第4話 神様は助けてくれない
「リーリヤ……ああ、ありがとう。大丈夫だよ」
トーマスのことを労わってくれたのは、リーリヤ。彼の幼馴染であった。
彼女もまた他の村人たち同様決して良い栄養状態とは言えないのだが、生来のものだろうか、とても整った容姿をしている。
そんな彼女は、整った表情を歪めてトーマスを見た。
「血も流してるんだから大丈夫なわけないよね。はい、お腹出して。お薬塗ってあげるから」
「え、い、いや、いいよ。勿体ない。薬なんて、めったに手に入らないんだから、自分のために残しておいて」
小さな壺を何の躊躇もなく開けて、ツンと鼻に突くような匂いがする軟膏を指にとるリーリヤ。
食事すらまともにとることのできない現状、薬はもっと貴重なものだ。
多くの村人も少量は持っているだろうが、決して他人のために使おうとはしない。
いざというとき、自分に使うために残っていなかったら、薬を手に入れることは難しいからだ。
しかし、リーリヤはニッコリと笑った。
「じゃあ、私が困っている時に助けて。ね? 自分のためでしょ?」
「リーリヤ……」
そこまで言われて、トーマスが拒絶することはできなかった。
彼女の言われた通り、粗末でボロボロの衣服を持ち上げ、傷になった腹部を見せる。
横一文字に裂けた皮膚に、リーリヤが軟膏を塗りこんでいく。
「……あのね、カリーナちゃんのこと、恨まないであげてね」
軟膏を塗りながら、彼女はぽつりとつぶやいた。
「あの子、尖兵に連れて行かれて……絶対に大変なことを経験したと思うんだ。それで、人格も変わっちゃったみたいになっているけど……まだ本当のカリーナちゃんは死んでないと思うの」
「……ああ」
そんなこと、言われなくたって分かっている。
自身の脳裏に浮かび上がるのは、燃え盛る村を背景にしながらも、大きな尖兵たちにその小さな身体を引きずられていくカリーナの姿。
そして、戻ってきたときには、彼女はすっかり変わってしまっていた。
冷たく、厳しく、精霊のためにその身を粉にして働く従順な手先に成り下がっていた。
「だって、もし本当に身も心も精霊に尽くしていたら、私たちはもっと過酷な労働をさせられていたはずよ。でも、死者はほとんど出ていない。それって、カリーナちゃんが管理することで私たちのことを助けてくれているんじゃないかな」
そうだ。リーリヤの言う通りだ。
本当に精霊のためにすべてをなげうって労働をさせようとしたら、おそらく死者は大量に出ていたことだろう。
ろくに食事もとれない状況で過酷な肉体労働をさせられたら、命を落とす者が出てきても不思議ではない。
だが、それがない。ということは、カリーナがうまく回しているということにつながるのではないか?
もし、自分たちを守るためにあのような精霊に魂を売ったふりをして悪役を気取ってくれているのだとしたら……。
「……そうだな。カリーナは、昔からずっと優しい子だった」
「んっ」
「俺が……俺があの時に何もしなかったから……!」
そう考えると、なおさら自分のことが許せなくなる。
そんな優しい妹に、自分はいったい何をさせているのだ?
彼女を精霊から助けるのが、兄としての責務ではないか?
だというのに、自分はこうして何も変えようとせず、ただ毎日を自堕落に過ごすだけ。
なんと情けないことか。ここに刃物があれば、自分の首を掻っ切りたいほどだった。
「大丈夫だよ」
そんなトーマスを、リーリヤは優しく抱きしめた。
豊満な胸に顔を埋めさせられる。
不思議と性的な欲望が湧き上がってくることはなく、あの日に死んでしまった母のことを想いだすような母性があった。
「あんなの、どうしようもないよ。だって、私たちは普通の人間でしょ? もっと凄い人で凄い力を持っていないと、精霊様の意思に逆らえるはずないじゃん」
「凄い人、か……」
「そうそう。ほら、四大神様とか!」
四大神。その言葉を聞いて、トーマスは思わず吹き出してしまう。
それは、子供が親から眠る前にしてもらうような話だったからだ。
自分も、まだ母が生きていたころに、よく話をしてもらったことを覚えている。
「おとぎ話じゃん」
「そうだけどぉ! とくに、女神さまは私たちに優しくしてくれるらしいよ。女神さまが私たちのことを助けてくれたらなぁ……」
頬を膨らませて怒るリーリヤ。
四大神と言っても、全て人類に優しく接してくれるというわけではないというのは覚えていた。
彼女の言う通り、四大神の中でも唯一の女神だけは、人類のことを思いやってとても優しくしてくれるようだが……。
「……無理だよ。どうせ、何もしてくれない。こんなに世界はボロボロなのに、ずっとそのままじゃないか」
「トーマス……」
その女神でさえ、助けてくれないではないか。
今の状況が、助けるに値しないとでも?
こんな強制労働をさせられ、ろくに食事もとることができない現状が?
伝えられる話を聞く限りだと、女神は助けてくれるはずだ。
それなのに、助けてくれないことを考えると……当然のことながら、そんな神様なんて存在しないということになる。
トーマスの顔を見て、痛ましそうに表情を曇らせるリーリヤ。
それに気づいた彼は、空気を換えようと明るい口調で話す。
彼も、別に彼女のことを落ち込ませたいわけではないからだ。
「俺からしたら、そんな何もしてくれない四大神様よりも破壊神様の方がいいな」
おとぎ話では、神は四柱である。
しかし、敵役として、もう一柱の神が現れるのだ。
それが、破壊神。絶大な力を振るい、世界を征服し、闇と混沌を世界にもたらした最強最悪の神である。
もちろん、悪役を好きになる子供なんてほとんどいない。
リーリヤも眉を顰める。
「えー! だって、破壊神様って世界をめちゃくちゃにした神様でしょ? 四大神様に倒されたらしいけど、またいつ復活するかわからないって……」
「こんな世界、破壊してくれた方がマシだよ」
トーマスも小さなころは例にもれず破壊神のことなんか好きではなかった。
だが、こんな冷たく残酷な世界なんて、破壊されて征服された方がマシだ。
そう思うように、彼もまたカリーナと同じく変わってしまっていたのであった。
「……はい、終わり。早く行かないと、カリーナちゃんにまたいじめられちゃうよ」
「ああ、そうだな。ありがとう、リーリヤ」
軟膏を塗られた上から簡素な布を巻きつけてもらい、トーマスは立ち上がる。
またあの鞭を受けるのは御免だった。
「ううん。……神様、助けてくれるといいね」
労働場所まで歩いて行こうとするトーマスの背中に、リーリヤのそんな言葉がかけられた。
それに対して、彼は振り返ることなく、言葉を返すのであった。
「……神様は人なんか助けてくれないよ。絶対に」