第16話 裏切り者
「ど、どうしてお前がここに……!? 封印されていたはずじゃあ……」
「千年も経つんだ。封印が弱まっていても不思議ではないだろう? それに……」
愕然として震えるアールグレーンを見て、薄く笑うバイラヴァ。
彼の目はギラリと光る。
「貴様ら程度の力で、この我を永久に封じることができると、本当に思っていたのか?」
その威圧感に、アールグレーンは明らかに気圧されてしまう。
それは、もはや何百年と味わったことのなかった命の危機を感じ取ったからだ。
最後に感じたのは……そう、千年前のあの戦争。
バイラヴァと全世界との最終戦争の時だった。
「ふ、復讐、か……?」
口の中の水分が枯れ、声がかすれてしまう。
彼なりに思いきった勇気のある問いかけだったのだが……。
「……いや、そうではない」
「なに?」
その問いかけはあっさりと否定される。
では、何が目的なのか。アールグレーンは怪訝そうに睨みつける。
「いいか? 我は別に個人的な恨みを貴様に持っているわけではない。あの戦争で負け、貴様らに封印されたことは、何も怒るようなことではないさ。むしろ、誇ればいい。この破壊神から、一時的にとはいえ世界の平和を勝ち取ることができたのだから」
かなりの上から目線に、アールグレーンは怒鳴り声を上げそうになる。
だが、それは確実に悪手だ。何とか我慢する。
彼に我慢ということをさせるのは、これまた何百年ぶりのことである。
それをさせることができるバイラヴァの異常性を感じ取ることができるだろう。
「だから、我が復活してこの世界を再征服するのも、また道理である。精霊とかいう訳のわからん存在が君臨しているようだが、関係ない。我は再びこの世界に暗黒と混沌を齎してやる」
この異質さである。
アールグレーンは、少なくとも自分のことが善人であるとは思っていない。
自身の欲望のままに行動するので、悪という感覚は持っている。
だが、この男は……バイラヴァは、まさに純粋悪。
当たり前のように世界を破壊しようとし、当然のように征服しようとする。
そこに、悪意も敵意もないのだ。ただ、そうあれかしという使命みたいなものを持って行動しようとしている。
それが、何よりも恐ろしかった。
それは、アールグレーンにとって……他の多くの存在にとって、理解できないものだから。
「また邪魔をするというのであれば、再び我の前に立ちはだかるがいい。今度こそ、完全に破壊してやろう」
千年前、怯えながらもバイラヴァと相対することができたのは、アールグレーンの前に、隣に、後ろに大勢の味方がいたからである。
絶対に……絶対に一対一で相対していい相手ではない。
「……お前に精霊を倒すことはできねえ」
それでも、アールグレーンは彼を否定した。
「何故そう言える?」
「……俺たちがあいつらと戦って、負けたからだ」
沈痛そうな表情を浮かべるアールグレーンだが、当然ながらバイラヴァが気にするそぶりはない。
「ああ、それは聞いたな。それに関連するかどうかはわからないが、少し聞きたいことがあってな。あの女神は今、どうしている?」
「……知らねえよ」
あの女神……その言葉を聞いて、ピクリと一瞬反応するアールグレーン。
目ざといバイラヴァは、それを見逃さなかった。
「知らんことはないだろう。我を倒した仲良し四人組ではないか」
「知らねえっつってんだろ! あいつは……あいつは……!」
嘲笑するようなバイラヴァの言葉に激昂するアールグレーン。
「俺たちを裏切って、精霊側についたんだから!!」
その言葉に、ニヤリと笑うバイラヴァ。
「……ほほう」
「……俺たちは四柱で精霊の侵攻を迎撃した。戦いは苛烈だった……だが、俺たちは押していたんだ。戦況は有利だった」
悔やむように顔を歪め、アールグレーンは話す。
今まさに過去の記憶を思い返しているようだった。
なるほど。なかなかの【演者】である。
「では、何故負けている? この世界を精霊に支配されている? それらすべてが、あの女神のせいだと?」
