第41話 化け物か、もしくは
「ぐぉっ!?」
それに気づけたのは、彼が経験豊富な勇者だったからだろう。
生前を含めて、マルコは多種多様な敵と戦い、その感覚も研ぎ澄まされている。
それがなければ、その触手に叩き付けられて命を落としていただろう。
バキバキと建物を破壊する触手。
紙一重でそれから逃れたマルコは、すぐさま炎を放つ。
【ギャアアアアアアアッ!!】
耳を塞ぎたくなるような悲鳴を上げて、怪物が落ちていく。
だが、これで倒したとはマルコも微塵も考えていない。
剣を部屋に置いてきてしまっていたため、使える炎の威力はそれほど強くなかった。
力を発揮するための武器を取りに、廊下をかなりのスピードで駆け抜ける。
それをとった後は、この宿から離れなければならない。
客や従業員もいるだろうし、彼らを巻き込むわけにはいかなかった。
どんどんと自分たちにあてがわれた部屋に近づいていき、飛び込むように扉を開けて中に入ると……。
「はあ、はあ……! こ、この馬鹿が! 我は貴様と戦うのは嫌ではないが、こういう理由で戦うのは本当に嫌だぞ……!」
「きゅう……」
全身汗だくで衣服が乱れた状態のバイラヴァが仁王立ちしていた。
自分との戦闘でも一切焦った様子を見せなかった彼が、あからさまに憔悴していた。
そして、彼をそこまで追い詰めたヴィクトリアは、ベッドの上で頭にたんこぶをいくつも作って目を回していた。
彼女の身体にはシーツがかけられており、全裸だった彼女への配慮が見られる。
仰向けになっても大きく盛り上がっている双丘には思わず目がいきそうになるが、そんな余裕はないのでマルコは立てかけてあった剣を手に取る。
「破壊神! 今はイチャイチャしている場合ではないぞ!」
「何がイチャイチャだ! 明らかに性犯罪にあいかけていたぞ、我!」
怒りの表情を浮かべて振り向くバイラヴァだったが、剣を握って焦った様子のマルコに怪訝そうな顔を見せる。
「……何を焦っている? 貴様」
「襲撃だ!!」
短く簡潔な返答に、一瞬眉を上げるバイラヴァ。
その次の瞬間、彼らのいる部屋の屋根がミシミシと悲鳴を上げてへこみ始める。
外から重たいものが叩き付けられたかのようだった。
「ちっ……!」
バイラヴァは一瞬躊躇するものの、ベッドの上で伸びているヴィクトリアをシーツで丸めると、それを掴んで外に飛び出した。
マルコもそれに続くと、その直後に彼らのいた部屋が押しつぶされた。
丸い月が夜空に高く存在していた。
その光だけが、夜のヘルムセンを照らしていた。
【ハァァァァァァァァ……!】
そして、その光はマルコたちを襲った化け物の姿も照らしていた。
黒い触手がいくつも重なりあって塊になったようなもの。
異質なのは、その塊から伸びているいくつもの腕と脚である。
それは、まるで人間のそれのようだった。
手がその身体を支えるように地面についていたり、また脚が上部について空に伸びていたりした。
さらに、口が三つついている。
よだれを垂らし、おぞましい声を上げる三つの口に、思わずバイラヴァでさえも頬を引きつらせる。
「……なんだ、あの気味悪いものは」
「わからない。いきなり襲われたから……」
戦力外のヴィクトリアを寝させ、二人は化け物と相対する。
二人とも、それなりに多くのものを見てきて経験してきた。
そんな彼らでも、現在目の前に立ちはだかる化け物のことを知らなかった。
魔物なのだろうが、こんな魔物は見たことがない。
「……おかしいぞ、これは」
「何がだ?」
ふとバイラヴァが呟いた言葉を拾い、マルコは問いかける。
その目は化け物を見据えており、油断はない。
「どうして、街の中にこんなモンスターがいる? 明らかに脅威だろう。こんなもの、街の警備が見逃すはずもない。外からやってきたのであれば理解できるが、そんな騒ぎにもなっていない。これは、人為的にぶつけられたものだ」
「じ、人為的に……? いったい誰が……」
マルコが声を震わせる。
人為的となれば、外部ではなくマーウィン教皇国の内部の人間のものとなる。
では、目的は……?
