特訓の成果は?
そして、ついに特訓の成果を見せる日だ。
「諸君、本日の御前試合は、卒業前に行われる最後の士官昇格のチャンスだ。まだ資格を得てない者はもちろん、すでに資格を得ている者も、より高い階級を得られるように健闘してもらいたい」
試合開始に先立って、近衛士官学校の校長が訓示を送っている。
「本日の午前試合で本戦に出場した者には、最低でも小隊長第四位の資格を与える。また最終予選まで残った者にも、漏れなく小隊長第五位の資格を与えるぞ。くじ運が悪く、早く強い者と当たったなどとあきらめるな。審判役の師範がそれぞれの闘いぶりを見て敗者復活を決めるし、その中から善戦した者にも小隊長第五位の資格を与える。ゆえに最後まで手を抜かないように願う。以上だ」
校長のお言葉が終わった。
と同時に、参加する訓練生たちが空を見上げた。
空に大きなトーナメント表が描かれている。会場のどこからでも見られるような、大きなものだ。そこには所々に空欄が設けられている。
それを見て先に一回戦の観戦席に来たシンシアが、
「ジュニアさま。どこまで残るかな?」
一番前の席を陣取ってジュニアが来るのを待っている。そのシンシアの耳に、
「初戦がジュニアさまとはラッキーだよ。いつも一回戦負けの細身だからな」
観戦席の下から、そんな声が飛び込んできた。声の主は一回戦の対戦相手だ。
「何よ、あいつ」
それを聞いたシンシアがムッとした顔をする。その前で対戦相手が、長い桿棒を持って闘技台へ登っていった。
「あ、もう対戦のお相手が、台に乗ってますのね」
そこへダグマナがやってきた。一緒に来たプリシラが、
「シンシア。一人で行かないでよ、探したじゃないの」
と文句を言いながら、空いている最前列の席に座る。
まだ予選であるため、観客はほとんどいなかった。おかげで席はガラガラだ。
その正面にある闘技台の上では、
「さて、ジュニアさまはどこだ? もしかして逃げたかな?」
対戦相手が気楽な感じでジュニアの姿を探している。
その彼は前の武闘大会までの情報しか持ってなかった。そのためジュニアが台の下にいるのに、それが本人とは思ってもいない。
そのジュニアが棍棒を持って、ゆっくりと台に上がってきた。
「……え? 誰だ、おまえは……」
目の前のジュニアには、かつての線の細いひ弱な印象はなかった。
腕や胸の筋肉は分厚く、まるで筋肉の塊のような姿だ。しかも背丈もある。
「さあ、やろうじゃないか」
「えええ〜?」
相手はジュニアの威容に居すくんでいた。そのため審判の、
「試合開始!」
という合図と共に、
──どげしっ!
一撃を喰らって台の下まで吹き飛ばされている。
「勝者! ジュニア殿」
『おおおおぉ〜……』
観戦者が少ないながらも、今の圧勝ぶりに会場がどよめいた。それに応じるように、ジュニアが棍棒を高く掲げて、
「うがぁ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
と吠える。
「ジュニアさま! 特訓の成果が出ましたね」
プリシラが満面の笑顔で声援を送った。だが、隣に座るダグマナは、
「あの素敵だったジュニアさまが、すっかり野獣になってますわ」
まるで悪夢を見たような目で闘技台を見ている。
そしてマリカはジュニアから目をそらして、
「うわぁ〜。えげつない……」
台の下に転がる対戦相手を見ていた。その対戦相手は駆けつけた救護班によって、担架の乗せて運び出されていく。
「あ、ジュニアさまの次の対戦相手が決まったね」
空中に投じられたトーナメント表を見て、シンシアが立ち上がった。次の対戦が行われるのは二つ隣の闘技台だ。
そのトーナメント表では次々と敗者の表示が暗くなり、そのうち何人かが空欄に名前が浮かび上がる。その空欄は敗者復活用に用意されていたものだ。
ジュニアが次に闘う闘技台では、前の対戦が行われていた。桿棒と長斧の闘いだ。闘いは長斧の精霊が優勢に運んでいる。
だが、いきなり勝負がついた。長斧を持つ精霊のみぞおちに桿棒の突きが入ったのだ。それで台から落ちた長斧を持つ精霊が場外負けになっている。
それを見ていたプリシラたちの耳に、
「さて、次はジュニアさまとか……。最近、バケモノみたいに鍛えてきたからなあ。どこまでパワーをつけてきたか……」
とぼやく声が聞こえてきた。次の対戦相手だ。その彼は手に三節棍を持っている。
「次、ジュニア殿とオーウェン殿」
審判役の師範が、次の対戦相手を呼んだ。そこへジュニアが先に台に登る。そのあとを、対戦相手がゆっくりと登っていた。
「それでは、始め!」
二人が到着すると同時に、開始が宣言された。
「うがぁぁぁ〜〜〜〜〜っ!」
──どっぐぅ……
吠えるジュニアが棍棒を打ち下ろした。それをかわした対戦相手が、ジュニアと三歩ほどの距離をあける。
「バケモノか。台が揺れたぞ」
対戦相手が毒突いた。
「ジュニアさま。打撃力はちゃんとついてますよ! 行っちゃってくださ〜い」
特訓を手伝ったプリシラが、今の様子を見て声をかけた。
「はは、打撃力……ね。こりゃあ相当鍛えてるぞ……」
対戦相手がジュニアを警戒しつつ、三節棍を構えた。そこへ、
「おりゃあぁぁぁ〜っ!」
声を出して、またジュニアが棍棒を打ち込んでくる。
──がちっ!
