第19話 誰が手を組むか
「――――――……」
ヴィクトリアは悲鳴を上げることすらできずに倒れた。
彼女の周りは地形が変わってしまっていた。
それほどの一斉攻撃を背中に受けたのである。
腹を刺され、さらには大砲撃。
しかし、彼女は死んでいなかった。
それは、ひとえに不死である神だからである。
とはいえ、一般的に不死とは言われている神々だが、身体を構成する力が全て抜けてしまえば消滅する。
攻撃を受けたことや、それ以前に戦いで強大な力を使用していたことで、今のヴィクトリアは非常に危険な状態にあった。
少なくとも、すぐに立ち上がって反撃できないほどに。
「ほう。まだ息があるのか。私としては、そちらの方が助かるがな」
「凄いわねぇ、神様って。私たちでも死んでいたわよねぇ」
ザッと土を踏みしめる音を立てて近づいてきたのは、二人の精霊であった。
血だらけの白衣を身に着けた男とヴェロニカなことから、どうやら少年との勝負は彼が勝ったらしい。
「さぁてぇ……約束通り行動を起こしてくれてぇ、どうもありがとぉ」
ヴェロニカがそう声をかけるのは、今回の戦いのMVPと言っていい、裏切ったアールグレーンであった。
「はっ! 礼なんてどうでもいい。ちゃんと約束を果たしてくれるんならな。こっちはもう動いたんだ。今更反故にするなんてねえだろうな?」
「もちろんよぉ。私たちは別にあなたと戦争をしたいわけじゃないんだからぁ」
ギロリと殺気を込めて睨みつけてくるアールグレーンと正対しても、ニコニコと穏やかで色気のある笑みを崩すことのないヴェロニカ。
そんな彼女を見て、白衣の男は冷や汗を流していた。
「……まさか、埋伏の毒を仕込んでいたとはな。相変わらず、悪趣味なやつだ」
「だってぇ、正面からなぐり合ったら面倒でしょう? 実際ぃ、あんな強い力を持っていたんだからぁ、感謝してほしいくらいだわぁ」
いつの間にこのような毒の芽を植え込んでいたのだろうか?
そもそも、精霊とはあまり干渉しあわないので仕方のないことなのかもしれないが……その手際の良さには頬が引きつる。
「どう、して……?」
倒れるヴィクトリアは、そうアールグレーンに問いかけた。
美しい金色の豊かな髪は汚れきってしまっているし、整った肢体は血と泥で見るも無残なものになっている。
そんな彼女を面白そうに見下ろし、アールグレーンは笑った。
「あー……まあ、色々あるんだけどな。同じ勢力範囲内にテメエの勢力があること。テメエが消えたら、俺の勢力は大幅に拡大するってわけだ。それに、こいつらが支配した後の俺の待遇だな。ぶっちゃけ、こいつらと戦って勝てるのなんて俺ら神くらいしかいねえだろ? 数が違うんだ。分が悪い。だから、さっさと降ってしまって約束された待遇を受けておいた方がいい。それに、何より……」
ギロリと睨み下ろす眼力は、凄まじいものだった。
「テメエがあの破壊神のことをずっと想って考えていることが、何よりも虫唾が走る! 俺はあいつが殺したいほど憎いんだ。あいつのシンパなんて、邪魔でしかねえよ!」
アールグレーンにとって、数百年前の戦争は屈辱以外のなにものでもなかった。
破壊神に侮辱され……何よりも、一人では手も足も出なかったのだ。
そんな男の元に、かつて敵対していたはずのヴィクトリアが頻繁に向かっているのは、彼にとって不愉快極まりなかった。
「……もういいか? この女神のことについてなんだが」
「あ? 好きにしろよ。俺は興味ねえしな」
「そうか、助かる」
アールグレーンが白衣の男と会話をしているのを見て、ヴィクトリアは自分がもはや逃げられないことを悟る。
だが……彼女は決してアールグレーンのことも、そして何よりも守りたいと思っていたこの世界の住人に裏切られたことも、恨んでいなかった。
彼女の善性は、自分を裏切り殺そうとした者たちをも包み込むのである。
「ねぇ。その破壊神って言うのはぁ、そんなに凄い神なのぉ?」
そんな彼女の元にしゃがみこみ、話しかけてくるのはヴェロニカであった。
ニコニコと笑っている穏やかそうな表情は、一見すると無害なのだが、そこからにじみ出る退廃的な色気が根拠のない不安を抱かせる。
そんな彼女に破壊神のことを教えるのは嫌だったが……しかし、彼女程度には御すことなんてできないと伝えるため、汗と血にまみれた顔を笑みに変えて言ってやる。
「……あなたなんか、足元にも及ばない程度には凄いですわよ……」
「へええ……! それはいいわぁ……」