まだ、騒ぎは一切起こしていないはずだし、あんなにも自分たちに優しかった人々のいる国がこのような化け物を差し向けてくるとは想像もできなかった。
「破壊神、恨みを持たれている自覚はあるか?」
やはり、そういった悪意を向けられるのはバイラヴァの方だろう。
彼は世界を征服しようとする大敵だ。恨まれることだって相当にあるだろう。
一方、マルコは勇者だ。人々を助ける存在のため、恨まれるよりも感謝されることの方が圧倒的に多い。
だから、当然の質問だったのだが……。
「それなりにはな。だが、まだ復活してからは覚えがないな。それに……どうやら、あれの目的は貴様らしいぞ?」
ニヤリと楽しげに笑うバイラヴァ。
化け物の身体にギョロリと人間の目がいくつも現れる。
その瞳が映しているのは、マルコだけだった。
ブンッと振るわれる人間の腕のような拳。
触手と違ってしなりも範囲もないのだが、その分パワーという意味なら段違いで上である。
とっさに避けるマルコであるが、ズガン! と簡単に地面を砕いてしまうほどの力があった。
その人間の腕は非常に太く逞しく、鍛えられた戦士のようだった。
さらに、バチバチと音を立てるのは、化け物が作り出した電撃だった。
跳んで何とか避けるが、バチッと地面に当たって恐怖を感じさせるような炸裂音を鳴り響かせる。
「くっ……!? 俺じゃなくて破壊神だろ……!」
「なんだと貴様」
地面を削りながらバイラヴァの隣で止まるマルコは、思わず不平を呟いてしまう。
どうして自分が彼よりも狙われているのか、さっぱりわからなかった。
「それに……気づいているか?」
「なに、を……」
バイラヴァの問いかけに怪訝そうにするマルコだったが、すぐにハッと気づく。
ずっと……ずっと、違和感はあったのだ。
シンと一切の音が消え去ったような、無音の空間。
人間が激しい運動をしたときのような、不快な荒い息を吐く化け物以外には音を立てるものは何一つない。
「(あまりにも、静かすぎる)」
それなりに戦闘音も鳴り響いているにもかかわらず、どうして人が出てこない?
危険を感じて近づいてこないということはあるかもしれないが、少なくとも一部破壊された宿にいた人々は確認に来るはずだ。
それすらないのである。
それを考えると、自然と出てくる言葉は……。
「はめられた?」
誰に?
この辺りの人々を一斉に指揮して従わせることができるのは、この国に置いては決まっている。
ほとんどがマーウィン教徒であり、そんな彼らにとって絶対の存在は……。
「教皇が……まさか……」
「そこまでは知らん。が、聞くべきことができたじゃないか」
何が楽しいのか、バイラヴァはニヤニヤと笑い続けていた。
マルコとしては、未だに混乱が収まらない。
自分を召喚し、世界の平和のために歴代勇者を呼び出すことのできる教皇。
そんな存在が、自分を抹殺するようなことをするだろうか?
もしかしたら、自分以外にも被害が出かねないこの化け物を放つだろうか?
「とりあえず、目の前の気味悪いこいつを破壊するぞ」
「あ、ああ……」
しかし、今はそれを考えている場合ではない。
バイラヴァの言葉に、コクリと頷き剣を構える。
【――――~~】
そのため、ぽつりと化け物が呟いた言葉を、マルコは聞きとることはできなかった。
「くたばれ」
【ギイイイイイイイ!!】
バイラヴァの魔力弾が飛ぶ。
世界征服一歩手前にいったという事実にふさわしく、その破壊力は化け物の身体の一部を吹き飛ばす。
「はああああ!!」
【んぢいいいいいいいいいいいいっ!!】
さらに、マルコが炎をほとばしらせた剣で切りかかる。
伸びてくる触手を見事に斬りおとし、さらに凄まじい力を誇る太い腕を斬り飛ばした。
彼の攻撃はそれだけにとどまらない。
化け物にも痛覚はあるようで、悲鳴を上げてのた打ち回っている。
そんな化け物の懐に飛び込み、剣を振り上げようとする。
【……コ】
その動きが、ピタリと止まる。
それは、化け物が話したという事実への驚愕。
そして……おどろおどろしく変わっていても、その声音に、発音の仕方に、チリチリと脳が揺れたからだ。
【マル、コ……】
「ッ!?」
自分の名前が呼ばれた瞬間、マルコは剣を振り上げることをせずに後ろに飛びずさった。
ダラダラと流れる大量の汗。
目は見開かれ、喉は急激に渇いていく。
生前も一度も陥ったことのない感覚。隣にいる破壊神と戦闘した時にも味わったことがなかった。
「あまり力は大したことがないな。飽きたし、もう終わらせるか」
「ま、待ってくれ!」
攻撃を止めて戻ってきたマルコに、怪訝そうな顔をするバイラヴァ。
彼がやらないのであれば、自分がやると手のひらに強力な魔力の渦を発生させるが、マルコはとっさにそれを止めた。
「まさか……まさかまさかまさか……!!」
頭に浮かび上がってくる答えを、必死に否定しようとするマルコ。
しかし、どうしても否定しきることができない。
視界が暗くなり、どんどんと意識が遠くなっていく。
それでも、彼は逃げることができなかった。許されなかった。
確かめなければ、ならなかった。
【マルコ……】
化け物が呟く。
彼の名前を、すがるように読んで。
ギョロリと現れていた大きな目からは、ボロボロと大粒の涙がこぼれていた。
声はおぞましく変わってしまっている。
だが、マルコは覚えていた。
そうやって、自分の名前を呼んでくれた、最愛の人のことを。
自分と共にいてくれて、励ましてくれて、導いてくれた彼女のことを。
異質で見ることすらはばかられるような化け物になっていたとしても、マルコは彼女のことを忘れることができなかった。
「ユリア、か……?」
そう呟けば、化け物はもう攻撃してくることすらなかった。