「そうだよ! それ以外に考えられねえだろうが!!」
激しい肯定。
どこからどう見ても、彼が嘘を言っているようには見えなかった。
「ふーむ……なるほどなぁ。確かに、あの女神の力は尖兵にわたっていたことから考えると、貴様の言うことにも一理ある」
腕を組み、何度か頷くバイラヴァ。
単純に女神がこの世界と人々を裏切り、精霊と手を組んだという主張は、それほどおかしなことではない。
数百年も経てば神だって変わるだろうし、それならば尖兵のグラシアノが女神の力を使っていたこともつじつまが合う。
その反応を見て、アールグレーンはさらに詰め寄る。
「そうだろ? だったら、俺と手を組んで、あの女神を……」
「だが」
嬉々として勧誘しようとした言葉が遮られる。
バイラヴァの目は、面白そうに輝いていた。
「だが、おかしいな。そこに転がっている女……どこかで見たことがあると思っていたが、ようやく思い出したぞ」
『教えてあげたの、あたしだけどね』
チラリと倒れ伏す翼の折れた女を見るバイラヴァ。
ぐったりと全身から力を抜いて倒れる彼女の姿は痛々しく、命のともしびが消えようとしていても不思議ではない。
そんな彼女に、バイラヴァは見覚えがあった。
「そいつ、あの女神の使徒だろう?」
「ッ!!」
顔を凍りつかせるアールグレーン。
もともと、四大神にはそれぞれ彼らを崇める宗教が存在していた。
とくに、人を思いやり彼らのために尽力する女神は、豊穣と慈愛の神として最大勢力を誇っていた。
そんな大勢の信徒の中で、忠誠心と信仰心を極限まで高めた者は、使徒として昇華される。
バイラヴァに心当たりがあるのは当然だった。
なぜなら、かつて千年前のあの戦争で、彼女も女神と共に自分に立ち向かってきていたのだから。
残念ながら、自分よりもはるかに弱いのでほとんど覚えていないが。
「だとしたら、貴様の話は少しおかしいな。貴様らを裏切って精霊側に付いたはずの女神の使徒が、どうしてここにいて、どうしてボロボロになっていて、どうして処刑されそうになっているんだ?」
「そ、それは……つ、捕まえたんだよ! 俺たちを襲ってきたときに、捕虜にしたんだ! 捕虜を処刑にするのは、おかしいことじゃねえだろ?」
「ああ、おかしくないとも。我も頭を使ったことは不得手でな。今ので貴様を言葉で打ち負かそうだなんてことは思っていない」
ニヤニヤと笑うバイラヴァは非常に悪趣味であった。
いたぶっている。止めを刺すことができるのに、わざと泳がせて必死に活路を見出そうとしているアールグレーンを嘲笑っている。
さながら、猫がネズミを前足で虐めるように。
ひとしきり満足したのか、彼は止めとなる言葉を発した。
「だがなあ……どうして、貴様の身体からあの女神の力を感じ取れるんだ?」
「……ッ!」
サッと顔を青ざめさせる。
慌てて胸に手を当てるが……もう遅い。
「ふははっ! もういいだろう、つまらん嘘は。別に、我は貴様を糾弾しに来たわけではない。ただ、面白そうだから知りたいだけのことだ。……まあ、貴様が我の背中を攻撃したかったのであれば、残念だったな」
それを聞いて……アールグレーンの顔はスッと無表情になり、そしてすぐに忌々しそうに歪んだ。
「……ちっ。テメエを騙して殺せたら楽だったのによお……。まさかこのタイミングで復活するなんて思ってなかったから、油断しちまった。ゴキブリかよ、テメエ」
「ああ、そういうのはいいから。で? 女神を害したのは貴様か?」
ギロリと睨みつけてくるアールグレーン。
その威圧感と殺意は凄まじいもので、今弱っている使徒の女が受ければ命を落としかねないものだった。
しかし、バイラヴァはどこ吹く風で、興味なさそうに手をひらひらと振った。
彼が興味があるのは女神である。
アールグレーンももはや隠し立てするようなことでもない。
口を開いて、真実を告げてやる。
「ああ、そうだよ! 俺が裏切って、あいつを売ってやったんだよ!!」