ニコニコと笑い、楽しみができたと小躍りするヴェロニカ。
そして、彼女の代わりにやってきたのは、血だらけの白衣を着た男。
「じゃあ、持って帰るか。我々のために、お前を使わせてもらうぞ」
グッと手を伸ばしてくる男。
その大きな手で顔を覆われ、ヴィクトリアは意識を失うのであった。
◆
「ほほう、そうか。我が封印されていた間にそんなことが……なるほど、なるほど」
「はっ! どうした? テメエもまさかあの女のことを大切に想っていたのかぁ? ざぁんねんだったなぁ! もうとっくに死んじまってるだろうぜ! ははははははははっ!!」
コクコクと頷くバイラヴァ。
そんな彼を見て、高らかに嘲笑うアールグレーン。
もはや、彼には破壊神に対する恐怖なんてなかった。
そうだ。奴は千年も封印されていたのだ。全力を出せるはずもないし、怯えることはないのだ。
「お前が……お前が、あんな裏切りをしなかったら……!」
「おっ、目を覚ましたのかよ。死んでいてくれた方が楽だったんだが……」
倒れ伏す使徒の女……レナが視線だけで人を殺せそうな目を向けるが、アールグレーンはヘラヘラと笑う。
彼女に対しては何の脅威もないからだ。
「絶対に……絶対に許さない……! ヴィクトリア様を裏切った愚神め! 殺してやる!!」
「はははははははははっ!! テメエに何ができんだよおお!! そんなボロボロの身体で、数百年俺に弄ばれた身体で、俺に勝てるとでも思ってんのかぁ!? そもそも、テメエが万全の状態だったとしても俺にはかなわねえよ。俺は神だ。テメエみてえな一介の使徒程度がかなう相手じゃねえんだよお!!」
だから、嘲笑う。
常人なら気絶してしまうほどの殺意と敵意を向けられても、アールグレーンには愉悦する要素の一つにしか過ぎない。
怨嗟の声を張り上げる下から見上げる者と、それを見て嘲笑う上から見下ろす者。
両者はまったく異なっていた。
「盛り上がるのはいいんだけど、我を挟んでやるのはやめてくれない? 怒声も殺意もウザいから」
そんな二人の間に立たされて嘲りと殺意を正面と背中で受け止めていたバイラヴァが、げっそりして言う。
「ああ、そうだ。テメエはどうするんだ? そこで転がってる玩具みてえに、俺を殺すか? あの女神のかたき討ちって言ってな」
そうなった場合……激しい戦闘になることを覚悟しなければならない。
確かに、千年封印されていた。身体は鈍っているだろうし、自分も千年前とは違う。
だが、彼は世界をたった一人で破滅に追いやった最悪の破壊神である。
彼の返答にはごくりと喉を鳴らし……。
「ん? 何で?」
「……え?」
首を傾げられた。
「いや、そもそも、我と女神敵同士だし。我から見たら、貴様らの勝手な仲間割れだし。むしろ、世界再征服の邪魔者が減ってラッキーくらいだし」
「なっ……!?」
バイラヴァの言葉に愕然としたのはレナである。
アールグレーンは少し驚いた表情を浮かべていたが、次第に笑みへと変えていく。
「ぷっ、ははははははっ! そうか、そうだよなぁ! テメエから見たら、くだらねえわな!」
「(破壊神……!!)」
ギッと呪うようにバイラヴァを睨みつけるレナ。
千年前は敵だった。今だって彼のことは憎いほどである。
だが、それでもヴィクトリアは……自分の敬愛する主は、彼のことを想って何度も封印場所に足を運んでいたのである。
そんな彼女を切り捨てるような発言に、怒らないはずがなかった。
「なら、どうだ? 俺と手を組まねえか? 最近、精霊どもに上に立たれることにも飽き飽きしていたところだ。俺とテメエの二柱がいれば、この世界を掌握することだって余裕だぜ」
さらに、アールグレーンはバイラヴァを勧誘し始める。
戦わずに済むのであれば、それが一番だ。
世界を征服しようとした男だ。この提案はそれほど悪いものではないはずだ。
だが……。
「誰が手を組むか、馬鹿垂れ」
呆れたような顔をしたバイラヴァに即答で拒否される。
「貴様、つい先ほど裏切った話をしておいて、よくそんな話を持ちかけられたな。図太っ。いくら我でも爆弾を懐に入れるのは嫌だ」
やれやれと首を横に振る。
「それにな……」
ずわっと彼の身体から溢れ出した異質な力に、アールグレーンもレナも顔を引きつらせる。
「勝手に我と戦える数少ない存在を処分されたら困るんだよ。あの女神には、世界の命運を懸けて我と大戦争をするという義務があるのだからな」
獰猛な笑みを浮かべるその姿は、まさしく千年前世界を破滅に追いやった最悪の破壊神のままであった。




