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第34話 正義の炎

 










「エステル、エステルなあ……。ふははっ! 懐かしい名前だ」

「えぇと……ああ、思い出しましたわ。あの子ですか」


 我の隣にいた女神も、しばらく指を頬に当てていたが、思い出したようだ。

 我よりもはるかに奴と近い距離にいたのは女神の方だから、本来なら彼女がすぐに思い出しているはずなのだが……。


 数百年の拷問で精神的に壊れてしまっているため、その記憶もあいまいになっているのだろう。

 何の刺激もなければ、人は壊れてしまうという。


 女神は神だが、やはり精神的なものはそう変わらないのだ。


『あれ? 知ってるの? あんた、ろくに人の名前を憶えないのに』


 我だって、ちゃんとインパクトと印象があれば人の名前は覚えるぞ。

 確かに、我が覚えた数少ない人名の一つであることに間違いはないが……。


 エステル・アディエルソン。家名の方は知らなかったが、名の方は知っている。

 かつて、我の前に立ちはだかり、女神たち四大神と共に我と戦争をした勇者の名前だ。


「そう考えると、おかしいな。千年近く前に生きていた勇者の弟子が貴様。だとすると、貴様も相当の年数を生きていることになる。貴様が人間ではないのか。それとも、エステルが人間ではなかったのか……」


 魔素が多い人間は長生きする傾向にあるが、それでも百年も生きられたら十分すぎる。

 エステルは千年前若々しい姿だったし、魔素の保有量もかなりのものだった。


 それでも、千年後に弟子を残すことは不可能なはずだ。

 どちらかが長寿の種族出ない限りな。


「いや、俺もお師匠様も人間だ。他の人たちと違って長寿っていうわけでもない。そもそも、俺はもう死んでいるからな」

「ん? どういうことだ?」


 興味深いことを言ったな。

 死んでいる……アンデッドか?


 いや、しかし腐臭や魔の気配は微塵も感じられない。

 勇者らしい聖の気配を溢れさせているマルコは、とてもじゃないがアンデッドとは思えなかった。


「……それ以上は、お前に話す必要なんてない。ここで倒されるんだからな」


 剣を抜いて我を睨みつける勇者。

 まあ、そこまで全て話すことはないか。


 やつは我を倒しにきており、我のことを悪の象徴と思っているのだから。

 しかし、やはり興味が湧かないはずがなかった。


「ふん、いいだろう。貴様を打ち倒し、絶望させ、全て洗いざらい吐いてもらおう。どうにも、今は精霊も見つからず暇でな。いい時間つぶしになる」

「俺を舐めるなよ、破壊神!!」


 勇者はそう威勢よく叫ぶと、我に向かって踏み出したのであった。

 さて、暇つぶしもかねて、エステルのことを聞き出すために頑張るとしようか。











 ◆



『先制攻撃はとっても大事だよ! 防御を忘れろなんてことは言わないけど、攻撃しないと勝てないからね。そう考えると、最初に攻撃ができるっていうのはとても大きなアドバンテージになるんだ。だから、君も相手の出方や攻撃を待つんじゃなくて、自分から攻撃しよう! もちろん、奇襲や不意打ちならなお良し!』


