第九十六話 遭遇
フローティアの北方に位置する霊峰アルトヒルン。
この近辺では例外的に、上級までもが発生するほどの濃度の瘴気が漂う危険地帯。
フローティアの水源であることから、領主様の許可を得ない限り冒険者の立ち入りは禁じられている。
「――ッセェイャ!」
そんなアルトヒルンの中腹で、気合の声とともにアシュリーが大剣を振るった。赤熱した刃がフロストオーガを袈裟懸けに切り裂き、その巨体を二つに分ける。
斬ると同時に傷口を焼いているため、少し焦げ臭い匂いが漂い……そうしていくつもしないうちに、オーガの体は瘴気へと還る。
「っふ、う。どうでしょうか、師匠」
「……うん、実戦の中でもそれだけ振れるのであれば、問題ない」
敵を倒したアシュリーがリカルドさんへと振り向き、リカルドさんは一つ頷いた。
「ほへー、一対一とはいえ、鮮やかですねえ」
「ああ。剣の腕自体はそう負けてないんだけど……俺じゃああそこまであっさりオーガにゃ勝てないな。なにが違うんだ?」
それを遠巻きで見ていたシリルが感嘆の声を上げ、ジェンドも同意しつつ疑問を抱く。
技の確認をしながらも、ほんの三分足らずで倒してのけたのだ。実際見事な手腕である。これが訓練の仕上げではなく実戦であれば、一刀の元に断ち切っていたことだろう。
「修行の成果を確認する……なんて名目だったから、怪我をしたらどうしようかと考えていたけれど。その心配はなさそうだね」
フェリスもほっと一息つく。
……本日は、リカルドさんからの指名クエスト。『弟子の仕上がりを確認すべく、アルトヒルンへ同行し露払いを務めていただきたい』という依頼の元、僕達パーティはアルトヒルンに来ているのだ。
アシュリーはこの山への立ち入りの許可を持っていなかったが、リカルドさんが領主様に今日一日限りという条件で許可をもらってきていた。
職権乱用……という話ではない。手続き上、冒険者は誰でも立ち入り許可をもらう申請自体はできる。
普通は実績も信頼もない余所者の冒険者が即日もらえるものではないが、数十年も領軍に奉職し、領主様の信頼厚い兵士長の後ろ盾があれば容易いことである。
と、その師弟がこちらに戻ってきた。
「やあ、すみません、ヘンリーさん方。他のオーガや雪狼の相手をしてくれたおかげで、不肖の弟子も存分に今日までの訓練の成果を試すことができたようです」
「俺からも、ありがとう。特にジェンド、チラっと見たけど、随分と冒険者としても様になってるじゃないか。……勇士のヘンリーは当たり前だけど、他のみんなもその年で随分な腕だ」
ジェンドが軽く照れ笑いを漏らす。
他のみんなも満更ではなさそうだ。
「コラ、アシュリー。折角クエストでお願いしたんだ。目の前の相手に集中しないと」
「師匠、そいつは違いますよ。道場での尋常な勝負じゃないんだ。戦っててもある程度周りを見てないと、いつの間にか孤立して死ぬかもしれないし、他がピンチの時のフォローにも行けない」
あー、うん。そこはアシュリーの言う通り。
道場剣法と実戦は違うし、もっと言うと軍隊と冒険者の戦いも随分違う。
「特にオーガは力任せの戦法の魔物ですので。力は全力ですが、他に意識を向けることもできるってわけです」
「……ふむ、成程。いえ、失礼しました。先程の言葉は撤回します、アシュリー。門外漢が的外れなことを言いました」
「いえ」
武人として、兵士長としての経験は豊富なリカルドさんだが、冒険者として活動したことはあまりないのだろう。あっさりと前言を撤回する。
「ああ、ちなみにジェンド。さっき、アシュリーが簡単にオーガ倒してるの不思議がってたけど。今アシュリーが言った辺りな、理由は」
「? どういうこった」
「要は目の配り方っつーか。お前、どの魔物相手でも全然油断しないで慎重にやってんだけど……ある程度慣れとか知識が増えりゃ、どこを警戒してどこを放置していいかコツがわかってくんだ」
小難しいことを取っ払って安直に言うと、魔物との戦いの経験値の差である。ブッ殺し慣れ、と言い換えてもいい。
まあ、これは色んな魔物を倒すうちに自然と身に付くことだ。
「……成程。叢雲流の心得にも通じるところがありますね」
「『首一つ刈ると次の首はもっと上手く刈れる』ってやつか」
「アゲハ姉の曲解が酷いですが、そういうことです」
「ふーん。……仰ることはわかりますが、どーもよくわかりませんねえ」
ティオはすんなりと理解してくれたようだが、シリルは全然ピンと来ていない様子だった。
まあ、武器持って丁々発止する前衛と後ろからブッパする魔法使いとでは、その辺の感覚も違うかあ。
「ふふ、その辺りは冒険者も一介の武芸者もあまり変わりませんな。ええ、まさに今日このクエストをお願いしたのもそれが理由でして。いくら棒振りが上手くとも、剣術は相手をぶった斬ってナンボ。肉を断ち切る感覚に慣れなくては」
リカルドさんがちょっと物騒な言い方で同意する。
なんかこう、その、今までちらちら聞いたリカルドさんの遍歴から考えて、すこーし疑念があるのだが、
「あの、リカルドさん。その『相手』ってもしかして……」
「……勿論、魔物のことですよ。特にオーガのように四肢がついている魔物は『試し』に最適ですからな」
ねえ、それ誤魔化そうとしてんの!? オーガが『試し』ってことは、リカルドさんの想定する『本番』ってなに!?