「くっ、なんて重さだ……」
対戦相手が三節棍で受け止めた。だが、力で押し込まれて膝が折れている。
「ぬがぁ〜!」
──がぢっ、ごずっ、ガヅン……
ジュニアがたたみかけるように連打を仕掛けてきた。それをすべて三節棍で受け止めるが、完全に受け身になっている。
「まずい。このままじゃ……」
対戦相手が後ろに下がり、体勢を立て直そうとする。だが、
「逃がすか!」
ジュニアは執拗に打ち込んで、相手に反撃の暇を与えないつもりだ。
「くっ、打ち負けてる……」
防戦一方で粘りながら、対戦相手は反撃の機会を窺っていた。それが、唐突に訪れる。
「……がはっ!」
ジュニアのアゴが上がった。その瞬間を見逃さず、
「このバケモノめ!」
三節棍を折りたたんで、ジュニアの厚い胸板に突きを喰らわせる。
「…………あが……」
ジュニアの呼吸が止まった。それで動きの止まったジュニアの背中へまわり込み、
「倒れろ!」
後頭部を目がけて強烈な打撃を打ち込んだ。
──どさっ
「ああ! ジュニアさま!」
ジュニアが前に倒れたのを見てプリシラが立ち上がった。直後、
「勝者、オーウェン殿」
審判が対戦相手の勝ちを宣言する。
「うわぁ〜、負けちゃったね」とはシンシア。
「最後は惜しかったけど、ずっと押してたよね?」とはマリカだ。
負けたジュニアは、床に座り込んで応急手当てをしていた。自分で治癒霊術を施し、受けたダメージの回復を図っている。
「あ、ジュニアさまの敗者復活が決まりましたわ」
そこに上を見ていたダグマナが、トーナメント表の変更を報せてきた。
「次はどこでやるのかな?」
「えっと、会場の反対側ですわ。五戦あとですわね」
場所を確かめたダグマナが、席を立って移動しようとする。
移動する間も、次々と対戦が消化されていた。長期戦は少なく、ほとんどの対戦は一分以内に終わっている。
「勝者、オーウェン殿」
ジュニアの対戦を待つ間に、隣の闘技台で別の試合が終わった。
その声に顔を向けたダグマナが、
「先ほど、ジュニアさまに勝たれた方ですわ。お強いのですね」
ということに気づく。それにシンシアが、
「ジュニアさまが負けたのって、相手が強すぎたからだね」
と、能天気なことを言った。
「次の対戦、ジュニア殿とハーベイ殿」
「ジュニアさまの対戦が始まりますわ」
審判の呼び出しを聞いて、プリシラが闘技台に顔を向ける。
最初に台に登ったのは長槍を持った対戦相手だった。そのあとから、ジュニアが先ほどよりも大きな棍棒を持って上がってくる。
その二人が闘技台の中央で武器を構える。それを見た審判が、
「では、始め!」
と合図した。
「うがぁ〜〜〜〜〜っ!」
ジュニアが吠えた。その喉許を狙って、長槍が伸びてくる。
それをかわしたジュニアが、そのまま長槍に噛みついた。
──ばぎぃっ
次の瞬間、長槍が折れた。というか噛み砕かれた。
『……え?』
思わぬできごとに、見ていた侍女たちが固まった。侍女だけじゃない。対戦相手も目を丸くして、何が起きたのか理解できないでいる。
「おりゃぁ〜〜〜〜〜!」
──どっごぉ!
