第七十五話 知らせ
「ヘンリーさん、今日はお茶なんにします?」
「紅茶」
「はーい。あ、すみませーん」
シリルがウェイトレスさんを呼び止め、注文をする。
冒険に出かける日の朝。
いつも通り、待ち合わせよりやや早めにグランディス教会に来て、併設されている酒場でシリルと共に茶を喫する。
こうして英気を養い、冒険への活力を蓄えるのだ。
「あ、冒険者通信、新しいの出たみたいですよ。取ってきましょうか」
「頼む」
「わっかりましたー」
ふんふーん、と鼻歌を歌いながら、酒場の隅の棚に何部か置いてある冒険者通信を、シリルが取りに行く。
冒険者通信は、不定期に刊行される冒険者向けの新聞である。
教会が発行しており、冒険者関連のニュースや色々と役立つ情報が載っている。
新しい魔導具の情報とか、最近判明した魔物の生態の情報、有名所の冒険者の近況等等。ロッテさんのライブの日程なんかもよく掲載されている。
教会の酒場では無料で置いてあるので、チェックする冒険者も多い。僕も新しいのが出たら目を通すくらいはしている。リーガレオの近況は最もホットな話題であるため、知り合いの名前も結構出るしね。
と、シリルが戻ってくる。
……? なんか、様子が変だな。
「あ、あの、ヘンリーさん。これ、一面なんですけど」
「なんだ? またぞろ、エッゼさん辺りがノリで変なことでも……」
どれどれ、とシリルから冒険者通信を受け取って一面を見て、
『救済の聖女、倒れる』
……そんな見出しが、目に入ってきた。
「ヘ、ヘンリーさん?」
シリルが何か呼びかけてきたが、僕は記事を読む方に忙しい。
……どうやら、最近魔物の攻勢が著しく、怪我人が続出。
寝る暇もないほどの治癒活動にとうとう疲労が限界に達し、ユーのやつは倒れてしまったらしい。
それでも、その時いた怪我人は全員治癒してからということだから、あいつの根性も見上げたもんだ。
リーガレオには勿論ユーの他にも治癒士はいる。だが、あいつは一人で三、四割の怪我人を引き受けていた。また、数分後には死ぬような本当の重傷者はユーにしか対応出来ない。
かと言って、この貴重過ぎる治癒士をこれ以上酷使して再起不能にでもなられたらそれこそ取り返しがつかない。
……グランディス教会、ニンゲル教会の人間は顔を突き合わせて相談し、ユーのやつを一旦後方へ下げ、静養させることにしたそうだ。
代わりに、ニンゲル教会から上級の治癒士が十人、リーガレオに派遣されることとなった……というところで、記事は締めくくられている。
「……なんだ、別に魔物にやられたってわけじゃなくて、過労か」
「は、はい。あの、ヘンリーさん、大丈夫ですか?」
「はっは、なんだシリル。なんで僕が大丈夫じゃないんだ? ったく、あいつは働きすぎるし、妙に責任感あるから。いつかこうなるかとは思っていたんだ」
記事を読んでいる間に運ばれてきていた紅茶を啜……
「うわっち!?」
……なんの気無しに紅茶をぐい、っと飲もうとして、舌を火傷した。
「ああ、もう。零しちゃって」
「わ、悪い。布巾借りてくる!」
立ち上がる。
……そこで慌てていたのが悪かったのか。
テーブルの脚に自分の足を引っ掛けてしまい、盛大に紅茶のカップをひっくり返してしまった。熱い茶が靴にかかる。
まあ、防具もあるし熱湯くらいはなんでもないが……やっちまった。
なお、シリルはちゃんと自分の分のホットミルクは手に持っていたので、そっちは無事だった模様。……なんか予想されていた感がある。
「……ヘンリーさん」
「な、なんでもないから」
イカン、呆れられている。
と、とりあえずとっとと布巾と雑巾、借りてこよう……
店員さんに事情を説明して掃除道具を借りて戻ってきた頃には、ジェンド達が来ていた。
