第七十一話 セミリタイアした冒険者の一日
「……ん」
窓から差し込む朝日の光で目が覚める。
体を起こして全身に意識を巡らせ、調子が悪いところがないかを確認。
……うむ、今日も健康体だ。
二度寝したい気持ちは満々だが、その怠けの虫を気合で追い出し、すっくと立ち上がる。
ちゃちゃっと寝間着から着替えて、熊の酒樽亭の自室から出た。
「おはようございます」
「……おはようございます、ヘンリーさん」
モーニングの仕込みをしているノルドさんに挨拶。まだ朝早いので、ここの女将さんのリンダさんとラナちゃんは起きていない。
まあ、そろそろ起き出して掃除とかするんだろうが、今日は僕が勝った。
「またトレーニングですか。精が出ますね」
「そんなに激しいものじゃありませんけどね」
巨人事件の時に風邪を引いてしまったように、フローティアに引っ込んでからしばらく、体調管理がイマイチできていなかった感があるが、最近は気をつけるようにしている。
朝、練度維持のための軽い運動をするようになったのもその一環だ。
ポーチの中に入れてある無骨なブレスレットとアンクレットを手足に身に着け、魔力を通す。
……こいつは、魔力を流すことで重りになってくれるトレーニング用の魔導具なのである。
一つ、大体十五キロくらいか。身体強化を使わないのであれば、このくらいが僕には丁度いい。
「じゃあ、いってきます。モーニング楽しみにしてますね」
「はい、いってらっしゃい」
朝の空気が漂うフローティアの街中に飛び出る。
人通りは少なく、時折夜通し飲み歩いて潰れている酔漢や、朝の市場に向かう人がいるくらいだ。後、僕と同じく走り込みをしている人ともたまにすれ違う。
ふむ。今日はフローティアの執政塔まで行ってみるか。
と、毎日変えている走り込みのルートを適当に選んで、僕は角を曲がった。
「ふっ、う」
一時間程の走り込みを終え、熊の酒樽亭の中庭を借りての筋トレを済ませ、息をつく。
本来なら素振りとかもやりたいのだが、この中庭は槍を振り回すのにはちっと狭い。またグランディス教会の訓練場か、ジェンドんちでやろう。
そうして、おもむろに汗でびっちょりの服を脱ぐ。
「《火》+《水》」
魔導でお湯を出して頭からかぶる。
ぶるぶると頭を振って、近場に置いておいたタオルで拭っていく。
雑だが、男が汗を流すならこんなもんだ。
一緒に置いておいた着替えを身に着け、熊の酒樽亭の中へ。
「あ、ヘンリーさん、おかえりなさい。訓練お疲れ様」
「ありがとう、ラナちゃん。モーニング、パン大盛りで。後飲み物に、オレンジ絞って」
「はーい」
朝から軽やかな動きで、ラナちゃんが注文を厨房に伝える。
熊の酒樽亭のモーニングは日替り一種類なのだが、オプションでちょっとしたサイドメニューや飲み物なんかを頼めるのである。
しばらく、他の宿泊客の方の様子をぼんやりと見ながら、食事が到着するのを待つ。
「ヘンリーさん、お待ちどうさま。今日のモーニングと、オレンジジュースね」
「どうも、リンダさん」
赤ちゃんを背負いながらも、元気にお店を切り盛りしているリンダさんが運んできてくれた。
背中の赤ん坊は、ラナちゃんの弟であるランドくん。家族の顔が見えないと割とすぐぐずり出すらしいので、店が混んでいないときはこうして背負われている。
……ほう、今日のモーニングはカリカリベーコンとスクランブルエッグ、そして野菜たっぷりのスープときたか。毎度のことながら旨そうである。
まずはオレンジジュースをぐいっと飲む。
訓練で疲れた体に、甘酸っぱいジュースが染み渡る。
うーむ、いい気分だ。
さて、食事食事、と。
スクランブルエッグを口に運び、パンを齧る。滋味あふれるスープを啜り、ベーコン、パン、スープ……
それなりにボリューミィなモーニングだが、エネルギーを沢山使う冒険者には丁度いい。ぺろりと平らげた。
食後の珈琲を頂きながら、さて今日はなにをするか、と考える。
「おはよう、ヘンリー」
「ああ、おはよう、ピエール」
よっ、と気さくに話しかけてきたのは、昨日から熊の酒樽亭に泊まっている行商人のピエールだ。
昨日、隣で呑んで仲良くなった。
「ヘンリー、今暇か?」
「暇を持て余してるところだ」
「じゃ、チェスでもしようぜ。今日の商談は午後からでさ。下手に出歩くと、金使っちゃいそうだし」
商人らしくケチなことを言いながら、ピエールは熊の酒樽亭に備えられているチェスボードと駒を取りに行く。宿泊客向けに貸し出している遊具の一つだ。他にもバックギャモンとかリバーシとかがある。
「なんか賭けるか?」
「やだよ。僕、チェスはほぼ駒の動かし方知ってるだけだぞ」
「俺も似たようなもんだから、いいじゃないか」
と、ピエールは笑いながら提案する。
……怪しい。
ついさっき、金を使いたくないから外出したくない、と言っていた商人が、初心者の癖に賭けチェス持ちかけるか?
