第八十四話 スープ
「う~ん、う~ん」
「はあ……ほれ、シリル。水。ゆっくり飲めよ」
と、ベッドで唸っているシリルに水差しを渡す。
「ど、どうもありがとうございます、ヘンリーさん」
「ったく。一体どんだけ呑んだんだ? 普段は全然呑みやしないくせに、珍しい」
朝。
昨日早めに休んだおかげで日が昇る頃に目が覚めた僕が食堂に行ってみると、ワイン瓶を四本も転がしてテーブルに突っ伏しているシリルとユーがいたのだ。
呆れて起こしてみると、ユーはさっさと『クリア・ドランク』の魔導でアルコールをすぱっと解除し、『もうちょっと寝ます』と自室へ引き上げた。
……そんな便利な魔導(便利すぎて僕もめっちゃ欲しい)は使えないシリルを、僕は仕方なく抱き上げて部屋に運び、こうして看病してやっているというわけである。
「ゆ、ユーさんに勧められて……多分、私も一本くらいは空けた気がします」
「……逆に、ユーは三本も空けやがったのか」
あれ、ルネ・シュテルだろ。滅法高いワインの銘柄。こんな呑み方する酒じゃねえぞ、もったいない。
……まあ、酒は嗜好品なのだから、好きに呑めば良いという話もあるが。
「ていうか、一回吐いたらどうだ。楽になるぞ?」
「う……いや、流石に乙女として、そんな粗相はちょっと」
「粗相ねえ」
……調子に乗って酒を呑みまくってげーげーする女冒険者なぞ、僕は見飽きているのだが。あれでアゲハは割と自分の限界を見極めるタイプだが、ユーも呑み慣れる前は普通に吐いたりしていた。
いっぺん、僕の目の前でぶちまけて、その後に必死こいて『クリア・ドランク』を覚えたんだっけ。割と懐かしい。
「でも、ユーさん? 酒盛りで、んなに仲良くなったのか、お前ら」
「まあ、それなりに」
「へえ、どんなこと話したんだ?」
聞くと、シリルはぴきーん、と固まる。
……そんなにおかしなこと聞いたか、僕。
「え、ええーと、そう、ヘンリーさんのこと……と……か」
二日酔いで気分が悪いせいか、シリルの言葉は尻すぼみになる。顔も赤いし、こりゃかなり重症だな。今日中に酒が抜ければいいが……まあ、こうやって泥酔して痛い目を見るのも、若いうちは悪くない。
「へえ、僕のこと? まあ、確かにシリルとユーの共通の話題つったらそうか。……ユーのやつ、どんな悪口を言ってた?」
ユーが僕のことを語るのであれば、十中八九悪口の一つや二つ出ている。勿論、そこまで底意地の悪い奴ではないので、悪し様に言うだけ……なんてことはないだろうが、奴が口走った内容によっては仕返ししてやる必要がある。
「あー、そのー。う、うーん、うーん」
シリルは取って付けたようなうめき声を上げる。
……これは、ユーの奴め。かなり良からぬことをシリルに吹き込みやがったな。
あれか、それともあれか。
ユーとは付き合いが長い分、お互い色んな弱みを握り合っている。この前暴露された技名なんて序の口。十六の時、初めて娼館に行った時の反応だとか、十八の時しこたま酔っ払って繰り広げてしまった醜聞だとか。
……二十一の時、ジルベルトが前線に出てきた時の、暴走だとか。
最後のだけはマジ僕の中で思い出したくない過去だ。ユーにグーパンで止められたっけ。
シリルは唸るばかりで口を開こうとしない。
「いや、別に無理に聞き出すつもりはないけどな」
ここでしつこく根掘り葉掘り聞いたりしたら、翌日にはあの男空気読めてないー、って扱いにされる。僕は諦めた。
「……すみません、ヘンリーさん。水差し、おかわりを」
「はいはい」
魔導で水を出し、水差しに補充する。二日酔いだと喉が渇くもんな。
「んじゃまあ、ゆっくり休んでろ。朝飯までまだ時間あるし」
シリルが借りている部屋を辞す。
……うーん、しかし、シリルが見たこともないほど弱ってたな。いや、僕にもわかりすぎるほどわかる。重度の二日酔いの時って、そりゃもう大変なのだ。
「……よし」
この前行ったフォーウッドの森には、確かアレが生えていた。
ひとっ走り、取ってくるか。
「ただいまー」
フォーウッドの森まで、軽いランニングがてら向かい、往復四十分程で林檎の家に戻る。
トントン、と丁度良く包丁の音が聞こえたので、キッチンへ向かった。
「あら、おかえりなさい、ヘンリーさん。どちらへ?」
「ちょいとフォーウッドの森まで」
朝食の準備をしているフィーネさんの出迎えの言葉に、軽く答える。
「あの森に一人で、ですか。危ないですよ……というのは、勇士の冒険者の方には余計なお世話かもしれませんけど」
「ああいえ、ご心配ありがとうございます。でも、あそこの森の魔物は全部、朝活動が鈍いタイプなんで」
一応、襲われはしないだろうという目論見はあった。実際襲われることなく、目的のものを採取して戻ってきたのだ。
「そういうことなら……それで、そちらは?」
「ええ。前の冒険のときに見かけて覚えてたんですが。二日酔いに効くハーブです」
僕も大層お世話になった代物である。
「二日酔い?」
「いえ、なんかユーのやつがうちのシリルと夜中呑んでたらしく。ユーの方は例の魔導で酔いを抜いたんですが、シリルのほうが起き上がれないくらいヘバっててですね」
「あら、まあ」
フィーネさんが呆れの声を上げる。
「まったく、あの子は。元々あの魔導は、深酒しても大丈夫……なんてもののためにあるのではないのに」
