第七十六話 出国と再会
アゲハと遭遇してからほんの数時間で僕たちはフローティアを発っていた。
近場とは言え別の国へ行くというのに、なんともフットワークの軽いことである。成人している三人はともかく、ティオも速攻で親の許可を取ってきた。
そうしてフローティアを出発し、街道を走ること約二時間。フローティア王国とサレス法国を分ける関所が見えてきた。
「シリル、もうちょっとだ。関所着いたら手続きに時間かかるから、そこで休憩できるぞ」
「ふっふっ……ふっ……ふっ……!」
あ、駄目だ。こいつ、息も絶え絶えで、返事する余裕もなさそうだ。
……いや、しかし。瞬発のブーツの助けもあるとは言え、よくもまあここまでこのペースで走ってこれたよ。絶対途中でぶっ倒れると思ってたのに。
まあ、シリルに合わせてペース落としていなければ半分以下の時間で到着できたが、それについては触れないでおいてやろう。頑張ったのは確かなのだ。
「国越えするのって、何気に初めてだな」
見えてきた関所に、ジェンドが走りながらぽつりと呟いた。
「? なんだジェンド。お前んち金持ちなんだから、色々旅行とか行ってると思ってた」
「親父や爺ちゃんが外国に行くのは、基本商談のためだったしな。大体うちの家族は基本忙しいし、あまり遠くへ旅行とかしたことないぞ、俺」
そっか。金持ちだからこそ忙しいのか。
「私は、父が投獄される前は、色々と連れて行ってもらっていたな。サレス法国に、ヴァルサルディ帝国、リシュウにも」
「私はリシュウの本家に行ったことあるだけです」
フェリスとティオも、自分の旅行歴を語る。
「僕はフェザードとアルヴィニアだけだなあ。リーガレオは三大国の共同統治だから、どこの国の街と決まっているわけじゃなかったけど」
「おいおい、ヘンリー。アタシ達は魔国に何度も行ったじゃないか」
いや、アゲハ。魔物を間引いたり魔軍へ破壊工作仕掛けるために侵入するのと旅行を一緒にするんじゃない。
……なんて雑談をするうちに、関所に辿り着く。
「どうも、こんにちは。見たところ、冒険者の方々ですな? お手数をおかけしますが、入ってすぐのところの受付で、手続きの方をよろしくお願いいたします」
関所の入り口を固める門番さんがにこやかに笑いながら案内をしてくれた。
「どうも、ありがとうございます。お疲れさまです」
「いや、そちらこそだいぶお疲れのようで……」
ようやく走るのを止めて、はあ、はあ、と必死に深呼吸しているシリルを見て、門番さんが苦笑する。
「あー、シリル。大丈夫か?」
「よ、よゆーですよ、よゆー……ごほっごほっ」
「無理に返事すんな。息整えてろ」
「シリルさん、水筒です」
ティオが、いつもの神器の鞄から水筒を取り出してシリルに渡す。
んぐ、んぐ、と水分を補給して、シリルは大きく息をついた。
あー、これは関所越えた後、更に走らせるのは酷かねえ。
しゃーない、またおんぶでもしてやるか。この関所からユーのやつの故郷であるリースフィールドはそう遠くないはずだし。
「なあ、ダラダラしてないでとっとと手続き済ませようぜ。日が暮れちゃうし」
「はいはい。アゲハ、お前はちょっとせっかち過ぎるんだよ」
急かすアゲハに適当に文句を言いながら、関所に入る。入ってすぐのところに、いくつかの受付の窓口があった。
空いている一つに向かう。
「こんにちは。六人、サレス法国へ入国したいんですが」
「はい、それではこちらの出入国の申請書に名前とサレス法国への入国目的等を記載の上、身分証明書と共に提出をお願いいたします。申請書の記載要領はこちらです」
手馴れた様子で受付のお姉さんが用紙を渡してくれる。
みんなに一枚ずつ配り、僕は目を通した。
……ふむ。別の国に行く手続きなんて初めてだけど、そう沢山書くところがあるわけじゃないんだな。
フェリスは債務者だから保証人が必要になるが、まさかグランディス教会の上級神官相当の地位である勇士の冒険者の保証で駄目ということはないだろう。
アゲハの保証が使えればより確実だが、あいつの国籍リシュウだしな。僕が書くしかあるまい。
フェザード王国の生き残りの人間は、基本的にアルヴィニア王国が引き取ったので、僕の国籍は一応アルヴィニアということになっている。
魔国に滅ぼされた小国の難民の扱いについては、当時三大国の間で色々と綱引きがあったそうだが……まあ、なんだかんだで不当な扱いはされていないので、僕としては文句はない。
