第18話 信じましょう
広大な平野で向かい合う二つの勢力。
一つは侵略軍である精霊たち。もう一つはそれを迎え撃つヴィクトリアたちである。
「精霊……というのは数が少ないと聞いていたのですけど……」
しかし、ヴィクトリアの目に映るのは、こちらの軍勢に勝るとも劣らない数をそろえてきている精霊軍である。
強大な力を持つと言われる精霊があれだけの数いるのだとしたら……苦戦は免れない。
だが、それをアールグレーンが否定した。
「ありゃあ、全員が全員精霊じゃねえよ。信徒に探らせたら、どうやらこっちの世界の人間や魔族を尖兵として引き込んでいるらしい」
兵隊をこちらの世界で調達するということに、ヴィクトリアは目を丸くする。
「それは……洗脳とかですか?」
「いんや。もしかしたら、少数はそれがされているかもしれないが、大多数は自分の意思であっちについている。どうせ、精霊が世界を支配した後に色々と便宜を図ってもらえる算段になっているんだろうさ」
優れた目で精霊軍を見れば、なるほど、尖兵として先頭に立っている兵隊たちは、多くが荒くれ者たちだった。
何かしらの見返りが用意され、それに応じて彼らは精霊として侵略軍の一端を担うことにしたのだろう。
対価さえあればどのような軍隊にも与する傭兵という存在もあるので、ヴィクトリアは彼らを根本から否定することはなかった。
ただ、眉を顰めて悲しそうにするだけである。
「残念ですわ……」
「まっ、俺の信徒でもねえし、知ったことじゃねえな。皆殺しだ」
そう言うと、アールグレーンはひらひらと手を振って離れて行った。
最初に話し合った彼の持ち場へと向かったのだろう。
そんな彼が去った後にこっそりとヴィクトリアに話しかけるのが、レナだった。
「……ヴィクトリア様。本当にこの陣形でいいんですか? いくら何でもおかしいです」
強く懸念を示すレナ。
陣形は、ヴィクトリアとアールグレーンを先頭にし、そのすぐ後ろをアールグレーンの信徒たちが固めるようなものになっている。
これでは、アールグレーンの勢力しかヴィクトリアの周りには存在せず、万が一という事態になったときには彼の信徒たちが邪魔で、その後方に待機しているヴィクトリアの信徒たちが助けに行くことができなかった。
「もともと、わたくしの信徒はあまり戦闘に特化している者は少ないですわ。だから、後方支援を担当しているのでしょう? 一方で、アールグレーンさんの信徒は戦闘が得意。……こうなるのも、当然ですわ」
「し、しかし!」
「信じましょう、レナ。わたくしたちの敵は精霊。アールグレーンさんではありませんわ」
ニッコリと笑うヴィクトリア。
彼女は、あの世界をめちゃくちゃにした破壊神をも信じている。
であるならば、レナが嫌な印象を抱いているアールグレーンのことも、信じていないはずがなかった。
「さあ、あなたも配置について。戦争がはじまりますわ」
「は、はい……」
彼女に促されて、レナは自身の配置されてある後方へと向かう。
ヴィクトリアは優しすぎる。
しかし、その優しさがあるからこそ、四大神の中で最大勢力と言っていいほどの信徒たちに慕われているのだ。
だから、その良さをなくすことはできないが……。
「(本当に、あの神を信用してもいいのかしら……)」
チラリとヴィクトリアから少し離れた場所で戦闘準備を行っているアールグレーンを見やるレナ。
本当に、信用できるのか?
精霊と衝突するにあたっては、荒事を好まないヴィクトリアの勢力だけでは不可能だから、戦闘経験が豊富なアールグレーンの勢力に頼らざるを得ないのだが……。
レナは、この時何としてでもヴィクトリアが一人になるのを止めなかったことを、数百年にわたって後悔し続けることになるのであった。
◆
ワッと怒声を上げて一気に迫りくる精霊軍。
先陣を切るのは、尖兵たちである。
どうやら、精霊たちは後ろから高みの見物を決め込むらしい。
「この世界の人々を攻撃するのは心が痛みますが……お覚悟くださいまし」
悲しそうに表情を歪めながら、軽くトントンと地面を蹴るヴィクトリア。
いかにもお嬢様といった容貌で、武器さえ持てないような美しい女を見て、尖兵たちは明らかに侮っていた。
他の兵隊たちを後ろに下げて一人だけ前に出ているのは、命乞いのためだろうか?
