第九十三話 稽古
「フッ、フッ、フッ!」
「アシュリー! 踏み込みが雑になっている! 後、振り下ろしだけでなく振り上げる時も意識しろ!」
「はい!」
リカルドさんの指摘にアシュリーは大きく返事をする。
それを横目で見ながら、僕も基本の槍の型を繰り返す。更にその隣にはジェンドも一緒だ。
リカルドさんの自宅。兵士長という役職に相応しいそれなりに立派な邸宅だ。その家の庭で、僕達三人はそれぞれの武器を振っている。
……いや、昨日紅茶を飲みながらの雑談から酒盛りにシームレスに移行し、そのままジェンドんちに泊まって。
その朝、ジェンドがはたと気付いたのだ。
普段は忙しいリカルドさんが、午前中だけとはいえアシュリーに付きっきりで修行を付ける。……普通に考えて、一緒に見てもらう以外の選択肢はないのでは、と。
ジェンドの考えに、僕も乗った。僕はリカルドさんの弟子というわけではないが、隣に一緒に修行する奴がいれば張り合いが出るだろう。ここ最近、ガッツリ訓練することが少なくなっていたのでいい機会だ。
そんなわけで、着替えだけしに熊の酒樽亭に戻った後、こうしてリカルドさんの家の庭で訓練を共にさせてもらっている。
半引退した身でちょっと訓練しすぎって気もするが……いや別に、ユーんちに行った時にやったアゲハとの模擬戦で勝ち越されたことが悔しいとか、そういう話ではない。……違うんだって。
「アシュリー、握りが甘い。ジェンド、お前はもう少し脇を締めろ!」
『はい!』
リカルドさんの指摘により、わずかに、しかし確実に二人の剣筋が良くなっていく。
いいなあ、指導者がいるって。
僕は十二まではフェザード騎士団の訓練で体系だった技術を学んでいたが、故郷が魔軍に滅ぼされてからはほとんど独学だ。たまーに槍が達者な冒険者の人にクエストで訓練を依頼したり、武芸百般なエッゼさんに稽古を付けてもらったり、同じ槍使い同士で教え合ったりはしてたが……きちんとした師匠がいるに、越したことはない。
「…………」
「……リカルドさん?」
「ヘンリーさん、私は槍は門外漢ですが、今の突きはこうした方が」
リカルドさんが軽く実演してくれる。軽く、とは言ったが、踏み込みも腕の動きも洗練された動きだ。
それを目に焼き付け、僕は一つ呼吸を整える。
「ハッ!」
リカルドさんの動きを真似て、突きを繰り出す。まだまだ反復は必要だが……なるほど。
「……槍は門外漢だなんて、謙遜を」
「使う方はともかく、武者修行時代に槍使いと戦った経験は豊富にありますので」
武者修行て。
いや、そういうことをやる人がいるのは聞いたことがあるが、本当にいるんだ……
「道場破りとかやっていたんですか?」
アルヴィニア王国は武を奨励している国で、大抵の町には武術を教える道場がある。イストファレアが質も量も飛び抜けているが、他の街にも名を馳せている道場は多い。
「はは、そんな無法はしませんよ。ただ、丁寧に立ち会いを所望し、受けていただいただけです。……まあ、若かったですし、多少の挑発はしましたが」
リカルドさんは誤魔化すような笑みを浮かべる。……これ多少じゃないやつだ。
昨日のアシュリーへの脅しといい、案外リカルドさん、若い頃はやんちゃだったのかな。
「まあ、折角一緒に訓練をしているのです。もし気付いた点があればご指摘させていただきますよ」
「……ありがとうございます」
頭を下げる。
……さて、頑張るか。
「ふう、ふう……」
朝の七時から槍を振ること五時間。今回は丁寧に型を確認するために身体強化もしていなかったので、いい感じに腕が上がらなくなってきた。ここまで追い込んだのは本当に久し振りだ。
この状態で魔力を通し、疲労困憊状態での動きを確認する。こういう極限状態でどれだけ動けるかが、生死を分けることもある。
精神に活を入れて鈍りそうになる槍を思い切り振るった。息が上がっているためいつもよりずっと雑になっている。疲れていても、基本を忘れないように……
「セイッ!」
よし!