つ、追求したらいらんことを知ってしまいそうだ。つい口をついてしまったが、気付かないフリをしとこう。
……まあ、僕も人を相手にしたことがないわけではない。そっちが本番とは露ほども思っていないけど。
「さ、まだ始まったばかり。申し訳ありませんが、もう四、五回ほど付き合っていただけませんか? ……可能であれば、ジェンドの方も見させていただきたいですし」
「はい、提示してもらった報酬は十分ですし、勿論お付き合いいたしますよ」
さて、とりあえず次のオーガ探すか。
あれから。
ティオの索敵もあって、都合八体のオーガを火神一刀流の弟子達は一対一で相手をすることになった。
アシュリーが五、ジェンドが三。リカルドさんの『試し』という言葉に偽りはなく、この数日で教わった技術を存分に試していた。
日もだいぶ傾いてきたし、もう少ししたら引き上げる時間だ。
「……はあ。やはり体力だけは如何ともし難い。見ているだけだと言うのに、山歩きだけで少々疲れましたな」
リカルドさんがどこか自嘲するように呟く。リカルドさんが弟子の随行に僕達を指名したのはこういう面もあってのことだ。もっと若い頃であれば、弟子達の露払いくらい自分でやっていただろう。
「そろそろラストですかね。折角なんで、大物引っ張ってきましょうか」
「大物?」
「ええ。ちょっくら上層まで行って、巨人辺りを引っ掛けてきます。この辺りで待っててもらえると」
うむ、訓練の仕上げには丁度良かろう。
「……前言ってたあれか。マジでやるんだな、ヘンリー」
「まあ。こいつらが上級上位を倒せるようになりゃ、僕にとっても色々助かるからな」
ちょっと複雑そうな顔のアシュリーに答える。
ま、少々ズルっぽい印象は否めないか。
「いや、悪い。俺が文句を言う筋でもないな」
「ああ、うん。じゃ、行ってくる」
そうして、僕は上層に向かって走り出す。
「ヘンリーさん。頑張ってくださーい」
あいよー、と手を振ってシリルに応える。
……とは言え、オーガを探しているうちにかなり上の方まで来ていた。
軽く数分走るだけで、上層に到着する。
別に明確な境界線があるわけではないが、万年雪が降り積もっている辺りからが上層だ。気温が一気に下がり、氷瘴領域の名に恥じぬ寒波が襲ってくる。
「《火》……っと」
身体強化のおかげで凍えるほどではないが、動きが鈍るのも嫌なので火の魔導を使用した。
しっかし、相変わらずだが、この雪のせいで索敵も面倒だなあ。足跡とか見つかればいいのだが、すぐに風にさらされて消えてしまうし……とりあえず、雪の少ない方へ向かって、
「……あん?」
のそり、と。
僕がどう巨人を探そうか考えていると、近くの山肌がこんもりと盛り上がった。
巨大な雪の塊が立ち上がった……そのような印象をまず受けていると、『それ』が身を震わせて体に付いた雪を振り払う。
現れたのは、青い鱗、金色の瞳、節くれ立った翼に凶悪な顎を持つ、巨人より更に巨大な一頭の魔物。
数ある魔物の中でも、最上級を除けば頂点に位置するモノ。数々の英雄譚で、必ずと言っていいほど強大な敵として立ちはだかる、暴力の象徴。
……ドラゴン。
「……グル」
そいつは、自分の眠りを妨げたちっぽけな存在――つまり僕にその眼光を向ける。閉じた口の端から、煙のようなものが漏れ出て――って、まずっ!?
「ブハァーー!!」
竜の吐息。ドラゴンの代名詞的な必殺の一撃。
アイスドラゴンの放つ凍結のブレスの範囲外に、僕は慌てて逃れた。
直撃は逃れたが、着弾の衝撃に僕は雪の上をゴロゴロと転がる。直撃していたら、防寒用の《火》の上からでも全身凍傷だったが……調子乗んなよ!
「《火》+《強化》+《強化》!」
腰の如意天槍を引き抜き、魔導を込めながら伸長。立ち上がると同時にぶん投げた。ついでに分裂も!
「ガァァァ!」
竜の鱗を貫き、十本に分かたれた如意天槍がぶっ刺さる……が、ドラゴンの体は鱗も固いが、肉も信じられないほど強靭で、貫通とはいかない。
槍を引き戻して、チッ、と舌打ちする。
……竜は、個体性能でいえば巨人など足元にも及ばない強さを誇る。
縄張り意識が異常に高く、群れることが一切ない。知能面では獣に近い。『魔境』の作成もやや不得手……といった理由で巨人と同ランクに位置しているが、正面切っての戦闘だと厄介さは段違いだ。
数百年単位で生き延び、瘴気を溜め込んだ個体はエルダーと呼ばれ、最上級に認定されることすらある。
そのうち狩ってみたかったが、こういう突発的な遭遇は勘弁して欲しかった。
……槍のダメージで、本格的にこちらを敵と見定めたドラゴンが睨んでくる。ちなみにそのダメージも秒ごとに回復していっている。
「ふう……」
向こうがこっちの様子を伺っている隙に、ポーチから能力増強ポーションを取り出し、飲み干していった。
「グゥルォアアアア!」
――三本目を飲んだところでドラゴンが飛びかかってくる。
さて……ちっとハードだけど、やるか!




