第134話 落ちる国家
最大の侵略を開始した精霊の軍勢。
まるで、美しい湖に毒を一滴落としたように。
それは、最初こそ小さな汚れである。
しかし、一気にそこから毒は広がりだす。
各国に向かって、一斉に侵攻を開始したのだ。
それは、一見すると馬鹿げた作戦に思える。
二正面作戦ですら、余裕と戦力が豊富でなければできず、最善の選択ならば一つ一つに注力してつぶしていくべきである。
しかし、精霊たちはそれを選ばず、四方八方に散らばっていったのである。
そこにあるものをすべてむさぼりつくす、イナゴの大群のように。
さて、精霊たちの報復を恐れ、彼らの威を借る尖兵たちに対してすら何も取り締まることをしなかった国家。
今回の侵略に関してはどうだったのだろうか?
「我らは不埒な侵略者どもに、一歩も引かん! 奴らに好きにはさせん! 迎撃だ!」
侵略に直面したほとんどの国が、抗戦の意思を示した。
その理由はいくつかあるが、またあの精霊による支配の世界に戻りたいと思えなかったこと。
そして、世界中で破壊神バイラヴァに対する人気が高まり続けていることを危惧していた。
人気のない支配者は、いずれ淘汰される。
穏便にその場を追われるのであればまだしも、革命なんて起きてしまえば最悪だ。
そして、『バイラヴァ教』なるカルトすら生まれている破壊神に人気が高まれば、そのような過激思想を持つ連中が武装革命を起こさないとも限らない。
それを逃れるためには、人気のある支配者にならなければならない。
民のことを思いやっている。だから、侵略者たちは私が倒す。
そのような支配者ならば、当然ながら嫌われることはないだろう。
そのな思惑から、多くの国が精霊の軍勢に抵抗し……。
「に、逃げろおお!!」
「最強の騎士隊が全滅した!?」
「魔導士隊と連絡がとれん!」
「援軍はどうなっている!?」
「すでに皆殺しにされている!」
阿鼻叫喚の地獄が、戦場では広がっていた。
みじめに敗走するのは、精霊たちを迎え撃った国軍である。
それは、戦いともいうことはできなかった。
圧倒的な、一方的な蹂躙だった。
威勢よく精霊たちを迎え撃った各地の国であったが、彼らに勝つことができたところは一つもなかった。
「クソ……! こいつら、なんでこんな無感情なんだよ!」
戦いをする中で、多くの人々は恐怖を抱いた。
それは、精霊の軍勢の一般兵たちは、一切感情を表に出さなかったからである。
見た目は人間そのものだ。だが、人間性を一切感じさせなかった。
まるで、無理やり動かされている人形と戦っている気分になる。
そして、それはあながち間違いというわけではなかった。
彼らは、人工精霊だ。
しかも、今までの『試作品』からの反省を踏まえて精霊王が設計したもの。
もちろん、素材は『試作品』から変わっていない。
侵略された世界の、行き場を失った人間たちである。
彼らからは、感情を取り上げた。
喜怒哀楽。恐怖や驚き。これらの感情は、まったくもって必要ないとしたのが精霊王の判断だった。
喜怒哀楽があれば余計な行動に出るし、恐怖があれば命令の遂行に支障をきたし、驚きは隙を生む。
だから、精霊王はそれらを取り除いた。
人間性を失わせ、真の意味で完全な手ごまとしたのだ。
死を恐れない兵士……死兵は、非常に凶悪で脅威だ。
事実、人間の軍隊は、それらに押されて圧倒されていたのだから。
戦闘能力的には、確かに一人一人のレベルは高いが、問答無用で圧倒されるほど人工精霊は高くない。
感情の欠如と命令に唯々諾々と従う内面性。それが、人々を追い詰めていた。
そして、もう一つは……。
「よし、やっぱりこいつらの力は大したことがない。我らに続け」
「おお! リンド騎士団! 精鋭中の精鋭だ!」
戦闘能力が高くないとはいえ、常人よりははるかに強い人工精霊を次々に滅していくのは、その国では精鋭の中の精鋭と言われているリンド騎士団であった。
