第八十七話 しばしの別れ
リースフィールドの町に逗留して早五日。
ちょっと見舞いに来るだけのつもりだったのに、なんやかんやでズルズルと長居をしてしまった。
もうそろそろお暇をしなければならない。
泊めてもらった分の謝礼は、ちゃんとニンゲル教会への寄付金という体でフィーネさんにお支払いした。冒険にでかけた時の戦利品や土産物はティオの『容量拡張』持ちの鞄に詰めたし、帰り支度は万端だ。
「ヘンリー! 次会う時は、俺達もっと強くなってっからな! 楽しみにしてろよ!」
「ぜってー次は一本取るからな!」
レッドとケイが胸を張って宣言する。鼻っ柱の強い子供達に苦笑しながら、僕は二人の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「よし、頑張れよ。稽古はサボるんじゃないぞ」
「サボらないっつーの! ……てーか、理由もなくサボったりしたら、フィーネ先生が、その、怖いし」
「……やめろよ、レッド。前怒られたときのこと、思い出しちゃうから」
快活な二人が見るからに恐れている。いつも優しげな人で、そんなに怖がる相手には見えないのだが。
やはり、育ての親には逆らえないのか。それとも、ユーを育てたというフィーネさんの性格の底を、僕がまだ見ていないだけなのか。
……ぱっと見の印象はそうでもないのだが、僕の今までの経験から、どうにも後者のような気がしてならない。
「ヘンリーさん」
「は、はい」
そんな僕の不埒な考えを読んだのか、と思うほど絶妙なタイミングで、フィーネさんが話しかけてくる。
「……最後に。改めてありがとうございますね、ユーのこと。あの子、この家に帰ってきたときよりずっと元気そうな顔で戻れそうです」
「いや、その。僕は別に」
「ふふ、そういうことにしておきましょうか」
ふっ、とフィーネさんは微笑みを漏らして、シリルとフェリスの二人と別れの挨拶をしているユーの方を見る。
「二人共、仲良くしてくれてありがとうございます。リーガレオに来た暁には、是非会いに来てください」
「はい、その時はよろしくお願いしますね!」
「私の方こそ色々ご教授いただいてありがとうございます。この町に来たときより、一つも二つも上に行けた気がします」
シリルが元気よく返事をし、フェリスは深く頭を下げた。
「いえ、フェリスさん。それは今はちょっと慣れたから、そういう気がしているだけです。帰ってからもちゃんと反復して、本当の意味で腕を上げないといけませんよ? 私の教えを受けておいて、次会った時にもし上達していなかったりしたら……」
ふふふふふ、とあくまで上品に、しかしあからさまな威圧を込めてユーが含み笑いを漏らす。
「い、いいいい、いいえ! そのような心配は要りません! 誠心誠意、訓練に励みますとも!」
「はい。……ちょっと脅かしましたが、頑張ってくださいね」
ユーは表情を一転させフェリスを激励する。
「そうそう。……シリルさんも頑張ってね、色・々・と」
「は、はい!? 色々ってなんのことやら! シリルさんにはさっぱりなんですが!」
「またまた~」
ユーの意味深な言葉に、シリルはなにやら慌てている。
なんだろうね、あの二人の変な気安さ。一緒に呑んだっていう夜から、なんかめっちゃ仲良くなったような気がする。
「アゲハ姉は一緒に帰らないんです?」
「ああ。アタシはユーと一緒に、こっからリーガレオに直で戻るよ。ユー、足おっせーから面倒だけど」
と、話しているティオとアゲハ。
「特別に魔導車回してもらいますから、そんなに遅くはありませんよ。もう」
「魔導車って、あのくそたけーわりに平坦な道しか走れないうすのろだろ」
「……あれをうすのろって言えるのは貴女みたいな人だけですよ」
アゲハはこんな事を言っているが、魔導車は一般的にはかなり速い。中堅どころの前衛並の速度は出るし、疲れないし。
それに見た目格好いいんだよね、あれ。僕は結構好きだ。
「ユースティティアさん、アゲハ姉のことよろしくお願いします」
「はい。まあよろしくするのはお互い様ですけどね」
ぺこり、とティオが頭を下げ、ユーがそれを受け入れる。
……まあ、とりあえずここまではいい。順当なお別れだろう。
んで、だ。
「ジェンドお兄ちゃん、絶対また会いに来てね」
と、ジェンドとお別れをしているのはこの孤児院の子供の最後の一人、ジールちゃん。
僕とは微妙に接点がなかったが、暇な時間にジェンドは彼女の遊び相手を努めていたりした。
「ああ。この町の取引先と顔繋いだからな。そのうち実家の使いっぱしりで来ることもあるだろうし、そん時は顔くらい出すさ」
「うん! あ、これ……私が作ったお守り。ニンゲル神様の紋章の入ったメダルなんだけど」
「おう、ありがとうな。大切にするよ」
木製の、子供の手の平サイズのメダル。稚拙ながらも一生懸命に文様が彫られているそれを受け取って、ジェンドは礼を言う。
……ジェンド、お前大丈夫? その子になんか憧れを通り越したもの抱かれてない?