「はは……」
本来は、毎日働く治癒士がささやかな息抜きに呑んでいた時に、急病人が発生した……みたいな事態のために開発された魔導らしい。
……いや、うん。でも、人間ってこう、そういうものだし。
酒好きの立場からフィーネさんに全面同意とはいかず、僕は曖昧に笑って誤魔化した。
「ふう……それで、ヘンリーさんはそのハーブをどうするのです?」
「その、これでスープを作ろうかと思ってるんですが、ちょっとキッチンお借りしていいですか? あ、勿論みんなの分も作りますよ」
朝食の準備までに戻ってこれるかなー、と思っていたが、どうにか間に合ったようだった。まだフィーネさんの朝食の支度は始まったばかりの様子だし。
「ええ、勿論構いませんよ。では、お願いします。他の食材や調味料も使っていただいて構いませんから」
「はい。ありがとうございます」
林檎の家は、今は子供が三人だけだが、部屋数からして相当数の孤児を受け入れることができるはずだ。それに見合うように、キッチンの方もかなりのスペースがあり、僕とフィーネさんが同時に調理するのに不足はない。
生活用魔導具の冷蔵庫を開け、中身をチェック。また、キッチンの隅にある日持ちする類の野菜に、調味料。
……うん、問題なく作れるな。
鍋に水を張り、火にかける。その間に、人参と玉葱を少しもらい、皮を剥いてみじん切り。
「やはり、刃物の扱いは手馴れていらっしゃいますね」
「いやいや、流石に魔物退治と料理じゃ全然別ですよ。実は、僕ロクに稼げなかった頃、宿の雑用して宿代オマケしてもらってたことがありまして」
子供の頃の話だ。今はまったくする気が起きないが、意外と手が覚えているもんである。
「宿、というと、ユーも泊まっていたという? 確か、ヘンリーさんとユーは同じ宿で隣同士だった、とお聞きしましたけど」
「はい、星の高鳴り亭。……まー、魔物に何度も潰されて、僕が最後に住んでた時の建物は四代目でしたけど」
元々勇士の冒険者だった夫婦が経営している宿で、一度潰れてもエライ勢いで建て直していた。その分、色々安普請だったが。
「で、そこの奥さんがハーブとか育てるの好きでしてね。酒呑みが多い冒険者向けに、このハーブも育ててて。このスープも、その人に教えてもらったレシピです」
あの宿は、二日に一回はこのスープが出ていた。
みじん切りにした根菜を煮込み、調味料で味を整えながらあの頃を思い返す。ハーブは最後に入れて、軽く火を通す程度にするのがコツだ。
「ユーもこれ、好物でしたよ。まあ、あいつはまだ頻繁に食べてるんでしょうけど」
しかし、僕にとっては半年以上ぶりだ。
最後に、よく洗って切ったハーブをスープに投入すると、ふわっと独特の香りが広がる。味見をしてみると、丁度いい塩梅だった。
あー、これこれ。懐かしい。そういや、フローティアではこのハーブは見かけなかったな。気候的な問題かね。
「美味しそうな香りですね。レシピもそう複雑ではないようですし、後で教えていただいても?」
「はい、構いませんよ」
「ありがとうございます。こちらも大体揃いましたし、子供たちを起こして来ましょうかね」
大きなボウルにサラダ、人数分のオムレツ、朝買ってきたと思われるふわふわのパン。そして僕が作ったスープ、と。見事な朝食が完成していた。
「じゃ、僕配膳しておきますよ」
「よろしくお願いします」
さて、朝食は終わった。僕のスープは子供たちにも割と好評で、林檎の家の定番の一つに加わりそうだ。
アゲハは、『えー、折角リーガレオから離れたのに、またこのスープかよ!』などと罰当たりなことをホザいていたが。おかわりまでしといてなんなんだあいつ。
まあ、ちゃんとご馳走様を言っていたから許してやろう。
んで、ちゃんと別に取っておいたスープを持って、朝食の時間になっても起きてこなかったシリルの部屋に向かう。
「おーい、シリル。起きてるかー?」
ノックをすると、かすかに『はいー』と返事があった。
「入ってもいいか?」
「……どうぞー」
今度は、ややはっきりとした声。
寝てたトコを起こしちゃったかな、と少し反省しながら中に入る。
「ヘンリーさん……なにかご用事ですか?」
「んにゃ、飯、食ってないと思ってな。あんまり喉通らんかもしれないけど、スープくらい大丈夫だろ」
「あ……はい。ありがとうございます」
シリルは起き上がり、お盆に乗せたスープの匂いに鼻をひくつかせた。
「ん、なんか変わった香りですね」
「ああ。二日酔いによく効くハーブ入りだ。僕のリーガレオ時代の常宿の名物だったんだぞ」
「へえ……え? ということはこれ、ヘンリーさんが?」
うむ、と頷いた。
それに、シリルはびっくりしている様子。
「いや、野営じゃ普通に料理してただろ。面倒だからやらないだけで、一応僕、通り一遍の家事は出来るぞ」
面倒だからやらないけど!
……こんなだからラナちゃんにまったく頭が上がらないんだよなあ。
「そ、それはどうも、ありがとうございます」
「ああ。ま、ゆっくり飲め。そしたら、午前中くらいには楽になるだろ」
おっかなびっくりスープを口に運ぶシリルを、なんとはなしに見る。
……さて、元気になったら、どこか遊びにでも誘おうかね。