そこに棍棒が打ち込まれ、相手が台の上に倒された。
「勝者、ジュニア殿」
「おっしゃぁ〜っ!」
勝負はあっという間に終わった。
闘技台では勝ったジュニアが片腕を高く揚げている。それを、
「一瞬だったね」
シンシアが驚いた顔で見ていた。その隣ではダグマナが、
「これは夢ですわ。これは夢ですわ。これは絶対に悪い夢ですわ。……」
あまりの闘いぶりに精神崩壊を起こしかけている。
「ほう、あやつが勝つとはな」
そこへゼカリア候がやってきた。
『国王さま……』
「座ったままでよい」
立ち上がろうとした侍女たちを、ゼカリア候がすぐに制する。そして、その横に立ったまま、
「しかし品のない闘いだったな。城では武術の訓練はやっておるのか?」
ということを聞いてきた。
「いえ。ジュニアさまとは、体作りの特訓だけを……」
「プリシラには、それだけを頼んだからな。……で、あやつが城で武術の訓練をしているところを見たことがあるか? オレはまったく見てないのだが……」
「それは……。わたしも見たことが……」
プリシラが戸惑いながら、ゼカリア候の疑問に答えている。
「だろうな。あやつのことだ。身体を鍛えることだけに気が向いて、肝心の武術の訓練は何もしてなかったのだろう」
そう言う間、ゼカリア候はジュニアの動きを見ていた。そのジュニアは上空に浮かぶトーナメント表を見て、次の対戦を確認している。それによれば、次の対戦も同じ闘技台だ。それを自分の目でも確かめたゼカリア候が、
「それとプリシラ。おまえのやった体作りは武術のためのものか? それとも、ただ筋肉を太らせただけか?」
と質問を続けた。
「え? それは……、何のためかなんて考えてませんでした。どうやれば立派な筋肉をつけられるかと……」
「プリシラの言う『立派な筋肉』とは、どういうものだ? 力が出るものか? 長い時間でも闘えるものか? ケガをしないための柔軟なものか? それとも、芸術的な形のものか?」
「ええ〜? 違いなんてあるんですか? 筋肉をムキムキにすればいいのかなって……」
「はっはっはっ。そこまで頭がまわらなかったか。まあ、プリシラは軍事やスポーツの専門家ではないのだから、それは仕方ないな」
笑ったゼカリア候が、そう言いながらジュニアを目で追い続ける。
「プリシラ。あやつから、どんな身体にしたいか、希望はあったか?」
ふいに真顔に戻ったゼカリア候が、そんなことを聞いてきた。
「ジュニアさまの希望ですか? 相手を一撃で倒す打撃力をつけたいと……」
「それで、あの筋肉を……。プリシラは優秀だな。希望通りじゃないか」
そう言ったゼカリア候が、優しい目でプリシラを見る。そして、
「だが、それを望んだあやつは、やはりオレの息子だ。浅はかすぎる」
と自虐的に言った。そこへ、
「国王さま。そろそろお席の方へ……」
と側近が声をかけてくる。
「そうだな。……いや、息子の試合だけは見ていこう」
ジュニアが試合する闘技台では、前の対戦が行われていた。それに気づいたゼカリア候が、空いた席にどっかと腰を下ろす。
それと同時に、前の試合が終わった。負けた訓練生は台から落ちている。
「次はジュニアさまですか?」
「そうだ。これだけは見させてもらうぞ」
「御意。わかってございます」
側近が深々と頭を下げて、ゼカリア候の横に立ったまま控える。
「次の対戦。ジュニア殿とケーン殿」
台の上が手早くモップがけされ、審判が次の対戦者を呼び出した。
先に登ろうとするジュニアだったが、対戦者が桿棒で棒高跳びのように跳ねて、一足先に台の上に着地した。派手なパフォーマンスだ。
その対戦相手が桿棒を回して演武を見せ、最後に首を支点に天秤のように持って低く構える。
「うぬぬ」
それを見たジュニアが、不機嫌な顔になった。だが、張り合うように演武を見せようとはしない。右手で大きな棍棒を持って、肩をトントンとたたいている。
その二人に目配せした審判が、
「では、始め!」
と開始を宣言した。
「がぁぁぁ〜〜〜〜〜……」
棍棒を振り上げて、ジュニアが相手に迫った。
──がっ がっ ががっ
武具が激しくぶつかり合う。見た目にはジュニアが攻めてるが、相手は涼しそうな顔だ。