「フェリス、貸してくれ」
「ああ、すまない、ヘンリーさん」
さらさらと保証人の欄にサインをする。これで万が一フェリスがサレス法国に亡命でもしたら、その債務は僕に降り掛かってくることになるが……まあ、余計過ぎる心配である。
全員が書き終わったので、受付さんに提出。
この後、内容が精査され、特に問題なければサレス法国への入国が許可される、という段取りだ。
「みんな、ちゃんと書いたよな。記入ミスがあったりしたら、結構時間取られるって聞くぞ」
「大丈夫です、三回見直しました!」
えへん、とシリルが胸を張る。
「まあ、そんなに難しくなかったし、大丈夫だと思うぞ」
「ジェンドと私は、互いにチェックし合ったしな」
僕も、ちゃんと二回くらいは見直したし、問題はないはずである。
「……アゲハ。お前が心配なんだが」
「あのくらいで書き損じたりするはずないだろ」
「もし間違ってたら、そんときはお前だけだけ置いて行くから。どーせ一人なら一瞬でリースフィールドに着くだろ、お前」
「ちぇっ、薄情な奴め」
なんて雑談をしていると、受付さんが立ち上がり、僕たちの方ヘやって来た。
「あ、あの、すみません。ええと、貴方がヘンリーさん、でいいですか?」
「? はい。ヘンリーは僕ですけど」
「ちょ、ちょっと、サレス法国への訪問の理由を詳しくお聞きしたいので、別室へご同行願えますか?」
……え、なんで?
三十分程たっぷり面接されて、ようやく僕は開放された。
……うん、いや別に書類に不備があったとかではなく、僕の肩書が問題だった。
勇士の冒険者。しかも、魔境攻略経験豊富で、最上級の魔物の討伐実績も複数あり、しかも賞罰に魔将の打倒まで含まれている。
……改めて羅列すると、がむしゃらにやってきただけなのだが、結構な実績を積んだなあ、と感慨深い思いだ。
ともあれ。
優秀な冒険者は、どの国も喉から手が出る程欲しがっている。他国の者であれば自国に取り込みたいし、自国のそれは囲い込んでおきたい。
つまるところ。僕が呼び止められたのは、金なりハニトラなりで、僕がサレス法国に拠点を移すのではないか? と疑われたためである。
生粋のアルヴィニア人ではなく、十年前のどさくさでこの国所属になったというのも疑念に拍車をかけた。
……実は、僕だけじゃなく、勇士クラスになると大体出国時にこのくらいは詰問されるらしい――というのは別れ際に面接してくれた出国管理官さんが教えてくれた。独り身でなければ、審査は緩くなるらしいが。
「はあ~~~、ヘンリーのせいで、すーっかり遅れちまったなあ。なあ!」
「ええい、うるさい。僕のせいじゃないだろ」
リースフィールドに向けて走りながら、ここぞとばかりに意地の悪い罵倒をしてくるアゲハに反論する。本気で非難してきているわけじゃないが、すっごくウザい。
「アゲハさんは英雄ですけど……」
「あー、アタシはリシュウの人間だからとやかく言われなかったんだよ。まあ、アタシが呼び止められたんだったら、無視してとっとと関所抜けてたけど」
「それは密入国だよ、馬鹿」
僕の背におぶわれているシリルが聞くと、アゲハは軽く笑い飛ばしながら犯罪行為を口にする。
確かに、こいつの隠形であれば楽勝で密入国くらいできるだろうが……
「お前が犯罪起こしたら、エッゼさんが仕置きに来るぞ」
「げっ、そりゃ勘弁」
英雄の筆頭格ということで、エッゼさんは英雄達がなにか悪さをした時の処罰役も担っている。
基本的に悪人に英雄の称号は贈られないので、幸いなことに今まで出番はなかったらしいが……いざとなったとき、あの人に追われることを覚悟してまで悪行に走る奴もそういないだろう。
「お、っと。見えてきたぞ。関所で聞いたとおりなら、あれがリースフィールドだ」
「お~」
ひょい、と背負われているシリルが首をそちらに向け、声を上げる。
フローティアより田舎……だが、完全に田舎というわけでもない、どこにでもあるような地方都市の一つ。
陶器の製造が主産業で、そこかしこに工房がある。そして、一番の大口の客が教会なので、サレス法国の国教であるニンゲル教の影響が特に強い土地柄。
……そんな、むかーしユーと付き合ってた頃に、リーガレオの公園で雑談がてら聞いた情報が、割とすぐに思い出せた。