「よう、ヘンリー。手伝うから、貸してくれ」
「悪い……」
布巾をジェンドに渡し、僕は雑巾で床に溢れた紅茶を拭くことにする。
……テーブルの下を拭いた後立ち上がろうとしたら、天板に頭をぶつけてしまった。
「あの、ヘンリーさん。いつになく落ち着きがないですが、どうしたんですか?」
「あー、なんでもないんだけどな……」
参った、まさか最年少のティオにまで心配されてしまうとは。
「ヘンリーさんが調子悪いのはこの記事のせいで……」
シリルが冒険者通信を広げて、みんなに見せる。
「救済の聖女様が……ヘンリーさんが気もそぞろなのはこのせいか」
「確かヘンリーの元カノで、長い付き合いの仲間なんだよな」
「……元カノは強調しなくても良い」
手を繋いだことしかないのに。
「あのー、ヘンリーさん。今日、大丈夫でしょうか。冒険、やめときます?」
「シリル、なに言ってんだ。このくらいで中止するわけないだろ。いや別に? 元仲間として心配くらいはしているけどな、そこまで動揺はしていないんだぞ? 倒れたって書いてあるけどただの過労で、しかもちゃんと静養するってことなんだから僕がそこまで心配することでもないしだから動揺はしていない」
僕が一息に言い切ると、シリル達はひそひそと相談を始める。
「……かなりやべーな」
「はい、完全に平常心を失ってますね」
「冒険に行けば、多分ヘンリーさんのことだからちゃんとするだろうが……」
「私達だけで行きます?」
聞こえてんぞ、お前ら。
「大丈夫だから冒険に……」
行こうぜ、と言いかけて、口を噤む。
理由は定かではない。定かではないものの、僕の調子がいつもと違うのは確かである。万が一、これで不覚を取りでもしたら、悔やんでも悔やみきれない。それに、この街では一日二日冒険に行かなかったところで、なにがあるというわけでもない。
冷静に判断して――
「……いや、悪い。みんなの言う通り、僕ちょっと今日は変みたいだから、中止にしよう。お前らだけで行ってもいいけど」
「俺らだけで行って前みたいなことになっても困るし。たまには休みにしていいんじゃないか」
「そですね。じゃ、フェリスさんティオちゃん、折角だし、買い物にでも行きます?」
シリルが、二人を誘っている。
……さて、僕はどうするかな。起きていたら悶々と益体のないことばかり考えてしまいそうだから、もういっそ寝るか。
と、考えながらグランディス教会の入り口に向かう。
ドアを開け――不意に、僕の中の警戒度がマックスに達した。
「よお、ヘンリー!」
そんな声とともに繰り出された恐ろしく疾い手刀を、腕で弾く。
反射的に掌底で反撃するも、顔も確認できなかったそいつは素早く身を伏せて躱した。
続いて放たれた足払い。これは重心をコントロールして足を刈り取られることを防ぐ。
一瞬相手が硬直したところで、打ち下ろしの拳を放ったが、これは十字にクロスした腕で防がれた。
その後も、数秒、拳や蹴りを繰り出し、それぞれ防ぎ合う。
最後の交差。ドンッ! と大気が震えるような勢いでの拳の打ち合い。
そのまま硬直し……ようやくゆっくりと相手の顔が見えた。
「……テメェ、アゲハ。出会い頭になにしやがる」
まあ、首を狙ってくる攻撃が多すぎたので、すぐにわかったが、予想通りの顔だ。
「挨拶だよ、挨拶」
「かんっぜんに気配消して不意打ちかますのが挨拶かよ」
いやまあ。リーガレオでは挨拶の範疇だが。
「は? アタシが本気で潜んでたら、お前は反応なんてできねえよ?」
「いくらなんでも、攻撃仕掛けられたらわかるぞ」
「無理無理。出来ないことを出来るって、それダサいからやめとけよー」
「……喧嘩売ってんな?」
「おう、買うか?」
買わいでか、と一歩を踏み出すのと、スコーン、と後ろからシリルに杖で頭を叩かれるのが同時だった。