鍛え上げられた強者は、人工精霊をも倒すことができた。
「もともと、精霊の支配に甘んじていることこそおかしかったのだ。破壊神とやらが好き勝手したらしいが……我らに破壊神は必要あらず。我らの国は、我らの力だけで守るぞ」
そう意気込み、人工精霊と白兵戦を繰り広げるリンド騎士団。
とくに、その団長であるリンドは、精霊による支配を良しとしなかった。
彼らを倒すために鍛え上げられた武技は、人工精霊を次々に屠っていく。
彼の部下も、数は少ないとはいえ、みな強者である。
人工精霊たちを次々に切り捨てていく。
返り血をぬぐい、また次の獲物を狙う。
このように、精霊の軍勢のほとんどを構成する人工精霊は、この世界の屈指の強者たちであるならば打倒すことができる。
それでも、各国の軍隊が敗走する羽目になったもう一つの理由は……。
「あー……このレベルが相手になると、人工精霊ではどうにもできないのか。一応、これも精霊王に報告しておいたほうがいいのかね?」
「……話すことができる精霊か」
人工精霊を次々に切り捨てていたリンドの前に現れた一人の男。
どこか気だるそうで、腰に差した刀に手を置いている。
それが彼の得物なのだろうと、リンドはあたりをつける。
今まで切り捨てた敵は、言葉どころか感情すら表に出さない人形のような連中だった。
それに比べて、ずいぶんと人間味のある男である。
「おいおい。俺をこんな人形どもと一緒にしないでもらえるか? もともと、こいつらはお前らと同じ人間だしな。俺みたいな純正の精霊とは違うんだよ」
ひらひらと手を振る男。
リンドによって切り捨てられ、地面に倒れて血を流す人工精霊を、乱雑に足蹴にする。
部下を酷く扱う彼に、同じく上に立つ者であるリンドは不快げに顔をゆがめる。
「少し気にかかる言葉はあったが、今はどうでもいい。貴様がこの部隊の指揮官だな?」
「ああ、そうだな。まあ、適宜指揮をする必要がないのは、こいつらのいいところだよ」
ぐりぐりと人工精霊の身体を踏みつける男。
不快な男だ。おそらく、敵同士でなかったとしても、決して相容れることのなかった存在だろう。
この男を切り捨てることができる。
そのことに、リンドは喜びすら感じるのであった。
「部隊の頭をたたけば、あとは簡単に処分することができる。ここで殺させてもらおう」
「おー、いいね。強気な態度。だから、あんたは部下たちから慕われているんだろうなあ。それに、それだけのことを言える力もある。ああ、悪くない」
自分をにらみつけ、構えるリンド。
その構えは隙がなく、打ち付けられてくる敵意と殺意もピリピリと肌に刺さって痛いほどだ。
「いくぞ!」
ダン! と地面をけりつけ、一気に突き進むリンド。
男の懐に入り、一刀のもとに切り捨ててくれる。
そう思っていたのだが……。
男の足にぐっと力がたまる。
次の瞬間、パッとリンドの身体が切り刻まれていた。
まるで、花火のように。
血が飛び散り、彼の身体を構成していた四肢が四方に散らばる。
胴体も幾重にも切り刻まれ、もはやそれが元人体だということは誰もわからないだろう。
ぼたぼたと生々しい音を立てて地面に落ちるのを、彼の部下や仲間たちが唖然と見送る。
「だけど、俺には……精霊には届かねえ」
カチンと音が鳴って、刀が鞘に収まる。
いつの間に刀が抜かれていたのかさえ、彼らにはわからなかった。
「なっ……!?」
「り、リンド団長が……。う、嘘だろ……?」
唖然とつぶやく。
先ほどまで精鋭のリンド騎士団が人工精霊たちを切り捨て、逆転の芽が出ていたのだが、それは一気にしぼむことになった。
「ほら、さっさと終わらせようぜ。面倒くさい奴が来たら、もっと面倒くさいことになる」
人工精霊の死兵に、指揮官の精霊。
これらが組み合わさることにより、彼らは次々に国を落としていく。
そして、たったの数日で、大陸の半分以上を手中に収めるのであった。




