第七十九話 冒険前のお話
「ヘンリー、アゲハ、よろしければですけど、今日は冒険に出かけませんか?」
朝食を食べた後の食事休憩中。
ユーが唐突にそんな提案をしてきた。
「ん? まあ、アタシ、今日すること決めてたわけじゃないから別にいいけど」
「僕も構わないけど、急になんだ? お前、静養中だろ」
聞いてみると、ユーは話し始めた。
「実は、このリースフィールドの近くにはフォーウッドの森という割と大きめの森があるんですが。この森、中心部付近だと上級の魔物が出るんですよね」
そして、徐々に、徐々に、外側に魔境――瘴気汚染地帯を広げ、森全体を侵食しようとしているらしい。
フローティアのアルトヒルンにいる上級の魔物は知能が高めのやつが多いので、迂闊に下りては来ないが、この辺りも地域によって事情が異なる。
フォーウッドの森とやらの魔物は、人の脅威を感じるほどの知恵がないか、あるいは好戦的な種族なのだろう。
「勿論、そんな事情もあるので、この街には上級を倒せる冒険者さんや騎士さんが滞在していて、定期的に間引いているんですが……最近、少し魔境が拡大傾向にあるそうなんです。まだそう焦るほどじゃないんですが、この町が危険に晒されるのは極力避けたいので」
そこで、丁度良く使い潰せそうな便利な元仲間がやって来たから、適当に間引いちゃえ、って思ったわけだな。
「その冒険者の仕事を奪うことにならないか? その人達、教会なり国なりから依頼受けてんだろ」
「はい、確かに、グランディス教からの正式なクエストで来ている方々なんですが。その、フォーウッドの森は、割に合わないっていつも言ってるそうなんで、仕事がなくなったらなくなったできっと喜びます。……樹毒領域なんですよ、フォーウッドの魔境は」
「マジか……」
僕は呻き声を上げた。
特定の属性に傾いた瘴気に汚染された地域は、それぞれの属性に応じた過酷な環境となる。
そして、微妙な瘴気の性質の違いにより、同じ水属性でも気温が低く凍える氷瘴領域、地面がぬかるんで身動きが取れなくなる泥水領域等、色々と変化する。
……そんな属性瘴気汚染地帯の中でも、土属性に偏った場合にたまに現れる樹毒領域は、タチの悪さではかなりの上位だ。
そこら中の植物が毒素を含み、毒の入り混じった空気が漂っていて……なんの対策もなく一般人が足を踏み入れたら数分で死ぬ。
暑さ寒さなんかと違って対策も難しい。風の守りを常に展開する魔導具は激しく動くと守りきれなかったりするし、レジストポイズンポーションという毒を予防してくれるポーションは結構高い。
しかし、である。
「ヘンリーの組み紐の神器は『耐毒』持ち。私は自分の魔導で毒は弾けるし、アゲハは確か……」
「ああ、うん。叢雲流の嗜みとして、毒対策の訓練は受けてるぞ。よっぽど強力だったり特殊なものじゃない限り、毒は効かん」
アゲハの言葉に、ティオが渋い顔になる。
「あの、アゲハ姉。昔はともかく、今の世代で耐毒訓練やってる人っていないんですけど。勝手に嗜みにするのはちょっと」
「そっか? 最初はちょっと辛かったけど、途中からピリピリした感覚がクセになって楽しいのに」
あ、そうなんだ。アゲハの言うこと真に受けてて、ティオも毒なんて平気かと思ってたよ。
……っていうか、クセになるってなに。こいつ変態だろ。今更だが。
と、僕がアゲハという女への認識が正しいことを再確認していると、ユーがぽん、と手を叩いた。
「まあ、そういうわけです。私達向けの案件でしょう?」
色んな属性瘴気汚染が斑模様のように広がっているリーガレオの戦場でも、樹毒領域はエンガチョ扱いされており。そういや、毒対策が容易な僕らが良く突貫させられてたっけ。
懐かしんでいると、はいっ、とシリルが手を上げた。
「えーと、私達も付いて行っていいですか? 折角来たんですから、普段と違う経験を積んでみたいです」
「あー、樹毒領域じゃなきゃ、来ても良かったけどなあ」
シリルの言葉に、僕は難色を示す。
身体強化により普通の人よりは毒に耐性があるとは言え、小一時間も滞在すれば命に関わる。いや、ユーに言えばちょちょいのちょいと治してくれるだろうが、余計な負担をかけるのも気が引ける。
残念だけど、今回は留守番しておいてもらったほうが……
「そこはヘンリーさん、私に任せてくれ」
「え?」
「私は怪我の治療より、毒とか病気とか、そちらの治療の方が得手でね。エリア・アンチドーテが使える。範囲はそれほどでもないが、自分たちだけ治すなら十分だ」
フェリスが心強く断言する。
……治癒系魔導は難易度が高く、外傷より病気系の方が更に難しく、範囲に効果を与えようとすると更に倍々だ。
「フェリスさんはニンゲルの手の使い手でしたか」
「はい。まだまだユースティティアさんには遠く及ばない腕ですが」
そういや、二人はまだそれほど話していなかったか。