「あらよ!」
身体を沈めた相手が、足払いを仕掛けた。それがジュニアの膝の裏に入り、体勢を崩されて攻撃の手が止まる。
「あれ? あっさり入ったか」
相手はそこを突いてこなかった。というより足払いが利くとは思わなかったのか、次の攻撃を用意してなかった。
「う〜ん。こりゃ、やり直しだな」
すぐにジュニアから距離を取り、改めて桿棒を構え直す。
「さあ、おいで……」
右手で桿棒を持つ相手が、左の手のひらを上に向けてジュニアを誘った。
最初のやり取りで、ジュニアの技量がわかったようだ。
「こいつ、なめやがって……」
一方でジュニアは、相手の態度に顔を真っ赤にしていた。挑発に乗りやすいようだ。
「覚悟せいやぁ〜!」
ジュニアが吠えて、相手に打ち込んでいった。
それを相手は桿棒をまわして、軽やかにかわしている。
「うわぁ、ジュニアさま。ダメだよ」とはシンシア。
闇雲に打ち込むジュニアと、優雅に舞う対戦者。観戦者の目からも、もう二人の技量差は明らかだった。
「さすがに国王さまの前で、ジュニアさまを打ちのめすのはねぇ……」
相手には、そんなことを考える余裕すらあった。それどころか観戦席にいるゼカリア候に気づくほど、周りが見えていた。その対戦相手が、
「おや? もう息が上がってるのか? 見た目の割に体力がないねぇ」
ジュニアの打撃力が、急速に落ちてきているのに気づいた。
「これは長引かせるのは可哀想だねぇ」
などと言って、闘い方を変えてくる。
「なんだと?」
「しゃべるな。舌を噛むぞ!」
そう警告した直後、対戦相手が厚い胸板を突いてきた。
「あ、ジュニアさま!」
ジュニアの動きが止まったのを見て、プリシラが立ち上がった。
「……あが…………」
ジュニアの呼吸が止まっている。これと同じことが、二回戦の相手にもやられていた。
「思った通り、ダメ筋じゃないか!」
直後、相手が棍棒を振りまわし、ジュニアの後頭部に打ち込んでくる。二回戦とまったく同じ負け方だ。
「勝者、ケーン殿!」
審判が相手の勝ちを宣言した。
「まったく、不甲斐ない負け方をしたものだ」
試合を最後まで見たゼカリア候が、そう毒突きながら立ち上がる。
「ああ、そうだプリシラ」
立ち上がったところで、ゼカリア候がそう言ってきた。
「あやつの見た目の筋肉はすごいが、あれでは筋肉にムダなエネルギーを使われて、すぐに息が上がるぞ。それに固い筋肉は意外と打たれ弱く、ケガもしやすいのだ。打撃力ばかりに目が行って、持久力と防御力を忘れていたようだな」
そう言うと、ゼカリア候が背中を向けた。そして頭を下げる側近の前を通り、
「勉強ばかりして学力は高いが、目先ばかり見て考えが浅い。さすがはオレの息子だ」
と笑いながら、本戦で使う貴賓席へと向かっていく。
それを聞いたプリシラが、
「あたし、ジュニアさまの筋肉作り、間違えたのかな?」
と、仲間の侍女たちに尋ねた。それにすぐにダグマナが、
「大間違いですわ! あんなに素敵だったジュニアさまを、あんな筋肉お化けに……」
と否定してくる。それにはマリカも「うんうん」と同意していた。
もっとも、それを聞いたシンシアは、
「そうかなぁ? あたしは今の方が……」
などとつぶやいている。
このあたり、好みは十人十色といったところだろう。
で、敗者復活戦でも負けたジュニアは、
「下士官第三位……。士官になれなかったか……」
卒業前に退学処分される最悪な結果にはならなかった。だが、卒業式で与えられたのは士官──小隊長ではなく、下士官、それも上から三番目──伍長に相当する階級だった。
それで士官になれなかったジュニアは、お城に帰ると王家の洗面室にこもっている。そして大鏡の前で上着を脱ぎ、ジーッと鏡を見詰めていた。
「プリシラ。ジュニアさまは?」
その部屋の前で聞き耳を立てるプリシラのところへ、三人の侍女たちが駆けてきた。失意のジュニアが、洗面室にこもったと聞いたのだ。
「ジュニアさま、お部屋じゃなくて、どうして洗面室に……」
「さあ、それはジュニアさまに聞いてみないと……」
プリシラがドアに耳を当てたまま、シンシアの疑問に答える。
「それで、ジュニアさまは中で何をされてますの?」
