に涙を流させたうえで成り立っている秩序なんて、認められるはずがなかった。
「マーウィン教徒を救うためのものじゃ。生者を生贄にしているのであればまだしも、お主らはそもそもすでに肉体のない死者。死者を捧げて平和と安全を手に入れて、何が悪い?」
「お前……!」
怒りが込み上げてくる。
マルコはそのままぶちまけようとして……。
「それに、何もお主らだけを犠牲にしているわけではない。お主以外の他の歴代勇者も多く精霊に捧げられておる。そう……お主の師である、勇者エステルもな」
「…………は?」
フィリップの続く言葉に、発するべきことを失ってしまったのであった。




