第九十五話 将棋
さて、今日も今日とて午前中はリカルドさんちで汗を流した。
そして午後はフォルテとポールを誘ってリシュウ式チェスである将棋をやることにした。今日は体力が少し残っていたジェンドとアシュリーも加わり、総当たり戦だ。
熊の酒樽亭の一角を、むさ苦しい男冒険者五人で占領するのはちょっと気が引けたが、他の客が少ない時間帯だし、沢山注文したのだから勘弁していただきたい。
で、対戦。まあ、僕以外は駒の動かし方を今日覚えたというレベルなので、当然のように連戦連勝。流石に賭けは初心者なので断られたが、昨日の負けの記憶を払拭し、僕は大いに溜飲を下げた。
「っていうか、大人気ねえよ、ヘンリー」
「このルールブックによると、熟練者が初心者を相手にする時は駒落ち、というのをするとあるんですが」
ポールとフォルテが文句を言ってくるが、悪いが聞く耳持たん。ていうか、駒落ちってやったことないから下手したら負けそうだし。
「昨日ポーカーで散々負けたんだ。まあ、ちょっと僕に有利な勝負でもいいだろ」
「ちょっと……?」
「まあまあ、いいじゃないか。それより、二位決定戦の方だよ」
今は最後の対局であるジェンド対アシュリー戦である。これに勝ったほうが二位だ。
「……ジェンド。その手待った」
「アシュリー兄、もう二回待ったしたよな。これ以上は駄目だ」
「チッ。……玉、こっちに逃がす」
「なら、俺は、っと」
なお、最初は互角の勝負だったが、中盤にジェンドが王手飛車取りを仕掛けたところから形勢は逆転。今は首の皮一枚でアシュリーが詰みから逃れる展開となっている。
えーと、ジェンドの持ち駒とアシュリーの持ち駒からして……多分逆転は無理だな。ジェンドはよっぽど失敗しなければ、後四手で詰みまで持っていけるはず。
と、予想を立てていると、熊の酒樽亭の入り口が開く。
この時間の客は割と珍しい……と視線を向けてみると、
「あ、ヘンリーさん達。今日はここで遊んでるんですか」
「やあ、ジェンド、ヘンリーさんにアシュリーさん。そちらは噂のアシュリーさんのお仲間ですか?」
「どうも」
我らがパーティの仲間三人がいた。
三人は普段着ではなく、冒険用の装備を身に着けている。
「あれ? 今日冒険に出かけてたのか」
「はい。ヘンリーさんとジェンドは訓練とかで参加できないそうですけど、あまり冒険の間を置くと勘が鈍っちゃいますし。これも冒険者としての心掛けってやつですよ」
あー、それもそうか。
しかしシリルも熱心だねえ。まあ、冒険者としてのモチベーションは高いやつだしな。
「……シリルさん。それ、私の言ったことそのまんまじゃないですか」
「あ、いや、その。私も、おんなじこと思っていたってことです」
「昨日私が誘った時、明日はお菓子巡りの予定が~とか言ってませんでした?」
ティオの指摘に、さっとシリルが視線を逸らす。……余計な見栄張んなよ。
「なにを狩ってきたんだ?」
「ああ、流石に二人がいないときにアルトヒルンに行くのはちょっと危ないからね。フローティアの森で、グリフォンをやってきた」
ジェンドの質問にフェリスが答える。
グリフォンであればこの三人なら危なげなく狩れるだろう。流石にいつもの感覚でアルトヒルン中層とか行ってたら注意しないといけないところだったが、僕が心配するまでもなかったか。
「……おい、ヘンリー、おい」
「あん?」
ポールがちょいちょいと背中をつついてくる。
「なんだよ」
「……お前んとこのパーティ、三人も女がいるのか。子供二人はともかく、あのねーちゃんはすげえ美人だな」
あ、シリルもナチュラルに子供扱いされてる。
身長は低いし胸もないが、一応成人してそろそろ一年経つんだけどなあ。一月生まれつってたし。
「あっちのフェリスはジェンドの恋人な。口説くなよ」
ポールはそれを聞いて、がっくりと落ち込んだ。
「マジかー。あ~、惜しいなあ。俺、すげえタイプなのに」
「ちなみにシリル……あっちの魔導士風の子は一応成人してるぞ。子供って言うとすぐ怒るから気ぃ付けてくれ」
「へえ、そうなのか? ……うーん、でも、三年後に期待だな」
勝手な寸評してら。まあいいけど……想像するだけなら。
「あ、ティオにシリルさん、フェリスさん。いらっしゃい」
人の増えた声に、奥に引っ込んでいたラナちゃんが出てくる。
「ティオ、お茶でもしにきたの?」
「ううん、違う。ラナ、熊の酒樽亭からクエスト出してたでしょ? 猪獲ってきて欲しいってやつ」
「あ、うん。久し振りにここの猪料理食べたいってお客さんが多くて」
今は引退しているが、ティオの祖父がフローティアの森で狩りをしていた頃、馴染みのこの店にたまに猪や野兎の類を持ち込んでいた。
特に、野趣溢れる猪肉のローストは隠れた人気を誇り、メニューに並んだ日は常連さんが我先にと注文していたのだ。僕は数回しか食ったことないが、滅法美味かったのを覚えている。
