第20話 最悪にして最強の神
「さて、女神がどこにいるかを教えてもらおう。そうしたら、命まではとらないで破壊してやる」
『それ結局死ぬほど痛い思いはするわよね?』
上から見下ろすようにバイラヴァはアールグレーンに告げる。
そうすれば、彼が激怒することを見越している。
千年にわたって、アールグレーンは敬われ尊重されてきていた。
それをいきなり覆そうとする千年前の男がいるのである。我慢できるはずもないだろう。
「はっ! 何度も言っているが、知らねえって言ってんだろ。精霊に売り飛ばしてやったんだからな。どういう目に合ったのかは知らねえが……とっくに死んでいるだろうぜ。なにせ……」
ヴィクトリアの処遇については、彼も知らなかった。
だが、簡単に想像できるものが、手のうちにあった。
彼が取り出したのは、一見なんてことはないペンダント。
だが、そこからあふれ出る神気は、まさにヴィクトリアのものであった。
「こぉんな便利なものまでもらっちまったからなぁ……!!」
絶望するのはレナである。
ヴィクトリアの受けたことを想像して、涙を流す。
しかし、バイラヴァは納得したように頷くだけだ。
「ほう、女神の力を感じるな。なるほど、あの尖兵の手甲もそうだったが、何らかの武器やアイテムに付与しているのか」
「精霊は副産物だとかなんだと言っていたが、どうでもいい! 重要なことは、この俺には二つの神の力が存在するということだああああ!!」
カッとペンダントが光ると同時に、凄まじい力がアールグレーンを中心にして巻き起こった。
地鳴りが響く。そして、大地が隆起し、街並みを破壊してしまう。
それは、まさにヴィクトリアの使っていた豊穣の神の力であった。
それだけではない。青い空が広がっていたはずなのに、今では分厚い黒い雲が空を覆っていた。
ゴウッと吹き荒れる暴風雨。雷まで鳴り響き、その巨大な音は聞く者に恐怖を与える。
まさに、天変地異。
自然を操作し、破壊することができる、神の御業であった。
レナは明確に生気を失っていた。
自分の敬愛するヴィクトリアのことを思いやるだけでも心を閉ざしてしまいそうになるくらいなのに、それにくわえて圧倒的な暴力とも言える神の力を目の前でまざまざと見せつけられているのである。
予想される未来は、ヴィクトリアを救い出すことができず、ここで神に踏み潰される。
それ以外なかった。
「二つの神の力を完全に使いこなすことができれば、ブランクのあるテメエなんかに負けるわけがねえ! 時代の遺物がぁっ!! さっさと過去に戻りやがれえええええ!!」
アールグレーンから放たれた神の力。
大地を抉り、暴風がバイラヴァに襲い掛かる。
地面が揺れて砕けているのだから避けることもできず、上に逃れようとすれば暴風で切り刻まれ吹き飛ばされる。
少なくとも、これは一人の個体に対して打ち出すような攻撃ではなく、大きな軍勢を相手にするときに使う戦術級の魔法だった。
その余波だけでもレナのか細い命は吹き飛びそうになって……。
「ウザい」
封殺。
バイラヴァの手には黒々とした魔力を溢れ出させる剣があった。
それを地面に突き刺すと、迫り来ていた神気と激突。
一切拮抗することもなく、そのアールグレーンの攻撃を相殺してしまったのであった。
音を立てて地割れを起こしバイラヴァに迫っていた大地は、剣が刺された場所からも衝撃が走り、お互いのちょうど中心のあたりで一気に空高くまで押し合い隆起した。
それだけでなく、迫り来ていた暴風を切り裂き、分厚い黒い雲を一気に晴らした。
青い空が一気に広がり、雨も止んだ。
「…………は?」
その声を発したのは、アールグレーンかレナか……あるいは両方だったのかもしれない。
大きく口を開けて、唖然とするしかない。
今起きたことが、まだ理解できない。受け入れて、飲み込むことができていないのだ。
「うむ。まあ、確かに我に攻撃が通用するのは認めよう。神の力はそれほどに大きい。それに、貴様の言う通り、もしかしたら我が全盛期の力を使えないかもしれない」
アールグレーンが挑発や嘲りのために主張したことを、バイラヴァはとくに否定することなく受け入れた。
尖兵のグラシアノ相手に使っていた攻撃無効化と自動反撃が機能しないほど、格は高い。
それに、バリバリ動き回っていた千年前と違い、非常に長い年月を封印されていたのだから、最高の状態とは言い難いだろう。
「我は力が落ち、貴様は力を増した。だがな……」
口を裂くばかりに歪めて嗤うバイラヴァ。
「――――――その程度で、我と貴様の差が埋まるわけがないだろう」
それは、圧倒的強者からの、無慈悲な言葉だった。
嘲りも多分に含まれている。アールグレーンにとっては、我慢できないような言葉のはずだ。
だが、彼は言い返すことができなかった。怒鳴り声を上げることはできなかった。
彼は、思い出してしまっていたからだ。
千年前、手も足も出ずに倒れ伏したことを。
多くの世界中の戦力や、ヴィクトリアをはじめとした他の四大神がいなかったら、どうなっていたか?