 そうマルコに教えてくれたのは、彼が師と仰ぐエステルであった。

 彼女は男でもなく、また体格的にも優れていたわけではなかった。


 だからこそ、こういった正々堂々とは少し異なっているかもしれない考え方を持っていた。

 だが、それゆえ強かった。


 もちろん、彼女が持っていた武器や仲間たちの力も非常に大きいだろう。

 だが、それよりもエステルはただ強かった。


 歴代勇者の中でも一二を争うと称され、実際彼女が敗北したというのは生涯でただ一人しかいなかったらしい。


「(それが、この男……!)」


 破壊神バイラヴァ。エステルの輝かしい戦績に、唯一泥を塗った男。

 そんな彼に迫りながら、マルコは考える。


 バイラヴァは勇者に迫られているというのに、余裕の笑みさえ浮かべていた。

 その目は、高速で動く自分のことをしっかりと捉えていた。


『笑っているやつは本当に危険だから注意してね。怒っている表情よりも危険。まあ、笑顔の中でもいけるやつもあるんだけどね。それは、君が雰囲気で確かめたらいいよ』


 エステルの指南を思い出すマルコ。

 彼がその肌と目で感じ取ったのは、いわゆる『いけないやつ』の方だった。


「づぇりゃあ!!」


 上から剣を振り下ろす。

 その剣筋は鋭く、人体すら両断するほどの力があった。


 それは、間違いなく達人の域に入っているものであり、勇者の実力に見合ったものだった。


「おっと」


 しかし、それはあっけなくバイラヴァに避けられる。

 とくに気負うこともなく、ギリギリだったわけでもなく、当たり前のように。


「……ッ!!」


 さらに、そこから連撃を繰り出す。

 上下左右、ありとあらゆる方向から斬りつける。


 目にもとまらぬ剣閃は、ある種芸術的と言うことができた。


「なるほど。なかなか……」


 バイラヴァは地面に落ちていた小さくか細い木の枝を拾い上げると、それで剣にあわせた。

 まったくもって馬鹿な判断と言うほかない。


 しかし、それがマルコの振るう剣とぶつかり合った瞬間、甲高い音が鳴り響いたのである。

 マルコの剣が、細い枝に受け止められていた。


 彼の持つ剣は、名剣と呼ばれるにふさわしいものである。

 また、彼の技量も達人のそれであり、この二つが合わされば鉄をも切り裂くことが可能だ。


 断じて、ただの木の枝と拮抗するようなものではない……はずなのだ。


「くっ……!」

「懐に飛び込むというのに、迷いがないな。エステルのことを思い出させる。確かに、貴様は弟子のようだ」


 バッと後方に飛びずさり距離をとったマルコに追撃することなく、バイラヴァは昔を懐かしむように頷いていた。

 千年前のあの戦争の時、エステルとも剣を交えたバイラヴァ。


 小さな身体で大胆に戦う彼女に、随分と楽しませてもらったものだ。


「……それは、なんだ? どうしてただの木に俺の剣が……」

「ん? 気づいていないのか? そこはエステルとは違って察しが悪いな。そういうとこをちゃんと直しておかないと、やつは越えられんぞ」

「お師匠様は唯一無二だ。俺なんかが越えられるなんて思っていないさ」


 そうか、と呟くと、バイラヴァはつまらなそうに顔を歪めた。

 彼的には、師を越えて高みへと登ろうとする者の方が好ましかった。


「なに、大したことではない。貴様のように武器を扱う達人とも接近戦をしなければならないときだってある。その時に無手だと戦いづらい。とはいえ、常時武器を身に着けるのも面倒だ。だから、我はそのあたりにある適当なものを武器にする」


 バイラヴァは見せびらかすように木の枝を掲げる。

 そして、そこには黒々とした魔力がまとわりついていていた。


 それで枝を硬質化。名剣を操る達人の力にも拮抗するものを作り上げていた。

 とはいえ、それが誰にでもできると考えるのは酷い誤解である。


「破壊神の力は規格外だな……」


 冷や汗を垂らすマルコ。


『力の出し渋りとかは止めた方がいいよ。油断して力を出していない間にやられたら元も子もないからね。最初から全力で、一撃で終わらせる気持ちで戦おう!』


 エステルの教えはそうだったが、マルコはというとできる限り本気を出すのは嫌だった。

 疲れるし、連戦ができなくなるからである。


 だが、この破壊神を相手に力を抑えるのは悪手であると確信した。


「すまない。これからは全力でいく」

「機嫌が良くなければ、そのまま押しつぶしていたところだぞ」


 バイラヴァが受けに徹していたのは、彼が暇だったからである。

 千年前のような戦争のときであれば、さっさと終わらせていたことだろう。


 その幸運に、マルコは遠慮なく甘えることにした。


「おお、これは……いいじゃないか」


 ゴウッとマルコの身体から溢れ出す熱風。

 彼の身体から立ち上るのは、火柱である。


 本来、人は焼死してしまうような凄まじい勢いの炎を身に纏っているのだが、マルコは凛々しい顔つきのままである。


「俺は、炎の勇者だ。正義の炎、受けてみろ!」


 マルコが剣を振り下ろせば、荒れ狂う炎がバイラヴァに向かって襲い掛かった。




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