「フェリス。念の為言っとくが、落ち着けよ」
「ヘンリーさん……私をなんだと思っているんだ。このくらいで目くじらなんて立てないさ。相手は子供じゃないか」
フェリスはなんでもないように言う。
……うん、確かに、今はそうなんだけどね。
でも、ジールちゃんは子供勢の中では一番年上の十一歳。ジェンドとの年の差は五つ。彼女が十六の成人の頃、ジェンドは二十一。僕とシリルより年の差は小さい。
数年もすればこんなはしかみたいな恋はなくなっている可能性もあるが……ニンゲル教の信徒って、情が深い奴が多いんだよね。
……まあ、その頃にはジェンドも冒険者としての実力もついて稼いでいるだろうし。ちゃんと生活できるのであれば、複数の嫁を娶ること自体は別に何の問題もない。多少修羅場る可能性もあるが、そこはジェンドの甲斐性に期待するとしよう。
よし、以上! 気にしないことにする。
僕がジェンドとジールちゃんの関係について無視することを大決定していると、ユーがこちらにやって来た。
「では、ヘンリー。これでまたしばらくお別れですが、体には気を付けてくださいね」
「それはこっちの台詞だろうが。誰かさんが倒れたって聞いたから会いに来たのに」
「勿論、今後このようなことはないようにしますよ。私も少々無理をしすぎたというのは自覚しておりますので」
前線の治癒士を増員するという話もあるし、ユーの負担も軽くなるだろうが……
「お前、そうやって反省しても、怪我人が出たらそんな言葉ころっと忘れて平気で無理するだろ。……次倒れたりしたら思いっきり笑ってやるからな」
「……ヘンリーに笑われるのはちょっと屈辱ですね。わかりましたよーだ」
ぷいっ、と拗ねてユーが顔を背ける。
……こいつ、時々子供っぽくなるんだよなあ。
「はいはい、その言葉を一応信じといてやるよ。それじゃ、元気でやれよ」
「はい、それでは」
ユーと握手を交わす。
相変わらず華奢な手だが、この手にリーガレオの住む兵士や冒険者達の命がずっしりと重くのしかかっている。
……この女のことだ。あっさりとその細腕で全部支えきってしまうのだろうが、
「なんかあったら知らせろよ。助けてー、ってすがってくるってんなら、すっ飛んでくから」
「前にも言いましたが、余計なお世話です」
口ばかりは悪態をつきながらも、ユーは笑みを浮かべる。まあそれなりに信頼はしてくれているんだろう。
「さようなら、ヘンリー」
「ああ、またな。ユー」
林檎の家を出る。
最後、見送りをしてくれた林檎の家一同+アゲハに手を振り、僕たちは門の所に向けて歩き始めた。
……そうして。
僕たち一行のリースフィールドの滞在は終わりを告げるのであった。
さて、帰り道。来る時はユーが心ぱ……もとい、なんかノリで急いだが、帰りは特に用事もないのでのんびりと歩いて帰ることにした。
「いやー、それにしても……最後のやり取り見ても思いましたが、ヘンリーさんとユーさん、本当に仲が良いんですねえ」
その途中。
隣を歩くシリルが、ふと口をついた。
どうも、似たようなことを何度も言われている気がするが、
「だから、付き合いが長いんだって」
「長いだけじゃ、あーはならないんじゃないですかね。私もジェンドとは幼馴染ですが、あそこまで距離感近くはないですよ」
「日常的に命を助けたり助けられたりしてたら、ああもなる」
最前線の仲間のみんなは、実際よほどウマが合わない奴以外は気安い仲だった。
「そうなんですねえ。……私達も、そうなれるでしょうか?」
ここで言う、私『達』がどこまでの範囲を指しているのかは知らんが、
「大丈夫だろ。このパーティは、贔屓目抜きにいいパーティだよ」
リーガレオにいた頃とは違うが、それでもシリル達は大切な仲間だと断言できる。……最前線に行く彼らと、いつか必然的に別れてしまうことが、惜しいと思うほどに。
「そうですか。じゃ、帰ったらまたガシガシ冒険頑張らないとですね!」
「おう、その意気だ、その意気」
己を奮い立たせるシリルを適当に応援する。
「ああ、シリル。私もユースティティアさんに習ったことを実戦で試したいから、早く冒険に行きたくてウズウズしているよ」
「俺もだ」
「私も」
と、話を聞いていた仲間たちが口々に同意する。
全員すぐにでも駆け出しそうな雰囲気だ。まあ、そういう気分のときもあるだろうが……
「……やる気はあるのはいいけどな。旅疲れって案外馬鹿にできないから、帰った次の日は休みにするぞ」
「え~~、ヘンリーさん、水を差すようなことを言わないでくださいよー」
「ええい、うるさい。若い奴らが血気に逸っているのを止めるのも、先輩の役割だ。って、寄ってくんな馬鹿!」
ぶーたれながら迫ってくるシリルの額をぐりぐり押す。
「うぬぬ、おのれー」
「おのれー、じゃないよ。まったく」
肩を竦める。
さて、まあ。
今回の見舞い旅行は、みんなにとって割といい影響があったようで、なによりである。
帰って何回か冒険行ったら、アルトヒルンの上層に挑戦してもいいかもな。
などと考えながら。僕は、なんかじゃれついてくるシリルの相手を、適当に続けるのであった。
これにて第七章完結です。次の章はまた日常回……かな




