ジュニアさまは体力不足
「お〜い。ここは卒業試験に出るからな。寝ないでちゃんと聞けよぉ〜」
士官学校で教えてるのは戦闘訓練だけではない。将来、士官となって軍隊を指揮するために必要な知識を教える授業もある。
とはいえ、日ごろ厳しい訓練を受けている訓練生たちには、この座学は疲れた身体を休める貴重な時間だ。ほとんどの訓練生たちにとって、爆睡する時間でもある。
「いたたたた……」
その授業中、ジュニアは筋肉痛に苦しんでいた。
それに気づいた後ろの席の同期生が、
「おい、ジュニア。どうしたんだ?」
と言って、ジュニアの背中を指で突っついた。それが痛みとなって、背中全体へ広がっていく。
「ひぃ〜っ! やめてくれ。今、筋肉痛なんだ……」
「筋肉痛? おまえが? それは珍しいな」
ジュニアの反応を見て、同期生が意外そうな表情を浮かべた。
「親父に身体を鍛えろと言われて……、それで監視役が張り切りすぎて……」
「何を言ってるか、さっぱりわからん」
ジュニアの要領を得ない言葉に、同期生があきれた顔をする。その彼が、
「まあ、あの国王さまだからなあ……。おまえも大変だな」
と言って、ジュニアの肩をポンとたたく。直後、
「やめてくれと言っただろ……」
またジュニアの身体に痛みが広がっていった。
その様子を教卓から見ている講師が、大きな溜め息を吐いている。
その監視役を任されたプリシラは、
「いいなあ。ジュニアさまと二人っきりだなんて……」
「あ〜ん、どうしてわたし、プリシラに庭掃除を押しつけてしまいましたの?」
「そりゃあ、外に出るなんて、かったるいもんねぇ」
仲間の侍女たちから、うらやましがられていた。
そのプリシラたちは大きな寝室の掃除中だ。プリシラは窓にかかったままのカーテンを、霊術を使って丸洗いしている。
「それで、何かありました? その、男と女の……」
「あるわけないでしょ。ジュニアさまって、そういうのが苦手みたいで……」
カーテンのシワを伸ばしながら、プリシラが否定した。そのプリシラに、
「で、二人っきりで何してんの?」
「そうそう。昨日も汗たっぷり掻いて戻ってきたじゃないの。気になるわぁ〜」
侍女たちが仕事の手を休めて迫ってくる。
「何って、一緒に運動してるだけよ。走り込みでジュニアさまがサボって飛ばないように一緒にお城のまわりを一周して、そのあと一時間ほど筋トレを……」
と答えたところで、プリシラの表情が暗くなる。そのプリシラの口から、
「……でもさ、ジュニアさまの体力不足は何? 本当はもっと長く一緒にいたいわよ。これほどの玉の輿のチャンスは、そうそうないもの……。だけど、お城のまわりを一周も走れない、筋トレも一〇分でへばって動けないって……。あれじゃあ倒れないあたしが体力バカみたいじゃないの……。っていうか、あれでよく士官学校に通えてると思うわ……」
と、黒い感情が駄々漏れてきた。ちなみにお城の一周は三キロもない。
それを聞かされた侍女たちが、一様にかけるべき言葉を失っていた。
「それはそうと、体力をつけたジュニアさまって、見てみたいよね」
沈黙をやぶって、一番小柄な侍女がそんなことを言ってきた。
「そうね。今の線の細いジュニアさまも捨てがたいけど、筋肉がついたら……」
「きっと今以上に精悍なお姿になるわ」
「しかも目がお綺麗で、睫毛も長くていらっしゃるから……」
「きゃあ〜。それは是非とも見てみたいわ!」
侍女たちが鍛えられた体つきになったジュニアを想像して盛り上がる。
その一方でダークサイドに落ちたプリシラは、
「ジュニアさまが休まずお城を三周できるまでに、あたしは何百周お城をまわってるのかしらねぇ〜。あはは……」
他の侍女たちのように色恋沙汰にうつつを抜かせない心境に追い込まれていた。
「プ、プリシラ……。少し休ませてくれ……」
士官学校から帰ってきたジュニアは、さっそく運動着に着替えてプリシラと運動するハメになっていた。今はお城をまわる走り込みだ。だが、