「へ、ヘンリー……元気だな。俺、もう動けない」
「アシュリーはリーガレオに行ったことあるから知ってるかも知れないけど……向こうじゃ、三日三晩戦い通しなんてこともあったからな」
流石にノンストップで戦い続けたわけではないが、戦場のど真ん中で岩陰に隠れて目だけ瞑って休憩しながらとか、そういう無茶苦茶をやったりしたこともある。
……防壁に刻まれている魔導結界がちゃんと動いてくれればそこまで過酷なことにはならないのだが、瘴気が濃い最前線だとどうしても結界の効果が薄まってしまい、そういう無理をしなければいけない場面が出てくる。
「そりゃまた……地獄だな」
「ジェンド、お前が行きたいって言ってるトコだぞ」
アシュリーと同じくへたり込んでいるジェンドの言葉に反論する。
何度かこういう話はしているのだが、
「ジェンドはリーガレオに行きたいのか」
「ああ。アシュリー兄は?」
「もっと腕が上がったらって思わないでもないが。正直そろそろ俺の実力も頭打ちかな……」
アシュリーがボヤく。
……僕にも気持ちはわからなくはない。僕も確か十六、七の頃に自分の槍の限界が見えてきていた。
しかし、目的のために強くなることを諦められなかった僕は、我ながらがむしゃらだった。
槍の腕の伸びが悪くなった頃に魔導に手を出し、魔導も自分にできる限界までやってから道具使いを覚え、そもそもの身体能力が足りねえってなって能力増強ポーションという手段を取り。
……その手のポーションの乱用は体に悪いと、ユーが強化魔導を覚えてくれて。
そこまでやっても、エッゼさんとジルベルトの戦いには、援護くらいしかできなかった。
……なんとまあ、懐かしい。
「雑談をする元気があるのであれば、休憩は終わりにして訓練を再開しなさい。後三十分、全力で!」
「は、はい!」
「わかりました!」
リカルドさんが声を張り上げ、弟子二人が慌てて立ち上がる。
弟子二人の剣の型を見守りながら、リカルドさんはアシュリーに向けて言った。
「アシュリー。その年で自分の限界など決めつけるものではないよ。そういう泣き言は、限界まで剣を振ってから言いなさい」
「……はい」
「第一、今日のこの半日で動きを矯正しただけで、随分変わったはずだ。そのくらいはわかってほしいな」
あー、確かに。
疲れているはずなのに、アシュリーの剣は今日の最初の方よりかなり良くなっている。我流混じりだったところがうまく昇華され、一つ、二つ上の動きになっている感じだ。
「そうですかね?」
「ああ。後はこれをみっちり体に覚えさせれば良い。……明日以降もちゃんと来るんだよ?」
「も、勿論です」
「アシュリー兄、俺も付き合うから」
アシュリーは今日だけでかなり参っている様子だが、リカルドさんに念を押されてしまっては了承するしかないようだった。しかも、弟弟子のジェンドも参加するとなれば、兄貴分として逃げられないだろう。
……ガンバレー。弟子でもない僕が毎日顔を出すのも失礼だろうし、遠くから応援だけしてるぞー。
「そうそう、ヘンリーさん。貴方がいらっしゃると、二人の刺激になるようです。よろしければ明日以降もご一緒にいかがでしょう?」
「……はい、よろしくお願いします」
正直、ちょっともらいすぎって感じはあるが。
……しかし、リカルドさんに見てもらえるという利点は捨てがたい。喜んで参加させてもらおう。
そうして、ラストスパートの素振りが終わる頃、
「ごめんくださーい」
と、リカルドさんちの玄関のところからそんな声が聞こえた。誰かが訪ねてきたらしい……っていうか、
「おや、この声はシリルさん?」
「みたいです、ね……ふぅー」
僕は息を整えながらリカルドさんに同意した。
「おや、こちらから声が……」
とてとてと、シリルが玄関先から庭の方に回り込んでくる。
「あ、ヘンリーさん、どうもです」
「よお」
手を上げて応える。
「どうしました、シリルさん。なにか領主様から私に言伝でも?」
「ああいえ、そうではなく。熊の酒樽亭のランチに行ったら珍しくヘンリーさんがいなかったので。ラナちゃんに聞いたら、リカルドさんちで訓練してるって教えてもらったので、じゃあ、って感じで」
流石は領主様の妹同然の立場というだけあって、リカルドさんとも顔見知りのようだ。
しかし、
「いや、シリル。じゃあって感じってどんな感じなんだよ?」
「実はシリルさん的に、今日はヘンリーさんに構ってもらう日なのです」
「……約束とかしてないよな」
「してませんが、なにか。どうせ暇だと思っていたので。珍しく目論見が外れましたけど」
悪びれねえ、こいつ!