少なくとも、つい先ほどまでのように他者を虐げ満足した生活を送ることはできていなかっただろう。
「さて、リハビリがてら、我も神の力を使ってみようか。貴様の言う通り、弱っていたら情けないからな」
力を確認するかのように、手のひらを握ったり開いたりするバイラヴァ。
その姿に恐怖を覚えたアールグレーンは制止の声を呼びかけるが……。
「まっ、待って――――――!!」
「待ったはなしだ。ではな、アールグレーン。無の世界で我が再征服するのを、見ておくがいい」
当然、バイラヴァが聞き入れることはない。
冷たい言葉を言い放ち……指先から小さな黒い珠を作り出した。
魔力弾だろう。だが、それにしては小さすぎる。
攻撃範囲も狭くなるし、何より威力も低い。
「ふっ……ははははははは! な、なんだ!? 本当に力が出ていないじゃねえか、バイラヴァ!!」
大量の汗をかきながらもバイラヴァをあざ笑うアールグレーン。
力がうまく出せないどころか、大きく衰退しているではないか!
「うーむ……やはり、千年という月日は長いか。ダメだな、これでは」
バイラヴァ自身もこの結果には満足いっていないようで、苦々しそうに顔を歪めている。
それを見ると、なおさらアールグレーンは顔を輝かせる。
「ははははっ!! 今からでも命乞いして手伝わせてくださいと頭を下げた方がいいじゃねえか!? 許さねえけどなああ!!」
嬉々として高笑いするアールグレーン。
そんな彼に答えることなく、バイラヴァはその小さな黒い珠を撃ち出した。
小さいがゆえなのか、その速度は非常に速いもので、アールグレーンは避けることができなかった。
いや、避けられたとしても、彼は避けなかっただろう。
こんなしょぼい攻撃、逃げる方が恥だ。
だから、彼は気づかなかった。
その小さな黒い珠の中に渦巻いている、破壊神としての神気の濃さと異様さに。
トッ……と小さな音を立てて、その黒い珠はアールグレーンの胸に衝突した。
次の瞬間、世界から音が消えた。
そして、その直後に耳をつんざくような爆発が起きた。
ゴウッと吹き荒れるのは、黒い爆炎と爆風。
アールグレーンの姿を一気に膨れ上がった黒い火球が隠してしまい、それはどんどんと大きくなって空まで届きそうなほど。
遠く離れた場所からでも、うっすらと黒い珠が見えてしまうほど巨大なものだった。
大地を削り、瓦礫を吹き飛ばし、近くに建てられていた建物は跡形もなく消し飛ぶ。
「あっ……」
そして、それは近くで転がっていたレナにも猛威を振るった。
数百年アールグレーンによって痛めつけられて消耗しきっていた彼女は、もはや逃げるために立ち上がることすらできない。
翼を広げて逃げようにも、拷問で折られてしまったそれでは飛ぶこともできない。
迫りくる黒い爆炎は、間違いなく彼女の命を奪おうとして……。
「しっかたないわねぇ」
そんな可愛らしい声が聞こえたのは、そんな時だった。
ふわりとレナの眼前に現れたのは、小さな人間であった。
キラキラと輝く翼と身体を持ち、美しい黒髪をなびかせている。
そして、小さな両手を前に突き出すと、レナを覆うようにして魔力壁が作られる。
迫り来ていた爆炎を、それは見事に反らしてしまった。
ガリガリと凄まじい音を立てて地面を削っていくので、その爆発が収まったときには、レナの周りだけが大きく突き出た状態で、あとはクレーターが出来上がってしまっていた。
「街が……」
呆然と呟くレナ。
数百年の苦渋の経験を味わわされたこの街に思い入れなんて何もない。
だが、アールグレーンが住まう街ということもあってかなり整備されており、また尖兵の脅威がないことからも非常に発展した立派な街並だった。
それが、たったの一人によって……たった一つの魔法によって、一気に壊滅してしまった。
「これが……破壊神……!」
レナは思い出す。
千年前、誰がこの世界を支配していたのか。誰が全世界の戦力とたった一人で同等に渡り合ったのか。
「……リハビリもしないとなぁ」
それは、破壊神。最悪にして最強の神である。