「もう……ですか? まだ五分の一も走ってないのに……」
「身体中が痛い上に、今日は遠距離移動の訓練があって、体力が……」
すでにジュニアのアゴが上がっている。
「遠距離というのは、走って……ですか?」
「いや、飛行だ。オレは体力はないけど、霊力には自信があるんだ……」
「……そういうことですか。体力のないジュニアさまが、士官学校でやっていけてる理由って……」
「格闘戦は無理でも、霊光弾を使った長距離の撃ち合いなら、先輩たちにも十分に張り合えてる」
などと話してる間にも、ジュニアの走る速度は歩く程度まで落ちている。
「士官学校へ入ってくるのは、ほとんど体力に自信があるヤツばかりだ……。それに霊力が強いヤツは、得意な属性によって気象精霊や天文精霊、運脈精霊の自然系へ進むから……、オレみたいに霊力の強いヤツは重宝されてる……はず……」
そこまで言ったところで、ジュニアの足が完全に止まった。
「……ああ、ダメだ。今日は霊力も尽きてる……」
「しっかりしてくださいよ……。もう……」
動けなくなったジュニアを見て、プリシラがあきれた。
「ジュニアさまがどんなに霊力があっても、それを支える体力がないと、いつかお体を壊しますよ」
「もう壊されてるよ。今もプリシラに……」
ぜーぜーと息を切らせながら、ジュニアが憎まれ口をたたいた。
そのジュニアが少しだけ身体を起こして、一歩、二歩と前に進む。それを見たプリシラが、クスッと笑みを漏らした。
「でも、意外です。イヤなら逃げちゃえばいいのに、ジュニアさまは逃げないんですね。今だって文句を言いながらも、前に進もうとしてて……」
「オレは負けず嫌いなんだよ。男のオレがプリシラに体力で負けてるなんて……、冗談じゃない」
ジュニアが怨めしそうな目でプリシラを見て、また前に一歩進む。
「最初は適当にやってサボるつもりだったのに、ここまで体力差を見せつけられるとサボってられやしねえ」
不満を言いながら、またジュニアが一歩進んだ。
「えっと……、もしかして、あたしを体力のバケモノだと思ってます?」
「思ってねえよ。プリシラはごくフツーの女だろ。だから、余計に悔しいんだ」
ジュニアにそう言われて、プリシラがホッと胸をなで下ろす。それで少し調子に乗ったのか、
「よ〜し。じゃあ、今日はあたしがジュニアさまを押して、お城を一周しますよ。押されたくなかったら、ガンバって走ってくださいね」
と言って、ジュニアの背中を押して走り出した。
「あ、コイツ。これをやられると、オレが屈辱を感じると気づいて……」
押されるジュニアが、そんなことを言った。
「え? そうだったんですか? それは、なんか楽しいかも」
「オレは楽しくねえ!」
ムリヤリ走らされるジュニアが、文句を返した。
その様子を、お城の廊下から侍女たちが見ていた。
「何ですの、あれ?」
「ジュニアさまと、あんなことを……。なんてうらやましい……」
侍女たちの目には、二人の様子がキャッキャウフフにしか見えてないようだ。
「これは国王さまに頼んで、交代制にするべきだと思うわ」
「……ん? 何が交代制だって?」
そこへタイミングよく、ゼカリア候が通りかかった。そのゼカリア候に、
「あれです。あれ!」
と答えた侍女の一人が、お城の外を走る二人を指差した。それを見て、
「おお、ちゃんとやっておるな。プリシラに任せて正解だったか。関心関心」
ゼカリア候が目を細める。そのゼカリア候に、もっとも小柄な侍女が、
「国王さまは、お二人の仲をお認めになったのですか?」
と尋ねた。
「二人の仲? あれはジュニアがちゃんと身体を鍛えるように、お守りを任せただけだが……」
「でしたら、わたしたちが手伝ってもいいのですか? 交代制とか……」
「交代制?」
続いて背丈のある侍女の質問に、ゼカリア候が「ん?」と思う。
「おぬしらは、ナトバ卿と経済庁長官の孫と、たしか隣国の末姫……」
集まっていたのはプリシラと同様、侍女として預かった貴族の娘たちだ。