「やっぱりやめとく。お前それ絶対強いやつじゃん」
「はは、そんなことないぞう?」
いやだって、駒の並べ方がもう手馴れすぎてる。
「ほれ、先手はやるから」
「……ほれ」
ポーンを動かす。
さてはて、どうなることやら。
五戦して全敗。
「やっぱお前チェスやりこんでるだろ」
「まあ、こういうゲームを通じて誼を結んで商機につなげる……なんて妄想してる行商人は多いからな。嗜み程度に」
ええいくそ。アゲハに付き合わされたからリシュウの将棋なら多少できるのだが、流石に将棋盤なんてないしな。
「だけど楽しかったよ。またやろうぜ、ヘンリー。俺、何ヶ月かに一回はフローティアに来てるからさ」
「次は将棋にしよう、将棋」
「またマイナーなゲームを……いや、フローティアならサギリ商会とかの貿易商があるから、売ってはいるだろうけど」
それ、ティオの実家だ。意外と有名らしい。
「さて、そろそろランチタイムが始まるし、席を占拠してるわけにもいかないな」
熊の酒樽亭の昼の営業時間が迫りつつある。
それまでは食堂の席を使わせてもらっていたが、流石にこの人気店の席にずっと座っているわけにもいくまい。
「……ま、僕はここで飯食うからいいけどな」
「そっか。俺は外で軽食でも買うことにするよ。じゃあな」
「おう、じゃ、また」
既にチェックアウトの手続きを済ませていたピエールは、軽く手を上げて去っていく。
今日は商談をまとめたら、そのまま街を発つらしい。商人も大変だねえ。
「ヘンリーさん、もうすぐランチタイム始まりますけど、注文します?」
「お願い」
ラナちゃんに言って、僕はぐいー、と腕を伸ばした。
……うーむ、朝、モーニング食ってからずっとこの席に座ってたな。午後は適当に出かけるか。
「ん?」
ぴくりと、感覚に引っかかった。
ややあって、熊の酒樽亭の入り口が開き、見知った顔が入ってくる。
「あ、シリルさん、いらっしゃい」
「はいー、ラナちゃん、こんにちは。ところでヘンリーさんは……あ、いた」
なにやら僕を訪ねてきたらしいシリルが、てててと駆け寄ってくる。
「どうもどうも。こんにちはです、ヘンリーさん」
「おう、こんにちは。今日もここのランチか?」
シリルも、週に二、三回位はここで昼飯を済ませている。もう常連と言っても良いだろう。
ただ、いつもはもうちょっと後で来るんだけどな。
「はい、ご飯も食べに来ました。後はヘンリーさんにちょっと用事がありまして」
「? 別にいいけど、なんだ」
「今日暇なので、構ってください」
……こいつ、またストレートに要求してきやがったな。
「構えって……なにすりゃいいんだよ」
「ご飯食べたら、適当にお出かけでもしましょう。簡単なクエストを受けるのも悪くないですね」
「あのな。僕にも予定ってもんがあるんだぞ。急にそんなこと言われてもな」
いや、暇しているし、こいつに付き合うのは別に全然構わないんだが。それはそれとしてそう安い男と見積もられても困る。
「? どうせ今日も暇しているんですよね。ジェンドは今日はお店の手伝いだから、一緒に訓練するわけじゃないでしょうし」
「……お前、またやけに断言するじゃないか」
事実だけど。
「え、じゃあ本当になにかご用事があるんですか?」
「いや、それは……ない、けど」
「ほらぁ」
くっそ。いい笑顔過ぎる。
「はあ、わかったわかった。どこ行くかは任せるぞ」
「はーい」
ふんふーん、とシリルがご機嫌そうに鼻歌を歌う。
……やれやれ。
まあ、悪い気はしない。適当に付き合ってやるか。
丁度手頃な採取系のクエストが張り出されていたので、ピクニックがてらフローティアの森に向かった。
冒険を始めた頃ならともかくとして、シリルも今では立派に成長している。
キラードッグの群れくらいなら、魔法を使わなくても杖だけで制圧できるくらいにはなっているし、森の浅いところなら散歩気分で採取ができる。
規定量を納めて、僕たちは報酬を受け取った。
「そして、その日稼いだ日銭で呑むのが冒険者の流儀ってやつだぞ」
熊の酒樽亭のカウンター席で隣同士座って、僕はシリルにエールを押し付けた。
「変な流儀を教えないでください」
「いやいや、嘘じゃないって。グランディス神もそう仰られている」
うん、事実である。経典にしっかり載っているぞ。
「もう、あまり遅くまでは付き合えませんよ」
「はいはい。帰りは送ってやるよ」
シリルはあんま呑まないし、早めに切り上げることになるだろう。
領主館に送ってやった帰りに、はしご酒といくかね。
「……あ」
「どうしました?」
「いや、今日すっげー思い描いてた生活に近いなあ、って気付いた」
そうそう、リーガレオを去った頃は、こういうのんびりした生活を夢見ていたはずだ。
……なんでこんな後方で日常的にオーガとかと戦ってんの、僕?
いや、充実はしてるから文句はないのだが、なんかこう、どうしてこうなったって気分だ。挙句の果てに最上級とやりあう羽目になったし。
と、思いを馳せていると、シリルが訳知り顔で頷いた。
「なるほど。私のような美少女と一緒にお出かけするような生活ですか。夢が叶ってよかったですね! それは嬉しいでしょう?」
「…………」
否定はしないが、自分で言うな、自分で。すげー肯定したくない。
「喜べ?」
「わーい」
我ながら白々しく言う。脇腹をつつかれた。
「……はい、かんぱーい」
「もう。乾杯」
ジョッキを重ねる。
そうして。
シリルと一緒に呑みながら、その日は過ぎていった。