「ははは、仲が良くて結構なことです」
その様子を、リカルドさんはからからと笑い飛ばす。
「それで……ヘンリーさん、リカルドさん。あっちの二人は」
「ええ、たかだか五時間ほど剣を振っただけで動けなくなっている不肖の弟子達です」
シリルが、背中合わせに座り込んで呼吸を乱している二人を指差し、リカルドさんがしれっと答える。
まあ、元々体力が切れてたところを無理矢理ラストスパートで全力で素振りさせたからな。体力の最後の一滴まで絞り出したって感じだ。
「ん……シリル、か」
「アシュリーさん、どうもです」
あまり面識はないと言っていたが、お互い顔くらいは知っているようで、二人は挨拶を交わした。
アシュリーの方は息も絶え絶えだったが、深呼吸を二度、三度と繰り返し、なんとか立ち上がる。
「ふう……。久し振りだなあ。最後に会った時はまだまだ子供だったけど、随分綺麗になったじゃないか」
「ありがとうございます! ほら、こういうとこですよ、ヘンリーさん」
我が意を得たり、といった感じでシリルが嬉々として話しかけてきた。……僕もたまには褒めてるんだが、カウントされていないらしい。
「はいはい。綺麗綺麗。……ほれ、満足しろ」
「むー」
シリルは不満げに鼻を鳴らす。
そんなシリルを見て、ふとアシュリーは気付いた。
「……あれ、シリル。お前も冒険者なのか。そのタグ」
「うん? そういや、昨日話してなかったっけ」
僕達の仲間のことは話題に上らなかったか、そういえば。
「ああ。……その、大丈夫なのか? 俺の知ってる頃だと……のんびりした子だったが」
表現を濁してアシュリーが言う。……多分、ドン臭いとか思ってんだろうな。
「大丈夫です。私の魔法はそれなりのモンなんですよ」
「魔法使い? 珍しいな」
時間がかかるとは言え、最上級に通用するような大魔法を使える奴です。
フェンリルの件はあまり大っぴらに話せないから、言えないが。
「さあさ、三人とも。話もいいが、まずは汗を流してきなさい。ご婦人の前でそのような姿を見せるものではないよ」
……言われてみれば、汗でどろっどろだな。
一緒に冒険をしているシリルには今更といったところだが、リカルドさんの言葉にも一理ある。
「んじゃ、そういうことだから。シリル、遊びに行くのは構わないけど、少し待ってろ」
「はーい」
まだ呼吸が整っていないジェンドを引き摺りながら、リカルドさんちの家の裏にある井戸に向かう。
「なあ、ヘンリー。シリルとデキてんの?」
「まだデキてない」
「まだ? なるほど、詳しく聞かせてくれ」
途中、アシュリーが意外な好奇心を発揮し、僕はそれを躱すのに難儀したが、
……まあ、そんな軽口も心地良い、訓練の一日だった。