ただし本当に奉公させられてるのはプリシラだけ。ここにいる三人は社会勉強や婿探しの一環として働いているのである。
そんな侍女たちを見たゼカリア候が、
「交代制などと面倒なことをせず、一緒に走ってくればいいじゃないか」
と簡単に言う。
「おっしゃあ、国王さまの許可が出たわよ!」
「わたしたちもジュニアさまの体力作りに協力ですわ」
許可をもらってしまえば善は急げ。侍女たちが運動着に着替えようと廊下を駆け出していく。
その侍女たちを見送るゼカリア候は、
「ふむ。あやつの嫁問題は心配なさそうだな。誰を選んでも姉さん女房になるが……」
などと思っていた。
「お〜い。ジュニアさま〜!」
ジュニアとプリシラがお城を半分ほどまわった頃、運動着に着替えた侍女たちが二人に追いついてきた。三人は飛んで追いつくのではなく、ちゃんと準備運動を兼ねて走って追いかけてきている。
「え、なんで?」
「国王さまの許可をもらったから、今日からあたしたちも一緒よ」
驚くプリシラに、もっとも小柄な侍女が答えた。
「ゔ……。ダグマナ姫……。あなたも走ってきたのか?」
一緒に振り返ったジュニアが、長身の侍女の姿に驚いた。彼女は隣国の末姫だ。
「はい。それが何か?」
ダグマナが不思議そうな顔で聞き返した。そこに小柄な侍女が、
「あはは。山育ちを舐めるな!」
と、元気な声で言ってくる。
「シンシアも……」
「あたしらは領地の害獣駆除で、小さい頃から親と一緒に狩りで駆けまわってるからね。体力ならそこらのメイドにも負けないよ」
シンシアは国内の有力貴族──ナトバ卿の孫娘だ。
その彼女の言う狩りは山に住む貴族にとって趣味であるとともに、領地内の農作物に害獣被害を出さないための重要な仕事である。その狩りについていって野山を駆けまわっているのだから、彼女たちに体力がつくのも当然だ。
「このお城は湿地の真ん中にあるから、狩りの必要なんかないからね。ジュニアさまに体力がないのも、わかる気がするよ」
「マリカまで……」
三人目は有力政治家──経済庁長官の孫娘だ。
このマリカだけは二人と違って肩で息をしていた。二人ほど体力はないようだ。
それでも、
「男のオレが一番体力がないって……。情けなくなってきたぞ」
動けなくなったジュニアよりも体力があるのは間違いなさそうだ。
「ま、負けてなるものかぁ〜……」
負けず嫌いのジュニアの心に火がついた。だが、
「あ……」
──コテン
足がもつれて、ぶざまに転がる醜態をさらしている。
「あの〜、大丈夫ですか?」
プリシラがそう聞いて、ジュニアの隣にしゃがみ込んだ。
「体力を回復できる霊術って、あったっけ?」とはシンシア。
「お酒を持ってきた方がいいのかしら?」と言ったのはダグマナ。
「やめなさいって。それで運動したら早く酔いがまわるだけよ」とはマリカだ。
それを転がったまま聞かされたジュニアは、余計に情けない気持ちを味わわされている。
「ジュニアさま。悔しかったら、早く体力をつけないと」
「わかっておるわっ!」
プリシラに言われて、ジュニアが起き上がろうとした。だが、今のジュニアの疲れは、気持ちでどうにかなるレベルではなかった。立ち上がろうとすると膝がガクガクと震え出して、またぶざまに尻もちを突いてしまう。
「ほら、ジュニアさま。しっかりしてよ」
小柄なシンシアが、微笑みながら右手を出した。
「また倒れそうになったら、支えてあげるからさ」
マリカが左腕に抱きついて、そんなことを言う。
「では、わたしは反対側を……」
ちゃっかりと右肩に触れてきたのはダグマナだ。
それにムッとしたプリシラが、
「ジュニアさま。あと半周、いきますよ」
と言って、立ち上がったジュニアの背中を押して走り始める。
「ジュニアさま。手を抜いて浮いちゃダメだよ」
シンシアは右手をつかんだまま、引っ張るように後ろ向きに走っている。
その様子は、見かけた者には微笑ましい光景だった。
だが、当のジュニアには、
「これは末代までの恥だ……」
とても受け入れがたい状況となっていた。