そんな甘い気持ちを持って突撃していた彼らだったが……。
「あ? なんだ?」
ゴゴゴ……という地鳴りが響く。
さらに、大地が揺れ始め、怪訝そうに周りを見渡す尖兵たち。
最初こそ平気だったが、次第に揺れが大きく激しくなるにつれて、尖兵たちは慌て始める。
その揺れは動くことすらままならないほどのものになっていき……。
ゴッ!! という音と共に大地が隆起した。
地割れが起き、下から突き上げられるようにして尖兵たちの多くが宙へと投げ出される。
「な、なんだよこれはああああああ!?」
悲鳴を上げながら落ちて行く尖兵。
ぐしゃりと地面に落ちて潰れた者もいれば、大地の裂け目に飲み込まれて消えて行った者もいた。
たった数度、地面を叩くように蹴っただけで、天変地異を引き起こす。
それが、ヴィクトリアだった。
◆
「あらぁ、すっごい力ねぇ。あれだけいた手駒が一気に減っちゃったわよぉ」
尖兵たちが為すすべなく撃退されていく様を、遠く離れた場所から観察している人々がいた。
彼らこそ、精霊。この世界にやってきた侵略者である。
「そうだな。あれがこの世界の神の力か。なるほど、凄まじいエネルギーだ」
「興味あるのぉ?」
メガネをかけた男が呟けば、女が問いかける。
精霊同士は干渉しあわないようにしているため、あまり深くお互いの事情や性格を知っているわけではないのだが、普段この男は人に興味を示さないと知っているため、目を丸くして驚く。
「もちろんだ。あれはいい実験体になる」
「そっちかぁ」
ギラリと光る眼鏡を見て、女は色気を含んだ笑みを浮かべる。
別にこれといって男に好感を抱いているとか誘っているとか、そういうことはないのだが、いつも通りの彼女の振る舞いはやけに色気を含むものであった。
実験体、という言葉は非常に不安を抱かせるもので、とくに彼が纏っている白衣が血だらけであることも拍車をかけていた。
「俺も興味あるぞ! 欲しいなぁ、神様」
そこに割り込んだのは、少年のような容貌をした男である。
彼もまた精霊であった。
はつらつとした笑みは周りを笑顔にするような魅力にあふれていたが、残念ながら彼を見て笑みを浮かべるようなまっとうな性格をしている者は、ここには誰もいなかった。
「ダメだ。私がいただく」
「俺!」
「彼女を取り合うために喧嘩するのはいいのだけれどぉ、あれどうやって捕まえるのぉ? あなたたちが出張るのぉ?」
ギャアギャアと喧嘩を始める二人に、女の声が通った。
すると、ピタリと身体を止めたのは血みどろの白衣を身に着けた男の方だった。
「……私はあまり戦闘が得意ではないのだが」
「じゃあ、俺だな! 残念、俺がいただく!」
嬉々としてヴィクトリアの元に駆けだそうとする少年。
その細い肩をがっしりと掴むのは、メガネの男である。
「それはダメだ」
「うるせー! もやしは黙ってろ!」
「ふん! どうせ、ヴェロニカのことだ。すでに手は打ってあるのだろう?」
一触即発という雰囲気になるが、メガネの男が視線を向けたのは、女……ヴェロニカの方だった。
「正解ぃ。やっぱりぃ、こういうことは全力で愉しまないとねぇ」
ニヤリと口が裂けてしまいそうなほど大きく歪めたヴェロニカは、その整った顔に悪意と害意を多分ににじませるのであった。
◆
「ふぅ……終わりでしょうか? 無益な殺生はしたくありませんから、お帰りいただけませんか?」
「ひっ、ひいっ……!」
「ば、化け物だ……! 神って、こんなに強かったのかよ……!」
結局、尖兵たちはヴィクトリアたちの誰一人も殺すことができず、それどころか近づくことすらままならなかった。
大地が隆起し、裂けるという天変地異を引き起こす神。
特殊な力を持たないこの世界の人間が、敵うはずもなかった。
「はぁ、はぁ……っ!」
だが、彼女の疲労も激しく、背を向けて尖兵たちが逃げ出したのを確認すると、肩で息をする。
びっしりと顔に浮かんでいる汗は、彼女がどれほど疲れているかをはっきりと表していた。
ヴィクトリアは敵である尖兵たちでさえも、この世界の住人だということで、できる限り殺さないように仕向けていた。
そのため、ただでさえ魔力の消費が激しい大規模攻撃を殺さないように手加減しつつ使用したので、魔力の消耗と精神の疲労は非常に大きなものになっていた。
「これで、当面は……」
しかし、成し遂げた。
これだけの強大な力を見せつければ、親玉である精霊は分からないが、少なくとも尖兵たちは再び襲い掛かってくることはないだろう。
次は、精霊との戦いだ。
疲れ切った身体に鞭を打って、もう一度身体に力を入れ直したヴィクトリア。
「ああ、そうだな。ご苦労さん」
「――――――えっ?」
そんな彼女の腹から細長い剣が突き出たのは、その直後のことだった。
自身の柔らかい腹から突き出る剣を唖然として見るヴィクトリア。
痛みは未だこず、ただ何が起きたのかと理解ができない。
彼女の腹に剣を突き刺したまま離れたアールグレーンは、控えさせていた信徒たちに命令を下す。
「撃て」
ヴィクトリア目がけて大量の魔法攻撃が放たれ、唖然としていた彼女の背中を襲ったのであった。