「さっき水の音がしたけど、今は静かよ。物に当たってもいないわね」
「それは心配ですわね」
答えを聞いたダグマナも、プリシラのようにドアに耳を当てる。
「……ん、何の音かな? ジョリジョリって……」
一番下で耳を当てるシンシアが、そんなことを言った。
「シンシア、耳がいいですわね。何も聞こえませんわ」
「何か洗ってるのかな? 水の音が……」
マリカがチャプッという音を聞いた。だがマグダナは聞き漏らしたのか、しっかり聞こうとドアに頬まで張りつけている。
「ジュニアさま、中で何をされてるのかな? どうやってお慰めしようか、ずっと考えていたのに……」
プリシラは事前に国王から、ジュニアが士官になれなかったことを聞いていた。そのため帰ってきたらどうやって声をかけようか、ずっと考えていたのだ。
ところが帰ってきたジュニアは、プリシラが声をかける前に洗面室にこもってしまった。そのため状況がわからず、戸惑っているのである。
『うむ。こんなところか。残ってたらプリシラに頼むか……』
そのプリシラの耳に、中からそんな声が届いた。それに「何を?」と思うプリシラの耳に、水の流れる音が聞こえてくる。
「あ、出てくる」
足音が近づいてくるのを察知して、シンシアがドアから離れた。それに倣って、他の侍女たちもドアから離れて廊下の後ろに下がる。
その侍女たちの前で、洗面室のドアが開いた。
「…………え? ジュニア……さま?」
出てきたジュニアの姿を見て、プリシラが目を疑った。その隣では、
「ジュ、ジュニアさまが……」
と言ったダグマナが、その場で泡を吹いて倒れている。
「こ、恐い……」
と零したマリカは、卒倒しないまでも顔が真っ青だ。完全に恐怖を覚えている。
その理由は、
「おお〜、見事に丸めたねぇ。頭……」
シンシアが言ったように、洗面室から出てきたジュニアは、頭をツルツルに剃っていた。しかも着忘れたのか、上半身がはだけたままである。
それを見るシンシアには、それほど驚いた様子は見られない。そのシンシアが、
「どうしたの? 学校を卒業したから、気分を一新したいの?」
などと、頭を丸めた理由を聞いてきた。
「親父との約束だ。士官になれなかったら、頭を丸めると言ったからな」
それにジュニアが、やや不機嫌そうな声で答えた。そして持ってきたカミソリを、
「プリシラ。剃り残しがあったら、剃ってくれないか」
と頼んで、プリシラに渡す。
「約束したから剃ったのですか? それは律義ですね」
カミソリを受け取ったプリシラは、呆気に取られた顔をしていた。
そのプリシラが作業しやすいようにと、ジュニアがその場で両膝を突く。それで低くなったジュニアの頭を、
「アハハ。見事にツルツルだね」
と、シンシアが楽しそうに触ってきた。シンシアは小柄なため、これでもわずかにジュニアの背の方が高い。
「シンシア。そんなになでるな!」
「アハハ。まあまあ、いいじゃないの」
シンシア楽しそうにしていた。そのシンシアがジュニアの前に立って、
「でも、頭を丸めたジュニアさまのお顔って、なんかマヌケだね。見映えをよくするために、ヒゲがこんな感じで欲しいかも」
と言いながら、両手の指でジュニアの鼻の下を払うようになぞる。
「ヒゲ? あった方がいいか?」
「あたしは、あった方がカッコイイと思う」
「そうか? じゃあ、ヒゲを伸ばすようにしよう」
シンシアはゲテモノ好きだったのかもしれない。
その間、カミソリを預けられたプリシラは、剃り残しを探していた。そして、左耳の後ろにわずかな剃り残しを見つけ、ジョリっと剃り落とす。
「……ぷっ。ジュニアさま、おかしすぎます……」
そのプリシラが、急にお腹を抱えて笑い出した。
「それでジュニアさま。いつまで頭を丸めるおつもりで?」
「それも親父との約束で、士官になるまでだ。ふん、すぐに伸ばしてくれるわ」
プリシラが剃り終わったと見て、ジュニアが立ち上がった。
それを壁に張りついたまま見ていたマリカは、
「ないわぁ〜。あれは絶対にないわぁ〜……」
まだ精神的に立ち直れないでいる。
そして床に倒れたダグマナも、今も白目を剥いて意識が戻ってなかった。