「ふふ、そう謙遜することはないじゃないですか。解毒の魔導を範囲で使える人なんて、私も自分以外には数人しか知りません」
「いえ……まだまだ未熟者で。その、失礼かとは思うのですが……もしよろしければ、こちらに滞在している間、少しだけ手解きをしていただいても?」
「勿論構いませんよ」
……よし、
「そしてリーガレオに来た暁には私の負担を減らすのだフハハハ!」
「……ヘンリー、それ私の真似のつもりですか」
「うん」
隣に座る僕に、ユーからの無言のパンチ。受け止める。
……こいつ、僕が防ぐだろうってわかってるから、容赦ねえな。
「さて、それじゃあヘンリーの仲間の皆さんも行くということでいいですね。ヘンリーからの手紙で皆さんの実力は聞いています。メインは上級中位のエルダートレントになりますので、皆さんにはそれ以外の、中級とかの相手をしてもらえると」
「何が出る?」
「エルダートレント以外だと、ポイズンウルフ、ウッドゴーレム……後、ちょっと強いのだと魔猿ですかね」
ふむ。魔猿は中級上位。他は中級下位の強めの相手。
まあ、普通にイケそうだ。
「げっ、トレントかよ! 私、やっぱパース! 首のない相手なんて真っ平だ!」
と、アゲハがターゲットを聞くなりやる気をなくす。
……エルダートレントと言えば、樹木の魔物。木の洞が顔のように見えるだけで、首なんてものは勿論ない。
そして、首刈りに人生賭けてるアゲハは、そういう魔物の相手を露骨に嫌がるのだ。同じ木でできていてもウッドゴーレムなんかは嬉々として首を刎ねに行くのだから、首っぽいのがあればそれでいいんだが。
「アゲハ、先程は了承したのに。嘘つきは嫌われますよ?」
「んー、じゃ、ティオ達に付いてフォローしとくよ。エルダートレントの相手はお前らに任せた!」
アゲハがさも名案という風に宣言する。
「……はあ。言っても聞かなさそうですね、これは」
「ユー、エルダートレントって何匹くらいいるんだ?」
「数十匹単位の群生地がうじゃうじゃあるらしいです」
数多いな……
「数十匹の群れが複数か……ヘンリー、正直厳しそうだけど、いけるのか?」
ジェンドが心配してくれる。
まあ確かに、普通であれば味方が一人だけの状態でそれだけの数のエルダートレントの群れを相手にしろって言われたら、まず逃げることを考える。勝てないわけじゃないが、リスクが高すぎる。
「ジェンド、平気だって。この二人の組み合わせ、反則くせーから」
「反則じゃなくて、訓練の成果だっつーの。主に頑張ったのユーだけど」
アゲハの言葉に反論する。なにが反則だというのだ、まったく。
しかしまあ、アゲハの言う通り、ペアの相手がユーであれば上級中位百匹でも、そうそう遅れは取らない。ユーとのペアでなら最上級をヤったこともあるし。
「反則?」
「ユー、僕向けに強化魔導使えるんだよ。確かフェリスもジェンド向けに覚えようとしてたよな」
「ああ、そろそろ形になりそうなところだが……」
救済魔導術『ニンゲルの手』は、治癒術が有名ではあるが、結界術や強化術も取り揃えた補助系の魔導流派である。
そのニンゲルの手の強化魔導は、僕が使う汎用的な《強化》や、とりあえず歌が聞こえた人みんなを強くするロッテさんの『虹色の戦歌』とは違い、個々人向けに調整の必要がある。難易度自体も治癒術に匹敵するほど高く、実は使い手はほとんどいない。
……ただし、それだけに効果の程は折り紙付きだ。僕の実力で、エッゼさんと魔将の戦いに割って入れるほどに。
「アゲハ姉、強化魔導ってそんなに強くなるんですか?」
「あー、悔しいことにな。アタシだって、ユーの支援受けたヘンリーとは喧嘩したくねえよ。首刈りでワンチャン狙うしかねえもん」
そのワンチャンをしれっと通してきそうで怖いんだけどな、コイツの場合!
前、能力増強ポーションキメた状態で模擬戦した時、九割勝てると思ってたのに、なんやかんやで首に一撃もらって負けたことがある。あれは今思い返してもなんで負けたのかよくわからん。
まあ、そっちはいいとして、
「イケるか?」
ユーに聞いてみると、ユーはニッ、と楽しそうに笑顔を浮かべた。
「はい、大丈夫でしょう。私、実は治療ばっかりで、本当に久し振りの冒険ですが、訓練は欠かしていません。安心してください」
「へいへい。危なかったらちゃんと助けてやるよ」
「そこはお願いしますよ。ちょっと無茶して怪我しても、ちゃんと治してあげますから」
そこは心配していない。ユーのやつが無事であれば、必ず治してもらえるだろう。
……そういう、安心感。
フェリスの腕に不満があるわけじゃないが、やっぱこの感覚は悪くないな。
「んじゃ、ま。シリルたちに、出てくる魔物のことを少しレクチャーしたら、行くか」
初めて戦う魔物ばかりなので、事前に簡単な生態や動きを教えておくことにする。
そうして、一時間後。
諸々の準備を整えた僕たちは、林檎の家を出立した。
繋ぎ回はやっぱりちょっと筆が重くなりますね。少し遅れました。