「冒険に行く前、それ見かけたから。ちょっと時間取って狩ってきたよ。熟成させる必要はあるけど」
「わあ、ありがとう」
うん、とティオはラナちゃんのお礼に頷き、肩掛け鞄をごそごそする。
ティオが鞄から手を引き抜くと、にゅ、と明らかに鞄の容量を超えるデカさの麻袋が出てきた。
袋から見事に切り分けられた猪肉を取り出し、ティオは合わせて取り出した布の上に並べる。……流石、お爺さんの狩りの手伝いを幼少からしていただけあって、大物にも関わらず見事な捌き方だ。
「確認、お願い。血抜きとかは抜かりなくやったけど」
「あ、うん。お父さん呼んでくるね」
おとーさーん、と、ラナちゃんが厨房にノルドさんを呼びに行った。
ふむ、さて。……熟成期間はあるが、これは僕も久し振りに猪のローストを味わえるかね。
と、期待に胸を膨らませていると、アシュリーが話しかけてきた。
「なあ、ヘンリー。あの子の持ってる鞄ってもしかして」
「……ああ。『容量拡張』の神器だ。しかも『不壊』付き」
「す、すげえな」
いつも使わせてもらっているので感覚が麻痺していたが、アシュリーがこう言うように、『容量拡張』付きの神器はどの冒険者にとっても垂涎の品だ。荷物のことを気にしなくていいという利点は、何ものにも代えがたい。
ポールとフォルテも物欲しそうに見ている。
まあそんな目でみても、神器なので引いた本人以外使えないんだけどな。
……引き抜きとかされないよう気をつけよう。
「で、ヘンリーさん、ヘンリーさん。こちらなにやってるんです?」
「ああ、シリルは知らないか。これ、将棋っつって、リシュウのゲームなんだ。チェスと似てるけど、これは取った駒を自由に指せるってとこが大きな違いだ」
「はあ、チェスみたいなもの、ですか。ど~~も私はその手の遊びは苦手です」
確かに、先を読むってことが苦手そうだな、こいつは。
「へえ。っと、これは対戦表か。ヘンリーさんが全勝……ジェンド、君もヘンリーさん以外には負けてないみたいだね」
「ああ。後はこの勝負でアシュリー兄を下して、二位だ」
「この、まだ勝負はついてないぞ、ジェンド」
アシュリーが次の一手を打つ。
「将棋、ですか。どれどれ」
と、ちょっと物事への興味が薄い傾向のあるティオが、珍しく盤面を覗きに行く。じー、と真剣な表情で観察しているが……まあ、もうほぼ勝負ついてんだけどな。
「アシュリー兄、これで詰み、だ」
「……参った」
僕の予想通り、そこから二手でジェンドが勝利した。
まあ、アシュリーもよく粘ったが、あそこから逆転は現実的に無理だろう。
「……少し失礼。この二手前ですが、こちらではなくこちらに玉を逃して」
ティオが横から駒を手に取り、少し盤面を巻き戻してトントントン、と別の展開を指していく。
――って、あ。
「こうすれば逃げ切れますし、ここからなら十分巻き返せるかと」
おおー、と、僕を含め、男衆が声を上げる。……シリルとフェリスはルールを知らないからなにがなにやらって感じだが。
「……俺がこう打ったら? 逃げ道が塞がるけど」
「その場合はこう打ちます」
ジェンドの手に、ティオはあっさりと返す。……っていうか、ジェンドも鋭い手ぇ打つな。一番最初に勝負したから勝てたが、今やると負けるかも。
「成程……こりゃ詰みまで持ってけないな。ていうか、ティオも将棋やるのか」
「お爺ちゃんとよく指していました」
そういや、将棋盤と駒はティオの実家でも扱っている商品だったな。そこの娘が知っているのは当たり前と言えば当たり前か。
「そうか……なあ、お嬢ちゃん」
「ティオです」
「悪い悪い、ティオ。そういうことなら、ちっとそこのヘンリーと勝負してくれないか? こいつ、初心者相手に全部勝ったからって調子乗ってるんだ」
あ、くそ、ポール! 余計なことを!
「……いいですよ。考えてみれば、私も訓練ではヘンリーさんに負かされっぱなしですし」
「てぃ、ティオ? その、訓練のリベンジなら、やっぱりそっちで返すべきなんじゃないかと僕思うんだけど」
「ポーカーで負けたから将棋で仕返しに来た人がなにか言っていますね」
フォルテ、お前もか!?
着々と駒を並べるティオに、誰か助けを……と見渡してみるも、誰も助けてくれそうにない。
男共は全員ニヤニヤ笑ってるし、シリルとフェリスは将棋のルールブックを一緒に読んでてこっちを気にしていない。
猪肉の見分のために厨房から出てきたノルドさんは仕事中だし、一緒に出てきたラナちゃんは無邪気にティオの手付きを見つめている。
「……どうぞ、ヘンリーさん、対面に」
駒を初期位置に並べ終えたティオが促す。
く、くくく、くそ、やったらー!
……ボロ負けでした。
僕の次に対戦したジェンドが割といい勝負をしていたことも、めっちゃ悔しい。
くっそう。