懐かしいね、どうも。
「ヘンリーさん、そろそろ下ろしてください」
「はいはい」
リースフィールドの正門が見えてきた辺りで、走るのをやめて、シリルを下ろす。
……うん、まだ夕暮れ時ってところ。割と上位の冒険者が飛ばしてきたとは言え、マジでフローティアから近いな、ここ。
「へえ、城壁のつくりもフローティアとは大分違うね。少し古い様式だ」
「そうなのか、よく知ってるな」
フェリスが感心したように言うが、僕にはあまり違いがわからない。いや、言われてみれば形が違うってことはわかるが、古いとか新しいとかは判断できん。
「要塞とか城壁の作りなんかは、騎士としての勉強の一環で学んだからね」
「へー」
……あれ、僕も准騎士としてそのへんの勉強はしてたはずだよな。イカン、まったく思い出せん。
ま、まあ、今全然その手の知識使わないし、いいか。
そう結論づけ、リースフィールドの正門に向かう。
国を越えるのに比べれば、街へ入る手続きは簡素なもので、すぐに町へ入る許可がもらえた。
……それはそうと、
「あの、すみません。道をお聞きしたいんですが」
正門を守る兵士さんに声を掛けた。
「ん? ああ、いいよ。どこに行きたいんだ?」
「ニンゲル教会がやってる孤児院で、庭に大きな林檎の木があるところ……って言ってわかります?」
リースフィールドの孤児院だというところまでは聞いていたが、そういえば孤児院の名前までは知らなかったので聞いてみる。
一応、特徴としてユーに教えてもらった林檎の木のことも伝えたが、わかるかな。
「ああ、それなら、まんま林檎の家って呼ばれてるとこだな。町の東側で……」
詳しい道のりを兵士さんに聞く。
後ろでティオがメモを取ってくれていた。助かる。
兵士さんにお礼を言って、件の林檎の家とやらに向かう。
「わー、違う国の町って、やっぱり家の雰囲気とかも微妙に違いますねー」
「そうだな」
途中、感嘆の声を上げるシリルに同意する。
なんというか、好まれる意匠が違う感じがする。単なる僕の印象だが、サレス法国のほうがこう、しゃんとしている感じだ。
「うちは食器の類をこの町から仕入れてんだ。質がいいし、デザインも良くて人気の商品なんだよ」
「へえ。そうなんだ」
「フェリスがうちに来た時に使ってる茶器もここのやつだぞ」
と、ジェンドとフェリスが話し、
「なあなあ、ティオ。食器なんてどれも一緒じゃないのか?」
「アゲハ姉……それはちょっと、流石に。ていうか、サギリ商会もリシュウの食器とか商ってるんですけど」
「そーだっけ?」
なんて、口々に話しながら歩いていくと、兵士さんに教えてもらった孤児院に到着する。
結構大きな敷地に、なにやら真新しい大きな家。
庭には話に聞いた通り林檎の木があり、丁度今が旬なのか赤い実が生っていた。
そして、
庭の物干しに掛けられたシーツを取り込もうとしている、女が……
「よーう、ユー! 見舞いに来たぞー!」
ダッ、とアゲハがダッシュでその女に突撃する。
「え? は、アゲハ? 貴女、どうしてこんなところに……ていうか私の家、貴女知らないはず……じゃ」
言葉の途中で、あいつもアゲハと一緒に来た僕らのことに気がついたようだ。
相変わらずむやみに整っているツラが、僕の方を見て硬直している。
僕は、最初はなにを言ったもんかと悩みながら近付き、まあ適当でいいかと口を開いた。
「よお、救済の聖女さんじゃないか! 倒れたって聞いたけど思ったより元気そうだな救済の聖女! 僕のこと覚えてるか救済の聖――」
「ふン!」
適当に煽りながら挨拶したらグーが飛んできた!
「うおっと!?」
バチィ! と手のひらでその拳を受け止める。……割と痛い。腰の入ったいいパンチだ。芯に突き抜ける。
ここでビンタじゃなくてパンチな辺りがこいつらしい。
「どうも、ヘンリー。ときにその二つ名、身内に言われるの恥ずかしくて嫌なんですけど」
「勿論覚えてる」
「そうですか」
先程は左だった。次は利き腕の右でのパンチをユーは繰り出そうとし、
「悪い悪い、降参降参」
「はあ……まったく」
手を上げて逃げると、ユーはため息を付いて拳を下ろす。
どちらともなく、笑いが漏れ、
「……まあ、なんだ。久し振りだな、ユー」
「はい、お久し振りです、ヘンリー」
そうして。
僕は久方ぶりに、ユースティティアと再会した。