「教会の入り口で、いきなり決闘始めないでください」
「……はい」
「ぷぷ、怒られてやんの」
「アゲハさんもです! なに笑っているんですか!」
ごめんごめん、とアゲハは悪びれる素振りもない。
シリルが杖をぶんぶん振り回しても当たるはずもなく、ひょいひょい躱している。
はあ、と僕は深い深いため息をつく。
「……で、なんだよアゲハ。またふらっとフローティアまで来やがって」
前は走って片道四日って言ってたか。リーガレオとフローティアの距離を考えれば破格の時間だが、気軽に往復できる程ではない。何かしらの用が……いや、こいつの場合、特に理由はないかも知れないが。
「ああ、そうそう。用件だけど、ヘンリー知ってっか? ユーのやつが過労で倒れたんだってよ」
「今朝の冒険者通信で読んだ」
またタイムリーなやつだな、こいつ。
「そっかー。いや、アタシその頃長期のクエスト受けてて、戻ったらユーが静養先に行った後でさあ」
「それがなんでフローティアに来る理由になるんだ」
「なんかユーの静養先って実家らしいんだけど、実家の場所ってサレス法国にあるってことしか知らないし。仲間のみんなもそう言えば聞いたことないって。んで、教会の連中も教えてくれないし……後知ってそうなのってお前じゃん?」
阿呆かな? いや、阿呆だった。
「……まあ、来た理由はわかった。でも、なんでユーの静養先なんて知りたいんだよ」
「ん? 見舞いに決まってんだろ。他の連中は足が遅いから置いてきた」
お前基準で言うと人類はほぼ全員足が遅えよ。
「ついでに、見舞い品くらいは連れて行った方が良いかなー、って思ってな」
「ああ、フローティアは花とか綺麗だから……」
いや、待て。
「今、見舞い品を『連れて行く』っつったか?」
「言った」
「それってもしかしなくても」
「お前暇だろー? それに、ユーのやつなんだかんだで寂しがってたっぽいし。ほれ、行って優しい言葉でもかけてやれよ」
こいつ……
でも、ユーの実家かあ。確かに知ってはいるが……ん? あれ?
「なあ、ジェンド。サレス法国のリースフィールドの町って、フローティアから割と近かったよな?」
地理事情に詳しいジェンドに尋ねる。
「ああ。距離的には王都よりずっと近いぞ。フローティア伯爵領は領境がサレス法国と接してるけど、隣り合ってる領の町だからな。うちもちょっと取引がある。……で、そう言うってことは」
「ユーの実家、リースフィールドの孤児院だっつー話だ。……普通に行けるな」
僕とかアゲハなら、一日で往復できる距離だ。
「そんなに近いんだったら、もしかして向こうから遊びに来たりしませんか?」
「……いや、ないな」
ティオの言葉を否定した。
あいつのことはよーく知ってる。最初から遊びに行くつもりであればともかく、自分の不覚でたまたま近くに来たからって、わざわざこちらに足を運ぶことはしないだろう。
なんていうか……幼年学校に通ってた頃、ズル休みをした日はなんか罪悪感で遊び呆けられなかったが、ああいう感覚だ、多分。
「よし、なら一切問題ないな。行こうぜ!」
「待て待て。あー、行くのは良いが、準備くらいさせろ」
とりあえず、適当に衣類だけ詰めて持ってけばいいか。後、一応フローティアの菓子でも見舞い品に買って……
「あ、じゃあ私達も準備してきます。お昼過ぎにここに集合でいいですか?」
「国越えるのに身分証明が必要だから、用意しとけよ、みんな」
「あー、私は国に借金があるから、勝手に別の国には行けないような……」
「勇士のヘンリーさんが保証人になってくれれば大丈夫なのでは?」
と、シリル達も口々に色々言い始める。
……え? 付いて来んの?
地図を描けるツールとか欲しい……




